期限切れ間近の飛行機のマイルがだいぶあったので、旅に出てきた。
念の為解説すると、画面中央にある生け簀みたいなのが湯船である。以上。
ちなみにこのような場所にしてはサービスがよく、看板の奥に見える建物は更衣室である。別に冬季閉鎖になったりはしないので、この二月でも鍵は開いており使う事が出来た。
見ていて不安になったので、近づいてみた。
近づいたところでもっと不安になるだけだったが、とにかくにも恐る恐る手を突っ込んでみたらちゃんと温かかった。なお、満潮になると水没するような環境なので湯船の周囲はとても滑る。誤って転落しないよう細心の注意が必要である。仮に転んだにしても、温泉側に落ちればまだいいが、この日の天気だと海側に落ちたらそのまま沖まで流されてしまいそうで気が気でなかった。
このとき、自分以外にもうひと組老夫婦がこの場を訪れていたのだが、この天気と環境では……ということなのか、ひとしきり周囲を眺めると去って行った。
一人取り残されてから少しのあいだ考え込んだのだが、もはや次にここまで来るようなことはそうそうないだろうし、せっかくここまで来て入らなかったら絶対後悔するだろう。結局、旅の恥はなんとやら、ということで入浴していくことにした。
なお、更衣室から湯船までの距離がけっこうあるので、裸で湯船に辿り着くまでの間、一体北海道まで来て何をやってるんだという気分になったことをここに記しておく。
そうは言いつつも、とにかく風が強いので一刻も早く暖まらねばならない。コケの生えた石に滑りかけつつも湯船に浸かると、思いの外深かった。場所によっては膝立ちで膝が着かないレベルである。まぁこのクソ寒い環境下では、浅くて座ったら肩が出てしまうとかよりもよっぽどいい。というかもしそんなことになっていたら風邪を引くのは確実だっただろう。
温泉自体は底の方からわき出ているらしく、海水とミックスされて適温になっているようで場所によって温度がすこし違っていた。気温のせいか全体的にぬるめだったので、しばらく探して、源泉がわき出ているところの近くに陣取った。これでもまだ寒いのだが、我慢出来ないほどではない。
温かい場所を見つけてようやく周囲を見渡す余裕が出来たのだが、目の前に広がる景色は豪快そのものである。眺めをウリにした温泉は数々あり、海のすぐそばという温泉にもいくつか行ったことがあるが、ここは水面のレベルがほぼ同一。すぐそこに手を伸ばせば海……というのが比喩でなく実際にそうなっている。ただし寒いので手を伸ばす気にもなれない。
実際のところ、目の前には防波用の石積みがあるので眼下に広がる大パノラマ、というわけにはいかないのだが、このような風の強い日にはこれがなかったら一体どうなってしまうのだろうと不安になるので痛し痒しであろう。そもそも、この日の天気では灰色の海と灰色の空が見えるばかりだったのだが。
……ところで、さっきより、心持ち目の前の海が近づいて来ているような?
まださほど入ってからも時間が経っていないのに、なんとなく漠然とした不安を感じ始めたその時、波は更に強くなり始めて少し湯船に海水が入ってくるようになった。当然海水は冷たいので、湯船の温度は少しの流入でも一気に下がる。対して温泉の方は自然湧出なので、お湯が冷えたからといってお湯がいっぱい出てきてすぐ適温に戻るというわけにもいかない。
さっきまでは気持ちぬるいくらいで済んでいたが、はっきりとぬるいと感じるようになり、少し身体が冷えてきた。しかし、風も吹いているので冷めた身体で湯から上がるというのも躊躇われる。せめてもう少し源泉の側に陣取って温まってから出ないと風邪引くな……とぼんやり思っていたところ、更に大きな波が、今度はかなりたっぷりと湯船に差し水(差し海水?)を注いでくれたのである。当然一気に下がる湯温。このままでは、ほとんど水風呂になるのも近い。
ここに来ていよいよ緊急事態を察知し、逃げるように更衣室の方へ駆けだしたのであった。
──結局、凍えながら着替えて、ようやく落ち着きを取り戻してから再度湯船の方を一瞥すると、今まさに海水面と温泉が同一化しようとしている頃であった。本来であれば、満潮まではもう少し余裕があるはずだったのだが、それは波がない場合のことなので、思ったよりも限界が早かったようである。結果として、今回は本当に入浴としてギリギリのタイミングであったようだ。なお、このような茶番が繰り広げられている最中、この場所には人っ子一人来なかったのは不幸中の幸いである。
ともあれ、ハードコアタイプの温泉として非常に興味深い経験であった。いくらなんでも二月の天気の悪い日にやるのは単なるバカだと思うけれども。