インターネット

無名サイトのつづき

インターネットの怪異

そのことに最初に気付いたのは、ずいぶん前だったような気がする。

通勤時間の暇潰しのためにWikipediaのアプリを入れてたまに読んでいるのだが、そのアプリの機能として「よく読まれている記事」という一種のアクセスランキング機能がある。例えば芸能人が不祥事を起こしたり亡くなればその人のページが翌日ランクインするし、何かの事件の判決が出たらその事件のページがランクインしたりする。ある意味では「ネットユーザーの興味の総意」みたいなところがあるランキングである。

しかし、ある時奇妙な項目がランクインしていたのを目にした。それは「今昔文字鏡」というソフトウェアに対する記事である。あまり一般に知られたソフトではないにも関わらず、今世間一般で話題になっている数々の項目を抑えてランクインしていたのである。

 

ja.wikipedia.org

 

これだけなら「まぁ一部で何か話題になったんだろう、たまにはそんなこともあるよね」で済んだ話なのだが、さらに奇妙だったのはこのランキングの顔ぶれは(その時々のニュースに応じて)変わっていくのに、今昔文字鏡だけはその後もコンスタントにランクインし続けたのである。

このことに一番最初に気付いたのは、記録(ツイートやスクリーンショット)に残っている限りでは2019年1月頃であるらしい。下記の画像は2019年2/22時点でのスクリーンショットだが、これを調べた時には1/23まで遡りその時点でもランクインしていることを確認している。

 

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なお、補足しておくと当時一位の北海道の地震ちょうどこの前日に同地域にて震度6弱の地震があったことから多く検索されたものと考えられる。

冒頭でも述べたが、このようにある程度世間の空気というか、今話題になっているものが検索されがちであり、それらがオールジャンルの百科事典であるWikipediaのランキングにもある程度反映されるという点については広く同意して頂けるものと思う。

さて、そうした点からすれば今昔文字鏡という項目のランクインはいかにも不自然だった。このソフトは一部のそれを必要としている人にはこの上なく大切かもしれないが、一方でほとんどの人が触れることはなく、必要ともしていない。ここにランクインしなければおそらく一生存在を知らなくても生きていけた、そんな類いのソフトである。

 

……というわけで、ここでこの記事を書いている4/24時点のランキングを見てみよう。驚いたことに、「今昔文字鏡」という項目は現在においても、変わらずランクインし続けているのである!

 

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ちなみに1位は池袋の母子死亡事故を起こした人物、2位は不倫報道があったアナウンサー、4位は暴行事件を起こしたメンバーがいるグループ……と、まぁ話題になるのも頷ける「何かあった」人達揃いである。こうしたメンツの中にあって今昔文字鏡という項目の存在は、やはり異様であると言っていいと思う。

しかし、そうは言っても「あの」Wikipediaである。好き嫌いは別としても、もはやネットユーザーで利用したことのない者はいないのではないかという規模のモンスターサイトなのだ。これだけのサイトで少なくとも三ヶ月以上に渡ってアクセスランキングの上位に入り続けるというのは、一種異様な出来事である。

しかし、その理由もよく分からない(なにせ今昔文字鏡を作っていた研究会は19年2月に解散とその項目にある。もはや話題が生まれようもないのだ)。仮に宣伝か何かの目的でランキング工作を試みるような者がいたとしても、もはやその対象は存在しないのである。

モンスターサイトであるが故にWikipediaでアクセストップ5に入り続けるということは生半可なアクセス数ではあり得ない。またその話題は日によって変わっており、一週間もすれば通常は全く入れ替わっている。にも関わらず、この項目だけがランクインし続けている。そしておそらくは宣伝というわけでもない。宣伝する対象が既に存在していない。そしてもちろん、世間一般で(例えば今話題の事件・事故を抑えてランクインするほどには)話題になっているとも思えない。まったくわからないことだらけなのである。

故に、インターネット上の不思議な出来事としてずっと心の隅に引っかかり続けていた。これはインターネットの怪異と言ってもいいだろう。

しかし、今日になって「ひょっとしたらこのせいでは?」と思えるものが見つかったので仮説としてここに掲載しておきたい。

……現在、Googleで「今昔文字鏡」と検索した際に(Wikipedia以外に)上位に掲載されているサイトに、下記のようなものがある。

 

www.seiwatei.net

 

これは、Unicodeと互換性を持たない今昔文字鏡独自の文字コードを相互に対照すべく作られた一覧表であり、片方にUnicodeの文字、もう片方に今昔文字鏡でのフォントファイルが表示されるものであった……らしい。

らしい、というのはどういうことかと言えば、このフォントファイルはかつて今昔文字鏡のwebサイト上でgifファイルとして提供されていた(例えば4E00「一」に対してhttp://www.mojikyo.gr.jp/gif/000/000001.gifというアドレスが対応してリンクされている)のだが、現在はサイトが消滅しており、画像は全てリンク切れの扱いになっているのである。

そして、この消滅したサイト(http://www.mojikyo.gr.jp)はトップページはおろか、どの階層のファイルを指定してもWikipediaの「今昔文字鏡」の項目にリダイレクトされるようになっている。

これはどうも、これまでの経緯をトップページに掲載しておくことすら面倒になった管理者側が「だいたいここにまとまってるから勝手に参照してくれ」とWikipediaに説明を丸投げしているようなのである。

まぁ、トップページがWikipediaに転送されるだけならば、ある意味(?)賢い使い方だなと思うのだが、問題は「全ての階層・全てのファイルがWikipediaに転送される」ようになっていることである。例えば先に挙げたgifファイルをリンク形式で貼っておくが、おそらくWikipediaに転送されるはずである。

http://www.mojikyo.gr.jp/gif/000/000001.gif

さて、これがどういう事態を招くか、カンのいい人ならばすぐにお分かりだろう。先程の一覧表のページに貼り込まれた、10列×32行のgifファイル……これが全て消滅したサイトへの直リンクとなっており、その直リンクは全てWikipediaに転送される。つまり、このページを一度表示しただけで、おそらく該当のページは320回参照されることになるのである。

もっとも、webカウンター等では重複アクセスは弾くようになっているのが普通なので、果たしてここで320回表示されたからといってそれがダイレクトにランキングに反映されるかどうかというのは実のところよく分からない。しかし、他に今昔文字鏡という項目がランクインするような要素は微塵も存在しないように思えるので、やはりこれが原因なのではないかと考えている。ランキングに入るためのアクセス数は知るべくもないが、このサイトを参考にしている人が数ページブラウジングするだけでWikipediaの該当のページには数百から数千のアクセスが記録されるはずである。

ちなみに上記の対照表を作った人物はどうやら今昔文字鏡というソフトのあり方に相当な不満を持っていたようで、それが結実したのが上記の表であったとも言える。

しかし、このサイトのトップを読む限りではそうしたサイトを作っていた人物も既にこの世の人ではない。また、戦いの相手であった今昔文字鏡も、もはや消えてしまった。

そして、2019年現在にあっては当事者(?)がいずれも去ったというのに、今昔文字鏡の管理者側が手抜きをしてWikipediaにリダイレクトし、一方で対照表が作者の死後も更新されることなくそのまま維持されたが為に摩訶不思議な影響力が発揮されてしまった。

バタフライ効果という言葉がある。この言葉は当初の学術的な意味を離れて、現在では「蝶の羽ばたきのようなごく僅かな出来事がやがて想像もしなかったような結果を生み出す」といった意味でも使われている。

そういった意味では、この一件はまさしくインターネットにおけるバタフライ効果そのものである。画像の直リンクをしていた管理者が去ったことと、そのリンク先が消滅したこと、そしてリンク先のリダイレクトにWikipediaが設定されたこと。これらの出来事は個別に見れば蝶の羽ばたきにも等しい出来事だったはずだが、それらが積み重なった結果、ついには超巨大サイトであるWikipediaのランキングを揺るがす事件になってしまったというわけである。

とはいえ、これは上記の推測が正しければの話であり、実はあずかり知らぬところでここ数ヶ月の間今昔文字鏡が大人気であり、皆がWikipediaでこぞって読み漁っている……という可能性もゼロではない。だが、そうだとすればそっちの方が恐ろしい話に思える。

もちろん、これらのページの作者には「Wikipediaのランキングを荒らしてやろう」などという意図は微塵もなかったはずである。それなのに結果がこうなのだから、意味不明で面白い。この一連の流れはまさしく蝶の羽ばたきが嵐を生んだわけで、改めてインターネットの怪異そのものであると思った次第である。

[2019年10月1日追記]
本記事について、片方の当事者である(あった)方が当記事にコメントをお寄せ頂きました。コメントから、本記事の内容には一部誤りがあったことを追記致します。詳しくはコメント欄も併せてご参照頂きたいのですが、Wikipediaへのリダイレクトについて本文中では「手抜きをして~」と表現しておりますが、この部分に関してはきちんとした考えあっての設定とのことでした。ここにお詫びして訂正いたします(本文については当初のままとしてあります)。

看板に偽りがあるとして

今年も松屋にごろごろ煮込みチキンカレーが帰ってきたので、筆を執るにはこのタイミングしかないと思い、書き残しておく。

ごろごろ煮込みチキンカレーとは、松屋不定期に実施する季節メニューの一つであり、文字通り大ぶりのチキンが入ったカレーのことである。というかまぁ説明するより松屋のページ見てもらった方が早いと思う。わりと人気のあるメニューで、だいたい半年から一年に一回くらいはリバイバルされている、ある意味で定番メニューである。

さて、このごろごろ煮込みチキンカレーであるが、実のところ名称に一つ重大なミスリードが含まれている。それは「煮込み」の文字である。

一般的に「煮込み」カレーといえば、具材が「カレーである程度の長時間煮込まれている」ことを連想するものだ。というか、それが自然であると断言しても良いだろう。

しかし、ごろごろ煮込みチキンカレーにおいては、実のところそうではない。それは実際にこのカレーを頼み、鶏肉単品で注意深く味わってみればわかる。この鶏肉にはカレーのような味の濃いソースで煮込まれれば多少なりとも発生するはずの「味の染み込み」がまったく無いのである。

調理手順については想像するほかないが、この味が染みていないという事実からは、この鶏肉はセントラルキッチンで予めカレーと共に煮込まれたわけではなく、茹でるか蒸すかされた後に軽く焼かれて、その後に初めてカレーソースと合わさったのではないかと考えることが出来る。つまり、一般的な意味で「煮込まれ」てはいないのである。

というか、以前このカレーを食べた時、深夜で店員も面倒だったのか、カレーのかかり方に偏りがあり、鶏肉の一角にカレーソースがかかっていない部分があった。つまり、最初からカレーと鶏肉が一緒にされているのではなく、別々に展開されているのではないか……というわけである。

とはいえ、これは少ない労力で多用なメニューを展開する為の企業努力の結果に他ならない。そしてそれはこの鶏肉以外も同じ事である。松屋における定食メニューは基本的には牛豚鳥の肉+タレという形でバリエーションが構築されており、季節メニューについてもタレを変えることによってアレンジが行われている。

このため、ごく一部ではその基本となるレディメイドの肉を「松屋肉」と呼んでいる。松屋肉+タレというのが、松屋における定食のバリエーション構築の基本形なのである。

さて、上記の考察から、おそらく松屋肉は「(少なくとも)カレーで煮込まれて」はいない。果たしてこのミスリードは糾弾されるべきであろうか? 一般的には味のほとんど付かない状態で加熱されている鶏肉は「煮られた」……ましてや「煮込まれた」の定義からは逸脱していると言えるだろう。つまり、煮込みの看板には偽りがあるのではないか、というわけだ。

しかし、である。

カレーにおける価値として「大きく、柔らかい肉がたくさん入っている」という事実はごろごろ煮込みチキンカレーに圧倒的な価値を生み出している。それは、カレーで煮込まれたかどうかなどという些細な論点など消し飛ばしてしまうほどのとてつもない価値である。たくさん肉の入っているカレーは強い。これは紛れもない事実だろう。キチンと煮込まれた少量の鶏肉よりも、煮込んでないけど大量の鶏肉。……こういう選択肢も存在して然るべきだし、事実支持されているわけである。

また、そういった意味では「味のほとんど付いていない肉にかけてもそれを感じさせないソース」としてのカレーのポテンシャルも相当なものである。多くの場合、顧客はカレーソースと肉を一緒に口にするわけであり、そのような食べ方をする限り、鶏肉に味が染みていないという問題点は容易に覆い隠されるのである。これは他のタレに比べた場合のカレーのアドバンテージでもある。こうした点においても、ごろごろ煮込みチキンカレーは見事なメニューであるといえる。

つまり何が言いたいかというと、期間限定なので今のうちに食べておいた方が良いということである。

※なお、実際のごろごろ煮込みチキンカレーの調理手順等は不明な為本ブログの記述には推測を含みます。

続HOW TO GO

2015年3月、例の原発事故以降に定められた規制区域、その範囲外ギリギリだった富岡駅跡へ行った

当時のことは当時の記事を見てもらうとして、2011年に起きた地震及び津波の結果──つまり、その時点で4年経過している──とは思えないほどに、何もかもがそのままだった。

駅舎はそこに何かがあったことが信じられないかのようにホームだけを残して消え去っており(これは15年1月に解体されたらしいので、ちょうど撤去直後だったようだ)、振り返れば様々な建物の残骸が未だに残っていた。当時の記事に掲載した折れた電柱はその象徴だったが、これ以外にも隆起してひび割れたアスファルト、ひっくり返った車、立ち入り禁止のロープ……そのいずれもがその日に何があったかを伝えていた。

そしてまたそれから4年経った2019年3月、たまたま福島方面に行く用事があったので、再度レンタカーで富岡駅を訪れた。

そう、ここはもう駅「跡」ではない。当時と違い現在では常磐線はここまで復活しているのである。とはいえ、今のところ南側の終着駅(?)でもある。だが、これより北についても復旧の計画自体は進んでおり、訪れた当日も様々な工事が進められていた。

果たして4年の月日を経過したその一帯は、当時とは別物であった。あれだけあった倒壊しそうな家屋はほとんどが撤去され、それに伴って区割りが行われ、真新しい建物がいくつも建っている。

その変わりようを目にして、まるで狐につままれたかのようだった。

もちろん、色々なことが前に進んでいる、その結果なのだからそれ自体は大変に素晴らしいことである。とはいえ、2011年3月からの4年と、そこからまた4年とでは、全く時の進み方が違ってしまっているのではないか、そんな感想を抱いたのも確かである。

そんな真新しい建物が建ち並ぶ中に、一件だけ「割と新しそうな見た目をしているのに立ち入り禁止のロープが張られているアパート」を見付けた。表札やポストに目をやってみると、使われた形跡がなく、チラリと見える室内にも家具や家電が運び込まれた形跡がない。

怪訝に思って裏に回って給湯器を見てみると、そこにあったのは「2011年1月製造」の文字。それで全てを察することが出来た。

規制解除以降に現れた真新しいアパート群と、この築8年なのに未使用のアパート。見た目の上ではほとんど同じようなものなのに、ずいぶんと境遇が違うものである。

さて、このペースだと次は2023年に行くことになるのだろうか。その時にはきっとまた、何もかもが変わっているのだろう。そう願っている。

CP+に行ってきた(のと消えていったものたちへの鎮魂歌)

会場が近いということもあり、一応カメラ趣味者の端くれとしてCP+はほぼ毎年行っている。なので今年も行ってきた。ただ、最近は行き始めた当初の新製品を触るという目的からは若干シフトし始めていて「どうせあと数ヶ月も待てば触れる新製品並んで試す必要とかないじゃん」という気持ちが優勢になっている。なので発表済新製品の列に熱心に並んで、メーカーの人の説明を食い入るように聞いて話し込むみたいなのは最近はあんまりしていない。

ではなんでそんな状態なのに、そして今まではここでCP+のことなど記事化していなかったのに急にここで突然CP+のことを書くつもりになったのかというと、一番の理由は「発表はされたが出てこない機種が確かに存在する」からである。かつてはペンタックス 645Dなどがその筆頭であったがあれは開発凍結からかなりのブランクを経て無事復活し、現在でもシリーズが続いている。

本当に出てこなくなってしまったものはと言えば、一番最近の例はニコン DLである。CP+2016の時にタッチトライが出来る(≒動作機が既に仕上がっている)状態で、各販売店にはカタログまで配布されたにも関わらず発売延期が続き、最終的には2017年2月……つまり翌年のCP+の直前に正式に発売断念が発表された。こうした経緯から、発売中止になったカメラとしてはおそらく一番有名な機種の一つである。

また、発表されたDL3機種の中で、特に一部に熱望されていたDL18-50は2019年現在でも相当品が存在していないため、余計に伝説の存在になっている。コンバーターなしに24mm以下の広角が使える高級コンパクトは後にも先にもアレしか存在しないし、発売された機種はないのである。

ちなみにこの時(CP+2016)は実際に展示品を触っており、(当初は2016年6月発売予定だったということもあり)すぐ発売されてもおかしくない程度には仕上がっていた。またこの時多少説明員の方ともお話をしたのだが、言葉の端々に「高級コンパクトでの失敗を取り返す」という意識が感じられ、これは気合い入っているなと思いじきに出たら選択肢の内に入れよう、と思ったのを今でも鮮明に覚えている。

なおここで言う「高級コンパクトでの失敗」とは直前にニコンの高級コンパクトとして君臨したはいいものの同時期に出てほぼ同等スペックだったリコーGRに完敗してしまい、今では覚えている人も少ないcoolpix Aのことでありこっちもこっちでツッコミどころはたくさんあるのだが、ひとまず本筋とは関係ないので置いておく。

流石にこのレベルでの発売中止はなかなかないが、乏しい記憶を辿ればいくつかはそういった参考出品だけに終わった存在や、無事発売にこぎ着けたものの最終的には仕様(塗色など)が変わったものの例がある。

例えば2017年のCP+に出展されたカシオ EXILIM EX-FRシリーズの「赤外線カメラユニット」仕様である。

ご存じのようにコンパクトカメラの雄であったカシオはこのあと2018年にデジタルカメラからの撤退を行うため、これが国内展示会での最後の出品となったのだが、こうした製品化に至らなかったモデルの提案も行われていたのである。

そもそもこのFRシリーズのユニットも、分離型であることを活かして当初のスポーツ・アクションカム的な立ち位置の他に、監視カメラ用の超高感度CMOSを使用したユニットや、ゴルファー向けユニットであったり、高所点検用のユニットであったりとかなりニッチなところを攻めていたのだった。

おそらくこのカメラも、高所点検用ユニット同様、台数は少ないが確実に価格が維持できる(+この内容ならガジェットオタクにもウケる)という辺りを狙っていたのだろう。赤外線センサー部分自体は実績のあるFLIR社とのコラボであり、同社のコンシューマー向け製品としてはスマートフォンに内蔵したり、あるいはスマートフォン向けの外付けユニットが存在していて、このカメラもある意味でその延長線上に存在していた。

当時仕事でこうした赤外線カメラを使っていたことがあったのだが、そのカメラはNEC三栄(現日本アビオニクス)の数百万もする業務用機で、壊したらどうなるかわかってるだろうな、と脅されながらの使用であったので、もしこの赤外線EXILIMがそれよりも安価なラインに降りてくるのであれば(おそらくはそうなるはずだった)、業務用として是非欲しいなと感じたのである。しかし、結局これも世の中に出ることはなかった。

また、このカメラはブースのメインとしてではなくあくまでも開発中の参考展示としてひっそりと公開されていた。当時のカシオはCP+に来るようなカメラに熱心な層──要するにカメラオタク──向けの製品を持たなかった為、ブースの雰囲気も女性層へのアピールがメインとなっていた。これがカメラオタクにとっては興味の範疇外と思われてしまったのか、デジカメWatchをはじめとした国内ニュースサイトにもカシオブースの詳細なレポートは少なく、結果このカメラは全くと言って良いほど取り上げられていない。唯一日経エレクトロニクスが記事化したくらいである。本当に誰も知らないカメラなのだ(おそらく一般ユーザーが触れたのはこの時のみ)。

大々的にアピールをブチ上げた末に思いっきりコケてしまったが故に「カメラオタクなら誰でも知ってる」象徴的な存在になったニコンDL。

それとは対照的に「ニュースサイトを読みあさったり実際に会場に足を運んだカメラオタクですら誰も知らない」カシオ赤外線EXILIM

 この他にも、ケンコー初のレンズ交換式デジタルカメラになる予定だった……のに開発してる最中にペンタックスからQが発売されてしまい、用途が被る(Qはアダプター経由でCマウントレンズが使用可能)ことからフェイドアウトしていったケンコーCマウントカメラ(2011年3月展示・ペンタックスQは2011年8月発売)や何本かのレンズなど、こうした「展示会にしか出なかった」例は確かに存在している。

しかしここまで書いてきたように、消えていったカメラやレンズにもそれぞれのエピソードや狙いが存在する。しかしそれらはいつしか皆の記憶に溶けて、消えてなくなってしまうのだ。なので、展示会へ毎年行くようなカメラオタクの一人として、せめてそれを見たり触ったりした者の一人として、それらが確かに存在したことを何処かに書き記しておきたいと思った次第である。

どんなものでも、展示されているものが無事製品化されるまでには様々な苦闘が存在する。その上で、たまには「消えていったものたち」へ思いを馳せるのも悪くはないのではないかと思うのである。そして出来れば、そうした展示段階のものが少しでも報われるようにと、強く願うのである。

今年の話まったくしてねぇ。

パロディの彼方に

2ch(現5ch)の名スレで「ジブリタイトルを組み合わせて一番面白い奴が優勝」というものがある。

アレをいろんなところで見る度にいつもモヤモヤしているので、今日はそれについて書き残しておこうかと思う。久しぶりにここに帰ってきて最初にやることがそれかよと言われると立つ瀬がないが、まぁそれはそれとして。

詳しくは先のリンク先を見て頂きたいのだが、このゲーム(?)は途中で大きくゲーム性が変質している。詳しくはリンク先などを参照してこれまでの優勝作品をザッと眺めて欲しいのだが、簡単に言うと、パロディタイトルを作る上で以下の二つのどちらの方向性を取るかという問題である。

1.「最小限の改変で全く別の印象を持つタイトルにする(初期 1~5回の優勝作品の方向性)」
 例 耳がきこえる(第1回)・豚トロ(第2回)・山田なりの恩返し(第5回) など

2.「タイトルを単語・文字単位で切り刻んで長文を作る(6回目優勝作品から登場しその後の主流に)」
 例 山田君のティんぽこからトロトロとエッティなものが(第6回)
   宅急便 山田のおなホをとなりの千尋んち二とドける(第24回) など

さて、個人的には前者の方向性の方が好きだし、レベルも高いと思えるのだが、一方で第6回以降の優勝作品が主に後者の方向性であることから、一般的な(?)ウケは後者のようである。

では何故、一般ウケしない前者の方が好ましいと感じるのか、理由は三点ほどある。

まず一つ目の理由。そもそも「ジブリタイトルを組み合わせて」ということはこれまでに発表されたジブリタイトルという制約の中で面白いタイトルを作ることが目的である。ある種制約の中での頭脳戦というわけだ。

しかし、ジブリタイトルは相当の数があり、また年々増えていくため、使える文字自体は比較的自由度が高い。故に、文字単位で切り刻んでしまえば比較的いろいろな文字が使えるが、文字種は混在してしまう。例えばカナとかなが混ざったり、漢字の読みを無理矢理当てはめることになるわけだ。

優勝作品における活用例としては第6回の「ティんぽこ」がその嚆矢であるが、本来であればストレートに「ちんぽこ」としたかったであろうところを、当時はまだ「ち」が使えない(第6回は11年5月開催・タイトルに「ち」が入る『風立ちぬ』の公開は2013年)という制約から「ティ」が充てられている。

しかし、本来であればストレートに「ちんぽ」や「ちんぽこ」としたかったであろうところを無理矢理かなカナ交じりで「ティんぽこ」としたことで、そのツギハギ感が前面に出てしまった。これはスマートな解決方法ではないと感じる。

第二に、難易度の問題である。先に述べた通り、文字単位で切り刻んでしまえば、かなりの自由度がもたらされる。こうしたことから、第6回大会以降の方向性は「まず最初に面白いネタ的な文章を作り、それがジブリタイトルの使用する文字で成立するように文字単位で当てはめて行く」作業になっているような気がしてならない。

これは第21回優勝作品「こんなん坂ちがウ崖やんおすなや」で最高潮に達している。この作品は一文字単位で切り貼りされており、ツギハギ感も極まっているが、同時に流石にこれだけバラバラにすればそりゃなんとかなるよなという諦観のようなものも感じられるのである。

そして第三の理由はこれまでに述べてきたこととも通じるのだが「文字単位で切り刻んだものは秀逸なパロディにならない」ことである。

そもそも、「ジブリタイトルを組み合わせて」という趣旨には、素敵なジブリタイトルを元ネタにしながらも、改変によってどれほどの「落差」を生み出せるかという、元ネタとパロディの関係性が存在している。

故に、我々はその改変タイトルの切れ味を評価する際に、常に元ネタとなるジブリタイトルが頭に浮かんでいる。第1回の「耳がきこえる」などは「耳をすませば」と「海がきこえる」の(一見美しいがそれ単体では何のことを指しているのかはよくわからない)間接的かつ詩的なタイトルの二つを組み合わせたら、まったく当たり前で直接的なタイトルに変わってしまったという「落差」に驚き、笑っているのである。

しかし、それも「何が元ネタになっているのかわかる」が故のものである。その点において第2回「豚トロ」などは、ほとんど文字単位に分解され、文字数を極限まで削っておきながらも元ネタの輝きは失われておらず、誰でも「アレ」と「アレ」が組み合わされていることが理解出来る(この点において、元ネタとは違う読み方で「豚」を使ったにも関わらず、全くそれを感じさせないのも凄い。言わば反則ギリギリなのに、先に述べたようなツギハギ感を感じさせないのはまったく見事である)。

しかし、文字単位で分割し、それで長文を作ろうとすると話は別である。各タイトルの輝きは使われる作品が多くなるごとに失われ、埋没していく。一文字単位で使われたタイトルの元ネタに、もはや深い意味は無い。ただ単に都合のいい文字が使われていたから、きっとそれだけである。そこにもはやパロディの精神はない。

故に、あくまでも個人的にだが、本来評価されるべき笑いは「最小限の改変で最大限の切れ味」というパロディ性のある、初期の作品にこそ存在すると考えている。だが、近年の優勝作品の傾向を見る限りでは、おそらくそうした点を評価する人というのは少数派になっているようだ。

初期作品こそが素晴らしく以降はクソというのは「ファーストアルバムこそ至高と言って憚らない頭の固い音楽ファン」のようで少し嫌なのだが、しかし一文字単位で分割され、何作品もの原形を留めない小間切れの中から無理矢理作り出された長文タイトルには、個人的には一切パロディとしての魅力を感じないのである。