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インターネット

無名サイトのつづき

ロギン

ちょっと前に、食べたものを全て記録するとかそういうダイエット法が流行ったような気がする。

なるほど記録というのはあとに残るものだし、ある程度のデータが蓄積されれば比較検証もしやすい。そしてなにより、記録するその瞬間になってふと「ああこんなに食べるのか(もしくは食べてしまったのか)」と冷静になれるという効果もあるのだろうかと思う。実際に試したわけではないのでよくわからないけど。

僕も意識して付けているログがいくつかある。たとえばTwitterなんかはライフログなんて言われかたもするし、実際にあとから見ればログそのものだ。自分の日記なんかも立派にログとして機能している。たいていの場合は書いてある内容が非常にくだらないから他人は誰も価値を見出さないけれども、自分の手による自分の記録と考えればあれほど有用な物はない。ならばSNSの日記だってログそのものだろうし、そういえば一昔前はインターネット上で日記といえばSNSではなく個人サイトだった。今考えればどちらかという自分の日記と言うよりはフリースタイルのネタサイトだったのかもしれないが、とにかくにもそういう時代もあった。このあたり本題と関係ないのでそのうち懐かしむとしてあとは省略。

僕の場合は、最近は食べたもののカロリーと、お小遣い帳が代表的な記録となる。これはどちらもそれなりに続けられている。ただ、あとで見返したり検証したりする為に付け始めていた割には痩せてイケメンになったたりお金持ちになったりしていないので、たいして役に立っていないのではないかという疑念もある。そもそもこういうものは、たとえば出費の傾向を掴んでいかにそこを抑えるのかというPDCAが大切なので、ただ単に記録して先月こんなに使ってるよアハハと言ってるようではなんの意味もない。結局のところ復習をしなければ何も身につかないということである。

ただ、摂取カロリーの総量や今月の出費を見てふと「今これはやめとこう……」と思ったりすることもあるので、前述の冷静になるための効果というのは発揮されているのかもしれない。しかしそれはかなりギリギリのラインでかろうじて効く安全装置みたいな物なので、普段の行動のブレーキにはなり得ないということなのだろう。それでもやらないよりはマシだと思いながら、僕は今日もちまちまと記録し続ける。

人は生きているうちに何を残すのかというのは大変深遠なテーマだが、 たいていの人の模範解答になるであろう遺伝子を残すことを僕は諦めつつあるので、せめてログを残したいと思っている。自分にしか役に立たないようなログを。

たとえば僕が死んだら、それらは一体誰の役に立つ?