インターネット

無名サイトのつづき

能動的15分間

あと二ヶ月ほどで、関西に移り住んでから一年になる。

引っ越し前の狂騒っぷりから考えると、よくもここまで来れたものだと感慨深いものがある。引っ越した当初はこちらにはわずかな知り合いしかいなかったので、必然的に一人でいろんなところをほっつき歩いていたが、そのおかげで関東に居た頃では知らなかった色々なところに行った。

そんな一人歩きの中でも一番のヒットだったのが、心斎橋あたりから電車を降りてひたすら南進していくというものであった。心斎橋→道頓堀→なんば→日本橋→通天閣→新世界→ジャンジャン横町と歩いて行くとそこはめくるめく濃い口関西ワールド。関東人が思い描くステロタイプな関西というモノをこれでもかこれでもかと見せつけられて、しまいには頭がクラクラしてくるほどである。

このルートのいいところは心斎橋からだんだん味が濃くなってくるところで、段階的に頭を慣らしていくことが出来る。このルートを全てこなして最終的にジャンジャン横町で躊躇無く串カツ屋に入れるようになればもうすっかり一人前、といったところであろうか。ちなみに当人は酒が飲めないのでそこまでの境地には至っていない。

そして、このルートがオススメできる第二にして本当の理由は、さらに待ち構える魅惑のオプショナルツアーの存在である。

ジャンジャン横町を抜け、動物園前を過ぎると、それまでに幾分かは存在していた観光客向けの雰囲気は形を潜め、いよいよハードコア関西の深部へと突き進んでいく。ここまででさえ胸焼けするほど濃かったというのに、それを吹き飛ばすかのように更なる深部へ。魅惑のオプショナルツアーとは、この先に待ち受ける「関東になはない光景」たちのことである。

真っ直ぐ進むと、そこはあいりん地区。この場所については先人達のレポートが数多く存在するのでここで多くは語らないが、日本の中でもここでしか味わえないだろうという雰囲気が存分に味わえるステキなスポットである。物価も安いので缶ジュースが50円だったりホテルが一泊2000円程度だったりする。一言で言うならばエキゾチック。誰が呼んだか日本のアジア。

そしてもう一つの見所が、現代に残された赤線、飛田新地である。

関東にいる頃からこの場所の噂は聞いていた。年頃といえば年頃なのでこの場所で行われる事に興味が無いと言えば嘘になるのだが、どちらかというとそうした下半身に直結した興味よりは、その場所の特異性からくる異様な光景の方が気になっていた。そして、おそらく日本の中でも最も非日常感を体験出来るスポットではないかと思い、ずっと心の中に引っかかっていたのだ。

たとえば廃墟だとか、立ち入り禁止の区域だとかといったものも好きなのだが、なんでそういったものが好きなのかというのを自分なりに解釈すると、日常のラインから絶妙にズレてしまった違和感そのものが好きなのではないかな、と思っている。何かの軸がほんの少しズレただけで、日常は違和感のある何かに変貌を遂げて、人によってはデ○ズニーランド以上の夢の国へと変貌を遂げるのだ。

いや、ひょっとしたら意図的に作られた夢の国よりもよほど生々しくて興味深いかもしれない。

そんなわけで、とある日に上記のルートの仕上げとして飛田新地まで歩いて行った。途中の商店街には既に人の気配はまばらで、何かを販売しようと路上で周囲を警戒するおっちゃんを横目に突き進んでいく。この時点で既に心臓はバクバクものであった。

こんな気持ちは、昔池袋でひとり徹夜カラオケをし終わって夜明けの街に降り立ったら、周囲にたくさん人はいるのに全く日本語が聞こえてこなかった時以来である。あの時は日本にいるのに日本でないようで怖かった。

このようにビビりつつとはいえ、せっかくなので一度でも実物を見てみたいという気持ちから現地に到着。すると、インターネットで見聞きしていた通りの光景がそこに広がっていた。一言で言うなら異様。異世界そのものである。自分が訪れたのは20時頃であったと記憶しているが、異様に男性の人通りが多い。それは駅から離れた一角としては十分過ぎるほどのものであった。

そして訪れる人間の目的がほぼ一点に集中しているであろうというのもまた凄まじいものであった。ピンク色の明かりの中で、無言で歩き回る男性を誘う呼び込みの声だけが響き渡る。その雰囲気は殺伐かつギラギラしているのである。ただ一人、その一点の目的から外れて見に来ただけということがなんだか申し訳ないように感じられるほどであった。誰に対して申し訳なく思ったのかは自分でもよくわからない。

そうした施設がある辺りをサッと歩いただけであるが、結構システマチックになっているというか、各置屋にはカーブミラーよろしく鏡が設置してあって、それを目安に通りを歩く者に呼び込みがかけられる。そして顔見せありなので、気になったら交渉、という形のようである。雰囲気を味わうだけだったので実際に聞いてはいないがだいたいこんなものであろう。

この雰囲気は本当に特殊で、良くも悪くも夢を見ているような妙な浮遊感があった。これを体験出来ただけでも関西に飛ばされた価値はあると思える。ちなみにこの形式が残っているのは関西地方でも数カ所だけとのことなので、そういう意味でも希少価値があると思われる。

だが、本当に心に残ったのはこうした雰囲気に圧倒されたことではなく、フワフワした気持ちに浮かされたまま、ふと休憩のつもりで一本入り込んだ裏路地で、そこの家の子供達が無邪気に今日の夕飯を尋ねる声が漏れてきた時であった。

特殊に思える場所であっても、そこには普通の人の普通の生活がある。当たり前なのだが、それだけに色々と考えてしまった。先に日常からズレた部分が面白いと述べたが、そのズレを楽しんでいたはずが、子供の声で急に現実に引き戻されてしまったような、そんな気がした。上手く言葉に出来ないが、それが一番心に残ったのである。

その後、同様に関西方面に勤務になった知人を連れて真っ昼間に来たところ、日曜日の明るいうちから営業しているのには大笑いしたが、ともかくこれが関西にしかない光景の一つであることには異論は無いであろう。余談だが連れて行った知人も同様にカルチャーショックを受けたのか、真剣に再訪を考えているようでまた余計な事をしてしまったような気がする。

というわけで、見て来ただけのレポートであって実際は何も致してはいない。雰囲気だけでお腹いっぱいではあるのだが、とはいえせっかくなので関西にいるうちに人生経験を積むのもそれはそれではないかと思いつつある。能動的に、十五分ほど。