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無名サイトのつづき

パロディの彼方に

2ch(現5ch)の名スレで「ジブリタイトルを組み合わせて一番面白い奴が優勝」というものがある。

アレをいろんなところで見る度にいつもモヤモヤしているので、今日はそれについて書き残しておこうかと思う。久しぶりにここに帰ってきて最初にやることがそれかよと言われると立つ瀬がないが、まぁそれはそれとして。

詳しくは先のリンク先を見て頂きたいのだが、このゲーム(?)は途中で大きくゲーム性が変質している。詳しくはリンク先などを参照してこれまでの優勝作品をザッと眺めて欲しいのだが、簡単に言うと、パロディタイトルを作る上で以下の二つのどちらの方向性を取るかという問題である。

1.「最小限の改変で全く別の印象を持つタイトルにする(初期 1~5回の優勝作品の方向性)」
 例 耳がきこえる(第1回)・豚トロ(第2回)・山田なりの恩返し(第5回) など

2.「タイトルを単語・文字単位で切り刻んで長文を作る(6回目優勝作品から登場しその後の主流に)」
 例 山田君のティんぽこからトロトロとエッティなものが(第6回)
   宅急便 山田のおなホをとなりの千尋んち二とドける(第24回) など

さて、個人的には前者の方向性の方が好きだし、レベルも高いと思えるのだが、一方で第6回以降の優勝作品が主に後者の方向性であることから、一般的な(?)ウケは後者のようである。

では何故、一般ウケしない前者の方が好ましいと感じるのか、理由は三点ほどある。

まず一つ目の理由。そもそも「ジブリタイトルを組み合わせて」ということはこれまでに発表されたジブリタイトルという制約の中で面白いタイトルを作ることが目的である。ある種制約の中での頭脳戦というわけだ。

しかし、ジブリタイトルは相当の数があり、また年々増えていくため、使える文字自体は比較的自由度が高い。故に、文字単位で切り刻んでしまえば比較的いろいろな文字が使えるが、文字種は混在してしまう。例えばカナとかなが混ざったり、漢字の読みを無理矢理当てはめることになるわけだ。

優勝作品における活用例としては第6回の「ティんぽこ」がその嚆矢であるが、本来であればストレートに「ちんぽこ」としたかったであろうところを、当時はまだ「ち」が使えない(第6回は11年5月開催・タイトルに「ち」が入る『風立ちぬ』の公開は2013年)という制約から「ティ」が充てられている。

しかし、本来であればストレートに「ちんぽ」や「ちんぽこ」としたかったであろうところを無理矢理かなカナ交じりで「ティんぽこ」としたことで、そのツギハギ感が前面に出てしまった。これはスマートな解決方法ではないと感じる。

第二に、難易度の問題である。先に述べた通り、文字単位で切り刻んでしまえば、かなりの自由度がもたらされる。こうしたことから、第6回大会以降の方向性は「まず最初に面白いネタ的な文章を作り、それがジブリタイトルの使用する文字で成立するように文字単位で当てはめて行く」作業になっているような気がしてならない。

これは第21回優勝作品「こんなん坂ちがウ崖やんおすなや」で最高潮に達している。この作品は一文字単位で切り貼りされており、ツギハギ感も極まっているが、同時に流石にこれだけバラバラにすればそりゃなんとかなるよなという諦観のようなものも感じられるのである。

そして第三の理由はこれまでに述べてきたこととも通じるのだが「文字単位で切り刻んだものは秀逸なパロディにならない」ことである。

そもそも、「ジブリタイトルを組み合わせて」という趣旨には、素敵なジブリタイトルを元ネタにしながらも、改変によってどれほどの「落差」を生み出せるかという、元ネタとパロディの関係性が存在している。

故に、我々はその改変タイトルの切れ味を評価する際に、常に元ネタとなるジブリタイトルが頭に浮かんでいる。第1回の「耳がきこえる」などは「耳をすませば」と「海がきこえる」の(一見美しいがそれ単体では何のことを指しているのかはよくわからない)間接的かつ詩的なタイトルの二つを組み合わせたら、まったく当たり前で直接的なタイトルに変わってしまったという「落差」に驚き、笑っているのである。

しかし、それも「何が元ネタになっているのかわかる」が故のものである。その点において第2回「豚トロ」などは、ほとんど文字単位に分解され、文字数を極限まで削っておきながらも元ネタの輝きは失われておらず、誰でも「アレ」と「アレ」が組み合わされていることが理解出来る(この点において、元ネタとは違う読み方で「豚」を使ったにも関わらず、全くそれを感じさせないのも凄い。言わば反則ギリギリなのに、先に述べたようなツギハギ感を感じさせないのはまったく見事である)。

しかし、文字単位で分割し、それで長文を作ろうとすると話は別である。各タイトルの輝きは使われる作品が多くなるごとに失われ、埋没していく。一文字単位で使われたタイトルの元ネタに、もはや深い意味は無い。ただ単に都合のいい文字が使われていたから、きっとそれだけである。そこにもはやパロディの精神はない。

故に、あくまでも個人的にだが、本来評価されるべき笑いは「最小限の改変で最大限の切れ味」というパロディ性のある、初期の作品にこそ存在すると考えている。だが、近年の優勝作品の傾向を見る限りでは、おそらくそうした点を評価する人というのは少数派になっているようだ。

初期作品こそが素晴らしく以降はクソというのは「ファーストアルバムこそ至高と言って憚らない頭の固い音楽ファン」のようで少し嫌なのだが、しかし一文字単位で分割され、何作品もの原形を留めない小間切れの中から無理矢理作り出された長文タイトルには、個人的には一切パロディとしての魅力を感じないのである。

2017年のTC-1

もうだいぶ前のことになるが、この記事を書いた直後に借り物ではない自分のTC-1を買ったヤフオクでどうにか動作するがジャンク扱いという形で売り出されていたそれは、手元に届いてみると外装にスレの目立つながらもとりあえずは動いているように見えたし、何より当時の中古相場の6掛けくらいの値段で買ったので文句を言う気にもなれない感じの代物であった。

以来数年、時たま不安定な動作を見せることもありつつTC-1は元気に動いていたのだが、あるとき電池ブタのカシメが取れてしまった。この電池ブタ部分、実はとても繊細な構造をしており、電池ブタのロックにクリックを出す為だけに極細のスプリングの先に直径1mmほどの鋼球をセットしてあり、この鋼球が溝にハマることでクリックを出す仕組みとなっている。この手のコンパクトによくあるスナップ式でもよさそうなものなのに、ずいぶんとこだわっているのである。

当初はDIYで直そうと思っていたのだが、この極細のスプリングを縮めながら鋼球をセットし、素早くカシメのフタを被せて固定するという作業は思いの外ストレスの塊であり、しばらく格闘した末飛び跳ねるバネの紛失というプレッシャーに耐えきれず、結局在野の修理業者に頼んだのだがそれなりの費用がかかってしまった。

このカメラにおける拘りのポイントはそれこそ数限りなく挙げることが出来ると思うが、なにもこんなところをこんなに繊細に作らなくてもいいのにと思ったのは確かである。神は細部に宿るというが、こんなところにまで宿っていたら八百万ですら足りなくなるのだはと思うことしきりであった。もちろん、それがこのカメラの最高な点なのではあるが。

そしてまたしばらく使っていたのだが、あるとき北海道旅行に向かう機内の中で「ファンクションレバーが片側で固定されてしまい露出補正が-4.0のまま固まる」という凄まじい故障を発症してそのままウンともスンとも言わなくなってしまった。気付いた瞬間離陸前の機内で三分ほど呆然としていたのだが、ふとISO感度を四段落とせばプラマイゼロなのではということに気が付いて旅行をそのまま乗り切り、以降もそのまま使用していた。装填の度に感度を指折り数えるのがちょっと面倒ではあるが、ネガなら多少露出がブレても問題ないということもあり、結局修理もせずこの状態でまたしばらく使っていたのだ。

しかし、いい加減不便なのでマトモな個体へと買い換えをしようと思っていたら、どうも状況が変わっていることに気が付いた。2014年頃のTC-1の相場は並品ならば4万円くらいといったところだったのだが、2017年現在においては更に値上がりしており6~7万円くらいとなっている。実は動作が不安定だった頃に一度ケンコートキナー(コニカミノルタ製品の修理が移管されている)に修理費用の問い合わせをしていたのだが、当時の回答は状況にもよるが2~3万円かかるということであり、当時の中古価格を考えると外装の程度が悪い手持ちのTC-1を直すのはあまり得策には思えなかったのである。それならば適当な中古を買って入れ替えた方が得策であった。

しかし、いざ今になってみると、もはや4万円ではマトモな中古機は手に入らない。急遽予算を多少拡大してみても後の祭りで、結局マシな中古を手に入れて玉突きで入れ替えるというプランはあっさり頓挫してしまった。

というわけで、今となっては2~3万出してでも修理をした方が得策ではないかと思い中野にあるケンコートキナーショールームまで持ち込んでみることにしたのだ。

主要な病状としては下記の通りである。

・前述のファンクションレバー不良
・もし部品があれば電池ブタ交換希望
・特定の条件下で空にフレアが映り込む
・その他動作が不安定

受付の方の話によれば、TC-1は未だに修理の依頼がある機種であり、部品も一部欠品は出ているものの、可能な限り対応して下さるとのことだった。もし基板等の問題であればその分の部品代は必要になるが、清掃で直ればさほどかからないのではないかという話であり、とりあえず2~3万見ておいて欲しいということであった。もちろん生産終了から10年以上経過した機種なので未だに部品があるだけでもありがたいし、この辺りは以前電話で問い合わせした際の見積もり通りなのでそのまま預けることとした。これが日曜日の夕方の話である。

すると、翌月曜日の夕方には電話がかかって来て、見積もりが完了したとのこと。預けたの昨日の夕方だよな? と半ば信じがたい気持ちで内容を聞くと、接点不良は基板交換不要であり、電池ブタは在庫があるので交換可能、フレアはカメラ内部の遮光板の交換で直るとのことだった。

※余談だが、TC-1はカメラの裏蓋を開いて後玉側に箱形フードのような植毛付きの遮光板が取り付けられており、電源オンと同時に展開して有害光をカットするように出来ている。この部分の植毛が剥がれるとフレアが出てしまうことがあるとのこと。このフード状のフレアカッターはカラクリ仕掛けのようであると同時に開発者の画質に対する執念というか一種の怨念すら感じる部分である。というか先述のように電池ブタ一つ取っても頭おかしい構造しているので自分では絶対にこのカメラを分解したくない。元に戻せる気がまったくしない。

そしてここまでやって値段は約15k(電池ブタ・遮光板部品代込み)だという。前述通り2~3万くらいは覚悟していただけに、あまりにもあっけない回答に正直ポカンとしてしまったのだが、こんなことであればもっと早く修理に出しておけば良かったと思いつつもちろん修理続行の回答をして電話を切った。

するとまた翌日の夕方電話がかかってきて、何かトラブルでもあったのかと思えば「修理が完了した」とのことであった。預けてから50時間くらいしか経ってないのに、である。

もちろん修理は早いほうがいいが、ここまで早いのは正直経験したことがない。というわけでその週末にまた中野へ行き、引き取ってきた。もちろん各部は完璧に修理されており、修理部分には半年の保証も付くという。

引き取りがてらこの対応速度について聞いてみると、どうも修理部門は中野のケンコートキナーの営業所の別フロアにあるらしく、ショールームに持って行けばほぼ直結なのでこれほどまでに早いのだという。もっとも、あまりに早すぎるせいで自分以外にも不安がるお客さんはいるということだった。もちろん理屈がわかればまったく不安要素はないのだが、ともかくカメラの修理としてはこれまでに体験したことのないスピード感だったので新鮮だったのは確かである。

ちなみに他の機種の修理についても聞いてみると、レンズ類は交換できるエレメントが欠品していることが多くカビ取り等は限定対応(ソニーからの移管直後くらいにいくつか頼んだことがあるが当時の段階でミノルタ初期AFレンズとかだとかなり厳しかった覚えがある)。カメラボディについても部品がないとどうにもならないが、とにかく一旦持ってきてくれれば相談は出来るとのことだった。

[最終的な修理代内訳]
部品代 1,000円(電池ブタ500円・遮光枠500円)
技術料 12,500円
送料  0円(直接持込/引取)
消費税 1,080円
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合計  14,580円

コニカミノルタの撤退からは既に10年以上経つので、本来であれば部品類も全て処分されていてもおかしくないタイミングながら、今回のように可能な限り対応してもらえるということで、TC-1に限らずもしコニカ/ミノルタ製で修理が必要なカメラがあれば検討の価値は大いにあるのではといったところである。何よりも「メーカー純正」の修理であることだし。

ともかく、撤退後10年が経過した現在においても関係者各位のご尽力によってこのような体制を維持されていることについては感謝の念でいっぱいである。これでまたTC-1を使い続けることが出来るのだから。

 

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MINOLTA TC-1 + FUJI VELVIA 50

f:id:seek_3511:20170506225436j:plainMINOLTA TC-1 + KODAK PROFOTO XL 100

どこかに行こう ランダム旅行のススメ

私事にはなるが、毎年冬は旅行の季節である。それも年明け後である。  

何故かというと普段から貯めているJALのマイルが期限切れになり始めるのが年明けからだからというだけのことなのだが、閑散期で特典航空券に変えるにしても必要マイルが少なくて済むという利点もある。そういうこともあって冬は旅行の季節なのである。

参考までに2016年は女満別空港に行き北見厳寒の焼肉祭りとかいう零下の屋外で肉を焼いて食べるクレイジーなイベントに参加したり、海豹の聖地オホーツクとっかりセンターに行って海豹のやる気のなさを愛でたりやることが無いのでそのまま宗谷岬まで行ったりした。2015年は函館に行っており、その際の模様は一部このサイトでも記事化している。

しかしいくら閑散期とはいえ、北海道に行くには10,000マイルほど必要になる。期限を迎えて無駄になるよりはいいし、年に一度のささやかな贅沢ではあるのだが、一方でまた自由なんだからギリギリまでコストを削って回数を増やすという方向性もアリなのではないかと考えていた。

そんな中、この冬は何処に行こうかなんて考えていた時に発表されたのが「どこかにマイル」サービスであった。詳しくはこの辺りを参照して頂きたいのだが、日時を指定するとランダムで四カ所目的地が選ばれ、三日以内にその中の一つの予約が確定するというシステムである。そしてこのシステム、交換に必要なマイルが6,000マイルで済む。

穿った見方をすればつまり閑散期の閑散路線で空気を運ぶよりはマイル客でもいいから詰め込んだ方がいいってことなんじゃねーのという話なのだが、しかしこのシステム、航空会社はそうして搭乗率を上げることが出来るし、到着した先の観光地にはこれまで来なかっただろう人が来るし、そして何より旅行者は低コストで旅に出ることが出来る。損する人がいない素晴らしいシステムなのである。一部では「マイルガチャ」なんて呼ばれているそうだが言い得て妙である。

というわけで、ちょうど1月末に期限を迎えるマイルがあったことから、この仕組みを利用してこれまでよりもさらに低コストで旅に出ることにした。

今回はこうした流れからコンパクトにまとめるべく、土曜出発の日曜帰着で無理のないスケジュールを組むことにした。ちなみに希望の時間をセットしてランダムで提示された行き先は更新ボタンを押すことでシャッフルし直すことも出来る。そんなわけでサクッと予約を済ませ、ランダム性に身を任せることにした。

さて、ここで本来ならば「どの四つからどれが選ばれたか」書くべきなのだが、ついうっかりその四つがどれだったのかメモり忘れてしまった。そしててっきり予約メールに書いてあったかと思ったらまったく書いていなかったのである。そういうわけでこの記事最大の盛り上がりであるところの「どの四つからどれが選ばれたか」という点についてはまったく無力なのだが結果だけ言うと選ばれたのは北九州空港着便であった。

さて、北九州といえば関東在住の身にとっては、正直言って通過点としての記憶しかない。これまでの旅行や出張で福岡県内には何度訪れたものの、博多のイメージが強く、そういえば北九州に降り立って何かをしたという記憶がないのである。つまり何が言いたいかというと、こういう自分からは行かなかっただろう場所が選ばれるというのは望むところだということである。

持論になるが、ある程度旅慣れると次は何処に行こうかというのが案外難問だったりする。目的地を決める上では行き先に何か見たいものがあるとかそういうのが理想だが、一方でそれだけのために遠くにお金を使って向かうことに対してコストパフォーマンスというか、リターンを求めてしまう気持ちも正直に言って存在する。

翻って今回のような旅は、ある意味では行き先だけがあってそこがスタートである。それだけに「行こうとは思ってなかった場所」に連れて行ってくれる──それも格安で──というのはとてもありがたいことだった。

行き先が決まったとなれば、すぐさま移動手段の確保である。公共交通機関を利用するのもいいが、北九州空港はあまりそういう便が良さそうな位置でもないので素直にレンタカーを借りることにした。二日で約7,000円。これで自由が手に入るなら安いものである。次に宿泊先だが、色々考えた末小倉で安目のホテルを取ることにした。駐車場込みの素泊まりで約4,500円。ここはマイルで節約した分豪華に行くと考えることも出来るし、思案のしどころであるが、今回は当初の目的通り全体を安くまとめて将来的な旅行回数を増やすという方向にした。

これで宿と足が決まったので、あとは何を見に行くかである。早速近辺に土地勘のあるだろうフォロワーに聞いてみると、こうしたネタ含みの旅行という気持ちを十分にくみ取ってもらいつつも様々な提案を頂いた。写真的には日本三大カルストの一つ平尾台があり、今ホットなのは今年中の閉園が決まっているスペースワールド辺り、そしてメシはうどんがオススメだという。そういえば去年のGWにR439走破がてら四国カルストに行った時にとても景色が綺麗だったので、あれに並ぶとなれば行くしかないだろうと思い、スペースワールドもなくなるとなれば今しかないし、うどんも食べに行きたいしで腹は決まって、だいたいその辺りを無理なく巡れるように事前に目星を付けておいた。

そして旅行当日、晴れたらいいななんて脳天気な願いをあざ笑うかのように、日本全土を猛烈な寒波が襲っていた。普段なら降らないような地域ですら積雪の報が流れる中、羽田空港から飛行機は飛び立ったのだった。

なお、出発時の案内では現地悪天候のためダメだったら福岡空港ダイバート、それもダメなら羽田引き返しという条件付きでの離陸であった。特典航空券で払い戻しにも制限があるし今更レンタカーや宿をキャンセルも出来ないのでそのまま搭乗。

予想通りというかなんというか、やはり搭乗率としては満席ではない。しかし空席ばかりというわけでもないので、この路線においてはマイル客はスキマを埋める程度の役割のようである。乗ってしまえば後は祈るだけである。

果たして祈りが通じたのかどうかは不明だが、一時間少々のフライトの結果、無事北九州空港に到着した。すぐさま小雪が舞う中レンタカーを借り受け、スタートである。車種は前期型のノートで安い方のクラスの割には豪華で気分がよい。外を見れば天気は目まぐるしく雪と曇りと晴れを行ったり来たりするが、海側の空港はともかく、山側には晴れ間が見えるのでとりあえず平尾台を目指す。

……と、途中で妙に駐車場が車でいっぱいのうどん屋を見付け、どうにも気になってUターンして昼ご飯とする。ここがいきなりのヒットであった。節系の力強さを感じつつも甘辛いツユに、讃岐とはちがうコシを感じつつもなめらかな柔麺、そしてごぼう天と上陸一口目からすばらしいうどんを堪能することが出来た。ちなみに食べてから調べたら昼だけ営業の地元では有名な店とのこと。旅先での飛び込みはなかなか勇気がいるが、これだけのヒットが出るならやってみるものである。

余勢を駆ってそのまま平尾台へ。雲は残りつつも時折見せる晴れ間に夢中でシャッターを切る。が、寒い。ほぼ吹きっ晒しの環境下で、時折雪もちらつく過酷な環境である。なんで暖かい筈の九州まで来て雪に降られているんだろうと思いつつも、そうした雲と荒涼としたカルスト台地は遠くに来たことをあまりにもリアルに実感させてくれた。

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ついでにせっかくだからと思い近くにあった千仏鍾乳洞に入ったら、洞内が途中から水没しているという珍しい構造のところであり、滑る足下に気を付けつつ、膝上まで捲ったジーンズを濡らしながらかなりの冒険気分を味わうことが出来た。

が、このクソ寒い中で、場所によっては飛沫を上げて足下を洗い続ける湧水に突っ込むのである。正直途中からは足の感覚がなくなりそうだったが、坑内ということもあり水温は一定らしく体調に危機が及ぶようなことはなかった。これもなかなか出来る経験ではないので、これはこれで非常に面白かった。ただ一つ誤算があったとすれば、年間を通じて一定だということで外よりも暖かい洞内と、湧水による豊富な湿度のおかげでカメラのレンズが最初から最後まで曇りっぱなしでロクに写真が残っていないということくらいだろうか。

その後は一般道で北進しつつ、門司、門司港のレトロな建物を巡っていく。門司港駅が改装中だったのは残念だったが、歴史ある町並みを堪能することが出来た。そうこうしているうちに日没を迎えたため、夕飯の検討に入る。

ここで敢えて関門トンネルを使って、一旦山口県側に入る。実は車の場合いつも高速なので、ここを橋で越えることはあるがトンネルで越えたことはなかったのだ。感想はというとまぁ普通のトンネルなのだが、なんとなく両方達成すると気分がいいものである。

山口県側まで戻ったのは実は牡蠣小屋に行くためであった。どうも探した限りだと福岡側にもあったようなのだが、雰囲気がよさそうだったのでわざわざ山口側まで足を伸ばすことにしたのである。

ナビに指示されるまま漁港らしき(夜なのでまわりが真っ暗でよくわからない)場所の更に奥、一体こんなところに店があるのかというような場所に突き当たると、突然ビニールハウスのような店舗が現れた。それこそが目的地たる牡蠣小屋であった。

以前行った伊勢の牡蠣小屋は定額食べ放題というシステムだったが、ここは一カゴ1,000円とオプションで各地の牡蠣が選べるという選択制。色々考えて地元産と福岡産のを一つずつから始めたのだが、結果としてはその二つで十分だった。たぶん40個くらいは食べたような気がする。おまけにマスターに横浜から一人で来たことを告げたところ、少しオマケしてもらった。人情が身に沁みる旅である。

腹も満腹になったところでホテルへと入り、少しの間ホテル周辺をうろつく。するとTwitterでは「せっかくだからうどんを喰え」という流れになった為、本日二度目となるうどんを食べに行く。

といってもこの時間(既に十時近かった)に開いているうどん屋はそうは多くないので、当地で有名らしいチェーンの資さんうどんである。余談だが、この資さんうどんは多くの店舗が24時間営業という関東圏でのうどん屋の常識を打ち破る営業形態である。讃岐をはじめとした多くの地域で「営業時間が短ければ短いほどうどん屋として偉い(?)」みたいな風潮すらある中で、この24時間うどんを食べたいという姿勢は見習わなければならないのではないだろうか。誰が誰にだ。

冗談はさておき、ほとんど深夜のような時間にも関わらず店内は結構混んでいて、やはり日常の中にうどんがあるのだなという気持ちになった。そして更に満腹になった。ホテルに帰りそのまま倒れ込むように就寝。主に食べ過ぎのせいで。

翌朝。

朝風呂をキメたらチェックアウト前に簡単に駅前を散歩し、二日目の行動を開始する。今日の目標はスペースワールドとうどんである。正直そろそろラーメンとか喰ってもいいのではと内心思っていたがうどんである。Twitterで教えてもらったオススメの店リストから一番近いところを選んで行ってみる。するとまたこれが衝撃であった。

昨日は暖かい汁うどんばかり食べていたので目先を変えてめんたいマヨぶっかけ(温)という変化球を頼んでみたのだが、これがまた細めの麺が透き通り輝いているという、今までにないものであった。のどごしはなめらかでかつコシもあり、いわゆる福岡うどんのイメージとは若干異なるのだが、文句なしのうまさであった。

事前に調べていたところ、更に隣町になるがこの店と同系列の店があるらしいのでこの時点で続けて行くことに決定。20分ほど走って二件目へ。今度は冷やしでぶっかけを頼む。当然うまい。むちゃくちゃうまい。なんだこれ。

結局二日連続で行動に支障をきたすほどに食べ過ぎたわけだが、それにもまったく悔いがないという恐るべきうどんであった。というか今これ書いてる中でもまた食べに行きたい。そのくらい美味しかった。この時点で二日でうどん四杯目だが気にしない。

その後はスペースワールドに移動したのだが、そういえば旧製鉄所遺構が世界遺産登録されたんだよなと思いつつ高炉跡(※これは世界遺産ではない)やら八幡製鉄所事務所棟やらを先に見て回っていたらいつまで経っても遊園地に辿り着かないという事態を引き起こした。まぁこれもざっくりとしか予定がなく現地の風向きに合わせる一人旅の良い面である。

スペースワールドは混んでいるというほどの人の入りではなかったが、かといって人の気配がないというわけでもなく、ごくごく普通であった。閉鎖の報が流れたから人いっぱいか誰も居ないかどちらかに振り切れているのかと思っていたのだが、そういうわけでもなく、ただただ淡々としていた。例の魚のスケートリンクも中には入らなかったが、特に何か謝罪文が張り出されているといったこともなく、やっぱり普通であった。

そしてこの年にして男ひとり遊園地という偉業の達成に画面右上で実績解除のテロップとファンファーレが鳴るのを内心で噛みしめつつも、ぐるっと一周回ってみたが、やっぱり特別な悲壮感はなく普通であった。

もちろん大盛況の状態を基準に作られた建造物である遊園地というのは、少しでも人出がそれを下回るとガラガラの通路が出現することになったりと途端に悲壮感が漂うように出来ているのだが、しかしメンテナンスの痕跡は確かに感じるし、実際それほど待たずに乗れてかつ誰もいないというわけではないというある意味プラスに感じられる程度の人は来ていた。来園者にとってはそう悪くもないように思えたのである。

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そんな中、絶叫マシンは苦手なので、最後にここに来た記念として一人で観覧車に乗ってみることにした。ここでもまたろくでもない実績が解除されたなという自覚を感じつつもゴンドラに乗り込んだ瞬間、一つ思い出したことがあった。高いところ苦手だったんだった。

高所恐怖症の人というのは、起こりうる最悪を勝手に想像して自分で自分を追い詰めてしまうが故に恐怖を感じるそうだが、実際にこの時の気分もまさにそれで、普段よりも強い風のことや、ゴンドラが軋む音や、果てはゴンドラ内で席を移動するときの僅かな揺れなどの全てが自分にとって敵であり、空中に取り残されたような気分を味わう羽目になった。

とはいえしばらくするとそれも落ち着いて、窓の外には暮れゆく街が広がっている。先ほど足を伸ばした場所も含めて眼下に広がる町並みには、やはり乗っておいて良かったと感じさせるものがあった。そしてふとゴンドラの中を見渡すと、扉とは反対側にノートがつり下がっていた。いわゆる無人駅などにある駅ノートと同様の意図で置いてあると思われるそれを開くと、1ページめから閉園に触れた書き込みが続いていた。ここに思い入れを持っている人達がいて、そうした人達の思いに触れると、なんだかこちらもしんみりした気分になった。

そういえば、思い出の場所が消えてしまったということはいくつも経験がある。そして消えてすぐの頃は容易に思い出せたそれらも、いつしか景色が上書きされていく中で次第に薄れていってしまう。消えゆくものであるならば、せめてそうなる前に触れてそして書き残しておこうと考えてここに来た人達のことを考えると、なんとも言えない気分になる。寂しさかもしれないし、最後に間に合っている羨ましさかもしれないし、なんというか一言で言い表せないのである。

もう来ることはないかもしれないし、興味本位で初めて来た者が言えた義理はないかもしれないが、そういう思いの一端に触れただけでも来て良かったのだと思う。

しんみりしながらも車に戻り、いよいよ旅は最終局面に向かっていく。指定された航空便はほぼ最終便なのでまだ夕飯を食べる時間は残っているが、やることと言ったら一つしかない。うどんだ、うどんを喰うのである(半ばヤケ気味)。

実際うどんに始まった旅なのだからうどんで終わらせるのも悪くないかとは思ったものの、既に昨日から数えて三食続けてうどんであるし次が四食目となるともはやうどんグランドスラムとでも言いたくなってくる。四大大会制覇である。

そして最後に残された店、こいつが強敵であった。「福岡のうどんらしいうどん」というのは聞いていたのだが、注文時に大か小か聞かれてうっかり大、ついでにごぼう天を頼んだところ、これがまぁ想像を超える代物だった。

まずごぼう天はこれまでに他の店で目にしたり口にしてきたような笹掻きではなく、丸々切ってあるか半割にしてあり、トータルだとゴボウ1/2本くらい食べてるのではという怒濤の量。 食物繊維の鬼である。そしてこんな丸のままなのにうまいのだから悔しい。

うどんもまたここに来て初めてテンプレート通りに福岡うどんらしいというか、一部で言ういわゆる福岡うどんの特徴の「太い・柔らかい・汁を吸って更に柔らかい」という基本を忠実に守った代物であった。ここで初めて「ツユ追加」という独自の文化を経験することになる。食べててツユが足りなくなるって、ザル蕎麦じゃないんだぞ。そして飲んでもいないのに目に見えて汁が減ったということは、すなわち麺の量が増えていることを意味している。故に食べても食べても終わらない。

結局、都合五食目のうどんはなんとか完食して面目を保ったが、最後に待ち受けていたのはまさしくこの地でなければ味わえない、本場の味でありラスボスであった。

結局この二日間常に食い過ぎているなと思いつつも最後の力を振り絞って空港へと戻り、最終の飛行機までには腹も多少は落ち着いた。そして特に問題もなく羽田まで戻って、旅は終わりを告げたのであった。

翻ってみると、今回の旅はランダム要素とテーマ性がうまくバランスして楽しく過ごすことが出来た。そもそも行き先からしてランダムだったわけだし、その訪れた先から妙なテーマ性が派生してひたすらうどんを喰いまくることになったのもまた楽しい偶然の産物である。

そして最初の方でも述べた通り、この地は「どこかに」行くというのでなければ、これまで独立した目的地としては考えてもいなかった場所だった。しかし、行ってみればこの通りである。そういうところに気付かせてくれたというか、行く切っ掛けを作り出してくれたというだけでもこの旅は大成功だったと言える。

ましてこの旅行、費用としてはたいして掛かっていない。その気になれば二度目、三度目が試せるくらいのマイルはまだ残っている。別にJALの回し者ではないし書いたからと言って何か得があるわけでもないのだが、ステマどころかここを見ている人達にはダイレクトにマーケティングしたい。そんな気分である。これは本当に格安移動の一つの革命だと思う。マジで。

……ランダム旅行、正直言って超が付くほどオススメです。是非その際は適度にスカスカの予定を組んで、出来れば現地で見たもの聞いたこと知ったことに流されつつ、楽しんで。早くも二度目の予約を検討するくらいには、いい旅でした。