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インターネット

無名サイトのつづき

話は要らねぇ、キャラを下さい

ここ最近の二次創作界隈をぼんやりと眺めていると、なんとなく以前とは状況が違っているような感じがする。

近年流行った創作モチーフとしては東方シリーズであるとか、ボーカロイドであるとか、近々であればアイマスシンデレラガールズであったり艦隊これくしょんであったりすると感じているのだが、それらに共通するのは、元ネタのストーリー性の少なさである。

少なさというとなんか貶してるように聞こえるかもしれないが、要するに最低限のキャラ設定とかはあるが、本筋として原作者の想定する特定のストーリーがあるわけではなく、ストーリー性が断片的にしか語られないという意味である。

そういう作品は、キャラ設定はある程度規定されているが、そこから誰と誰をくっつけるかとか、どう動かすかという部分についての自由度が異様に高い。メインのストーリーがある程度薄いということは、自分設定を付け足すことも出来るし、極端な話ではキャラだけ持ってきてあとは全部オリジナル、みたいな力業すら可能である。現にそういう話も見たことがある。

少し前の感覚だと、二次創作というのはあくまでも本筋があっての二次創作というか、ファンによるパラレルワールドみたいな感覚があった。二次創作の作者側にも「原作で救済されないキャラに対する愛」であるとか「原作のif」を描こうとする感覚が強かったように思える。ある意味で、原作の土俵の上で 原作をどうやってズラして新しい世界を作るかがポイントだったように思えるのだ。

しかしこれは別の言い方をすれば、原作が創作上の縛り条件になっているということでもあり、またこうした空気のもとで原作を無視してキャラを勝手に動かすことは、ともすれば原作の冒涜とみなされる。そういうのが醍醐味でもあり、めんどくささでもあったのだろう。

そう考えると、ある程度の設定が存在しているが、ストーリーが必要以上に定義されていない作品の方が「あとは勝手にやってくれ」であるとか「どんな改編でも正解」という空気を伴うので色々とやりやすいのかもしれない。あるいは本来オリジナル志向を持つ人にとっても、自由度の高さが魅力になっているということはあり得る。

……こうなってくると、今後の流行の元ネタというのはストーリーすら要らないのかもしれない。挿絵と設定の秀逸さが勝負を決める世界。それはそれで殺伐としていそうたが、他人事ながらちょっと面白いかもと思ってしまうのだ。

さしずめ「話は要らねぇ、キャラを下さい」といったところだろうか。