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インターネット

無名サイトのつづき

来年こそミラーレスを買うという話のための前フリ

一日だけコミケ行って知り合いと会って撮影して帰ってきた。

当初は変な機材持っていったら面白いんじゃないかと思いこないだ手に入れたマミヤ645AFで行く気満々だったのだが、あまりにもリスキーだということで結局いつものα900に落ち着いた。結局これじゃなきゃ撮れんのだ。

そんな中、現地では知人のα7を少しの間貸してもらって撮影してみたりしたのだが、帰ってきて現像してみるとなんだかんだで慣れた機材の方が歩留まりがいいという当たり前の結果に落ち着いた。正直なところα7の写りがめちゃくちゃ良かったらどうしようと心配だったのだが、結局のところ撮り手が同じであれば出てくる写真はだいたい似たような物であった。果たして良いのか悪いのか。

その上で、軽くて小さいところにはかなり心動かされた。なんせα7からα900に再び持ち替えたら腕の筋を痛めそうになった。昔は三日間朝から晩までこれを振り回していたというのにである。もっとも、向こうの機材はα7(縦グリなし)にストロボはニッシンi40という最小クラスの代物で、いくらアダプタとレンズで重くなるといっても圧倒的に小さくまとまっている。対してこちらは縦グリに一番デカい純正ストロボである。比べることに無理がある。

というわけでかなりいいなぁとは思ったのだが、同時にEVFについての違和感も残ってしまった。頭ではEVFの方がきっと便利だと分かっていても、なかなか違和感というのは拭えないものである。

ただ、その違和感というのが精細感とかフレームレートとかいう部分ではなく、「覗く前に真っ暗で、接眼してから若干のタイムラグを経て点灯することと、撮影後のブラックアウト」にあったのは自分でも意外だった。自分でも知らぬ間に、接眼した瞬間に見える被写体で簡単に構図を決めているということを繰り返していたのだろう。もっとも、このような違和感は元々NEX-7からレンズ交換式カメラに入った知人にとってはそもそも存在しない感覚のようだ。OVF育ち特有ということかもしれない。

まぁそんなことを言えば、かつてレンジファインダーから一眼レフにカメラの趨勢が移ったときには「像消失のある一眼レフなんて使ってられるか」という声があったそうだし、それと似たようなものであると思うと、このような意見にしても時代について行けない人間の戯言であると看破されそうである。

来年はもうミラーレス機買ってるんですかね。それともずっとα900なのか。