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無名サイトのつづき

価値のバスタブ曲線

一般的には、世の中新しいものの方が価値があるということになっている。

例えば生鮮食品は古くなれば風味が悪くなったり、食べられなくなってしまうので新しいものほど価値があるというのは当然のことだろう。また、そうではない耐久消費財であったとしても経年劣化は発生するし、性能に関しても基本的には技術の進歩によって向上していくものなので、古いものは相対的に価値を減じていくことになる。

価値判断の基準としてはいろいろあると思うが、とりあえずここでは価格を想定している。これもたいていの場合、新製品は高価で、型落ち品はそれに比べて安価である。また基本的には発売日から終売までの間、概ね売価は下がっていく。中古品に関しても概ね同様である。もちろん下がり方の傾きは一定ではないが、これがほとんどの製品が辿る道である。

ということは、何かモノを買ったとしてそれが最も価値を持つのは買った瞬間であって、あとはそこから劣化していき段々下がっていくということになる。少なくとも売却価格については概ねそのようになっているし、減価償却制度なんかもそうした価値の劣化を前提としている。

つまり、仮に価値のグラフを書くとすれば年数が経過すると価値は共に右肩下がりで下がっていきゼロに近づいていくということになる。

なので、たいていの人はゼロになる前に適当なところで(買値よりは安い価格で)手放して買い直すか、あるいは売値としてはゼロでも用は足りるとしてそのまま使い続けるかを選択しているわけだ。

ところで、減価償却においては「時間が経っても劣化しない骨董品」は対象外とされている。骨董品はもはや古くなることによる価値の劣化とは別の次元にあり、それどころか古ければ古いほど価値が上がる可能性すらあるということで、そういう意味では対象外になるのも頷ける。

さて、事業者であれば減価償却対象になるような耐久消費財であっても、ある程度年数を経過すると今度は骨董品的な価値を持つことがある。また減価償却対象ではないにしても、ある製品が年月を経過した結果かえって手に入らなくなってしまい価格が上がることはよくある。

つまり、新品をスタートとして下がり続けた価値は、しばらくの間底を這い続けるのだが、どこかで反転して再度上を向くわけである。

例えば自動車であれば、ある年数までは単なる中古車扱いだが、残存数が少なくなってくるとネオクラシックと呼ばれ始め、最終的にはクラシックカー的価値を持つ車となる。2020年現在においては80~90年代の人気のある車が高騰しつつあり、逆に言えば70年代以前の車は車種としての人気云々を抜きにしてもすでに現存しているだけで立派なクラシックカー扱いとなっている。

また、新品時に安価かつ非常にたくさん製造されたものが、新品時に少数かつ高価だったものより残りづらく、かえって高くなったりすることもある。例えばある種の雑誌などは発行部数から言えば単行本よりも遙かに多いはずなのだが、残すようなものではないと思われていた結果現存数が非常に少なかったりする。一方で少数かつ高価なものは案外「これは高価なものだから残さなければいけない」という気持ちが働くのか、後世に残る割合は多めである。

例えばカメラで言うとライカなんかは後者の代表であろう。非常に高価で価値のあるものだから、仮に壊れれば(多少の負担を受け入れてでも)直すし、仮に手放す際もキチンと値段が付き、次のオーナーに受け継がれていく。一方でそうでない無名メーカーのそれは、壊れても直すほどの価値を感じなかったり、あるいは完動品であっても次のオーナーも見つからず、ゴミとして処分されたりする。

とはいえ、不運にもゴミとして処分されるライカもあれば、偶然眠り続ける無名メーカーのそれもきっとある。全体としてはどちらも年数を経るごとに現存数は段々ゼロに近づいていき、珍しいものになっていく。そうなれば「レアモノ」としての価値はますます増加することになる。

ところで、製品の故障率を示すグラフとしてバスタブ曲線というものがある。これは初期不良といった使用初期の故障率が高く、ある程度それが収まると低い故障率で安定し、やがてそれ自体の損耗によって再び故障率は増加に転じるというものである。いったん下がってそこで安定し、しばらくしてまた上がるというところからバスタブのような形状をしているということで、バスタブ曲線と言われている。

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出典:JEITA webサイトhttps://home.jeita.or.jp/cgi-bin/page/detail.cgi?n=117&ca=1

で、先のような話を考えると、実はモノの価値というのもバスタブ曲線なのではないかと思うのである。上記の図で言えば「初期故障期間」にあたるのはその製品が市場に並んでいたり、中古市場でそれなりの値段が付く間。「偶発故障期間」にあたるのは中古でもほとんど値段が付かない状態、そして「摩耗故障期間」がレアモノとしての価値を持ち始めた状態である。

もちろん、新品価格を超えるほど値上がりするかといったらそうとも限らないのだが、一定の期間を経過し、現存数が減った結果としてレアでありさえすればどのようなものであっても一定の価値が生じるのはわりとあり得ることのように思える。

とはいえ、この図の底の部分は想像以上に長い。先に挙げた例だと、車で言えば30~40年維持してようやくである。ここを最初から狙っていくのは相当の愛もしくは忍耐が必要になるであろうことも間違いないだろう。

一方で、今は世の中に溢れていてゴミ同然に扱われているものでも、それらの現存数が少なくなってくると新たな価値が生まれるかもしれないというのは一種の福音かもしれない。もっとも、それがいつ始まり、どのくらいまで上がるのかというのは先の通り神のみぞ知ることなので、やはりこれも狙っていけるようなものではない。

とはいえ、今価値がないと思われているものこそ、実はそれらを底値で楽しめるチャンスだ……と考えるのは、一種のポジティブシンキングとして悪くないのではないかと思っている。

埋める人々

死体を埋める百合というネットミームがある。

ざっくり掻い摘んで言うと女性×女性のカップリングにおいて共に死体を埋めるというシチュエーションに関係性萌えを見出すというものであり、これのルーツについては下記のような先行研究が存在している。

note.com

この偉大なる先人の足跡をなぞった上で今更何を言えるのだろうかという話であるのだが、こうした先行研究において未解明な点もわずかながら存在している。今日はそんなお話。

先の記事には"『死体を埋める◯◯(男男や男女、またはそれ以外を指す言葉)』という構文は百合以外に存在せず、かつ定着していないと認識している"とある。実際に男女カップルやゲイカップルにおいてのそれを考えてみると、確かに「死体を埋める百合」に相当するキャッチーな言葉は生まれていないように思える。

仮にそのまま当てはめてみるとして「死体を埋めるカップル」はいかにも普通(サスペンスドラマとかではありそう)だし「死体を埋めるゲイ」もなんだかあんまりエモさを感じない。死体を埋めるというシチュエーションに萌えを感じるのは、どうやら確かに女×女の時だけのようだ。つまりこのネットミームは女性二人でなくては成立しないと考えられているのである。

ではこの独特の情緒は何処から来るのだろうか?

まず最初に言っておきたいのは、ここで言う死体というのは百合の関係性を強化するマクガフィンであって、実際のところ誰がどんな方法で殺されたかといった部分にはたいした意味を持たないということである。結局のところここで最も大事なのは、目の前に死体があり、それを処理しなければならないというシチュエーションの方にある。

その上で萌えポイントを挙げるとすれば「死体を誰かと共に埋める状況」というのは誰にも言えない秘密の中でも最上級のそれであり、心を許していなければ他人に絶対に打ち明けることは出来ないという点にある(ここでは偶然巻き込まれるタイプについては置いておく)。

そもそも百合という関係性も程度こそあれ最終的に同性愛方向に接続されるのは否定しきれず、ややアブノーマルで背徳的な面を持ち合わせている。そうした若干の後ろめたさのある関係性に対して、それを大きく超えるようなそれこそ「後ろめたいどころでは済まない出来事」が二人の関係性に突然降りかかってくるのである。

改めて言うまでもなく死体遺棄は犯罪である。故に「死体を処理しなくてはならない」と誰かに打ち明けるだけでも大変な勇気を必要とする。まして共に埋めるというのであればその瞬間から共犯者になってしまう。これはあまりにも重い出来事であり、逆に言えばその重さを受け入れるという関係性に対して心が動く(萌える)面があるのだろう。

……で、もしそれが萌えの源泉なのであれば、むしろ性別って関係なくない? っていうのが疑問として発生する。各々が置かれた状況はあるにせよ、少なくとも死体を埋めなくてはならないというのは、老若男女どんな人にとっても一大事である。そしてそうであるならば、上記のような重さやそれに伴う萌えは女性の同性カップルに限る話でもないはずだ。なのに、ネットミームになるのは百合だけなのだ。

一体それは何故なのか。ここで仮説として挙げたいのは「男性であれば死体処理くらいなんとかこなせそう」という意識(?)の存在である。実際そんな簡単な話でないはずなのだが、どういうわけか我々の頭の中には「男性は死体処理が出来て、女性は死体処理が出来ない」という暗黙の了解が存在している気がしてならない。

もちろん、腕力や基礎体力からしても男性の方が有利なのは確実だ。前述のシチュエーションでは「死体を埋める」という点にフォーカスしているが、実際穴を掘るのも男性の方が得意だろうことは間違いない。そして男性一人が誰かを埋めるシーンはなんとなく想像が付くが、女性一人だと難しそうというイメージもある。

つまり、女性は死体処理──しかも「埋める」──という点についてはどうあっても半人前なのである。一人だけでは死体を埋めることすらも叶わないのだ。

そしてこれが「死体を埋める百合」における萌えポイントにも繋がるのではないかと考えられる。すなわち「一人では埋められず、かといってこんな秘密を明かせる人間などそうそう居ない……そして仮に打ち明けて協力を得られたとしても、二人が完全に協力してようやく達成出来るかどうか」というギリギリの課題、それが死体を埋めるという行為なのである。

で、ここに男性が登場するとどうなるかというと、埋めること自体はクリア出来そうなのでその先の段階が登場する。すなわちより証拠が残らないようにとか、手早く効率化するとかである。こうなるともう方法論なので、萌えポイントというよりはミステリの領域に入っていくだろう。

故に、死体を埋める百合は百合でなければ成立しないのである。たぶん。

モノサシは伸びてゆく

写真に写したモノの大きさを伝えるというのは、簡単そうに見えて実は言うほど簡単なことではない。例えば旅先で、ガイドブックに載っている写真から想像していたよりも小さな盛り付けの料理が出てきてガッカリした経験を持つ人も多いことだろう。

ちょっとカメラを囓った人ならご存じかもしれないが、写真というのは焦点距離によってパースの付き方がガラッと変わるし、これはカメラの向きや傾きにも左右されてしまう。そしてそれらとは別の理由として、先のようなガイドブックの場合は料理だけが切り抜かれて掲載されることも多く、それが余計にそのものの大きさを分かりづらくしてしまう。

そこで大きさを伝える際によく使われるのが、比較対象になるものを被写体と同時に写し込むというやり方である。工事写真や資料写真などは寸法の面でも正確性が問われるため、写真の中に定規的なものを写しこむことが定められているものも多い。ちなみに工事写真によく写し込まれている赤白の定規はリボンロッドと言うそうな。

もちろん、定規を写し込むというのは正確性を期すためのものであって、定規ほどの厳密さが必要ではない用途も多い。ただ、厳密さは不要であっても、写真を見ている側に分かりやすくする為、比較対象として様々なものが写し込まれることはよくあることである。ガジェット等の紹介ではその機種の旧機種であったり、そうでもなければ身近な日用品としてペットボトルやタバコなどと並べて大きさを比較しているのがよく見られる。

旧機種はともかく、これら身近な日用品が物差し代わりになり得るのは、ひとえに見ている側の人間にもそのサイズが想像しやすいからである。もちろん厳密なサイズを伝えるのであれば先の通り定規を写し込むのが最善かもしれないが、手近なものを写し込むだけでも分かりやすさはグッと向上する。逆説的に言えば、こうした時に写し込まれる対象は多くの人がその大きさをイメージしやすい、いわば「寸法を共有した存在」でなくてはならない。

そうした前提を述べた上で、ここで2013年に書かれた次の記事を見て欲しい。

dailyportalz.jp

人気サイトであるデイリーポータルZに掲載されたこの記事では、あたかも「小盛」という概念が機能していないかのような盛りの良い店ばかりを巡って、それらのメニューの商品名とは裏腹のボリュームとそのおかしさを取り上げている。

そしてこの記事中では、三件目の店のメニューを紹介する際にサイズの目安としてスマートフォンを置いてその大きさを伝えようとしている。

記事の筆者自身箸やスマートフォンを置いて大きさに見当がつくようにしたが、今ひとつわかりづらいだろうか」と述べてはいるが、とにかくにもサイズ感を示す一つの目安としてスマートフォンが活用されているのである。

これは当時のスマートフォンが「誰もが持って(もしくは目にして)いるのでサイズ感を共有する方法としてふさわしい」と考えられていたと考えて良いだろう。iPhone等特定の機種名を挙げていないことからも「だいたいの目安」として考えられていただろうことは明らかである。

しかし、2020年にこの記事を読むと別の混乱が発生する。

登場時においては4インチですら大画面と呼ばれたスマートフォンという機械はその後長足の進化を遂げ、今では7インチに迫る大サイズが標準的になってしまった。記事が掲載された2013年といえば、4インチ台の機種が主流だった時代である。記事に掲載されているスマートフォンも(当然記事掲載以前に購入されたと考えれば)3~4インチ程度の端末であろう。2020年現在では3~4インチの端末はもはや小型スマートフォンに分類されている。

つまり、2020年の目線からすれば「この記事が2013年に書かれたものであり写し込まれているのは古の(現代の目からすれば)小型スマートフォンである」と認識して記事を読むか、それとも「この記事に写し込まれているのは現代同様のスマートフォンである」と認識するのかどうかで、読み手が感じる丼のサイズ感はかなり狂ってしまうのである。

そう、基準であり皆に共有された認識であるはずのモノサシの側が時とともに巨大化してしまい、モノサシがモノサシとして機能しなくなってしまったのだ。

……そういえば、この記事のポイントは小盛りって書いてあるのに実際に出てくるのは明らかな大盛りであり、小盛りという「基準が基準として機能していない」店とそのメニューのおかしみにあった。

そういう意味では、記事の掲載から数年の時を経てサイズの基準にしたはずのスマートフォンが巨大化してしまい「基準が基準として機能しなくなった」というパラドキシカルな出来事は、この記事に対してちょうどいい追加のオチになっているのではないかと思うのである。もちろん、元記事の筆者にとっては全く想定外の事象かもしれないのだけど。

なにをいまさらDSC-R1

2016年に、当時たまたま縁あって手に入れたDSC-RX10というカメラについてここで記事にした。

seek.hatenadiary.jp

seek.hatenadiary.jp

このカメラ、ひとことで言えば1インチの(コンデジとしては)大きめの撮像素子かつ24-200mmをF2.8通しで実現した、いわゆるネオ一眼レフタイプの高級コンデジである。しかし、文中でも述べた通りこのクラスはデジタル一眼レフを更に小型化したミラーレスの登場によりサイズ的には中途半端なポジションになってしまい、現在このカメラの路線を継ぐ機種は絶滅してしまった。

正確に言うと、ソニーからはRX10シリーズの直接の後継としてRX10IVが生まれているが、これは一回り大きく、より望遠志向となった(24-600mm F2.4-4相当)。一方で、24-200mmをカバーするモデルとしてより小さなRX100のサイズで高倍率化したRX100VIIも生まれている(24-200mm F2.8-4.5相当)。つまり、今となってはRX10のサイズやスペックに出る幕は存在しなくなってしまったのである。

一方で、ソニー以外の他社にしたってこの大きさであればより望遠側を強化するのが通例となっているので、当時「意義ある中途半端」と評したスペックは、結局のところ誰も引き継がなかったということになる。

しかし、そうした世間の評判はともかく、実は現在の手持ちのカメラの中でトップクラスに稼働率が高いのがこのカメラだったりする。それも並み居る(価格的にはプロクラスの)一眼レフやミラーレスを差し置いて、である。画質だけを求めれば当然そちらを持って行くという選択肢もあるのだが、先の記事にもある通り、撮影だけが主目的ではない旅行に持って行くとなるとこのカメラのバランスは今もってなお輝いている。

結局旅先というのは写真だけの為にあるわけでもないのだし、携行性と画質のバランスを詰めていくと、やっぱり旅先で便利なのはこの微妙なスペックだったりするのである。より小さなカメラとしてGRやRX100も持っているが、この感想は一貫して変わってはいない。

……で、先日またマイルガチャを引いて旅行に行くことになったのだが、いつものようにRX10を持って出ようとした時にふと思い出した。そういえば家には似たようなカメラがもう一台あるんだった──このあまりに長い前フリを経て──ここでようやく出てくるのが、RX10の先祖とも言えるカメラ、DSC-R1である。

さて、DSC-R1というカメラがどんなカメラなのかというのはまぁ公式サイトでも見てもらった方が早いのだが、RX10のご先祖という言葉からもわかる通り、ソニーが2005年に発売したレンズ一体型の高級コンデジである。

www.sony.jp

しかし、このカメラが現在のRXシリーズと決定的に異なる点が一つある。それは、ソニーコニカミノルタからαを引き継ぐ以前──つまりレンズ交換式カメラを持たなかった時代──に作られたカメラであるという点である。

ご存じのように、現在のRXシリーズというのは、ソフトウェアや操作系の面で一眼レフやミラーレスのαシリーズとの共通性を強く打ち出している。そしてこうした部分が完成したのは、ソニー自身が一眼レフを保有して以降のことである。

一方で、αシリーズ継承以前においてのソニーはレンズ交換式ではないデジタルカメラの雄であった。いわゆるコンデジのトップメーカーの一つだったのだ。そして、その中には当然フラッグシップと言えるだけの高級機も存在した。DSC-R1はそんな時代の(RX以前の)最後のフラッグシップである。

ぶっちゃけ、ボディはRX10よりも一回りデカい。それは何故かと言えば、このカメラがほぼAPS-C相当の大サイズ撮像素子を採用しているからである。そしてレンズは5倍ズームで、24-120mm F2.8-4.8相当である。もちろんカールツァイス銘であり、いっちょ前にバリオゾナーを名乗っている。

この撮像素子、サイズ的には1.7倍時代のシグマよりも大きく、1.6倍のキヤノンサイズよりは小さいという微妙なところだが、実質的にはほぼAPS-Cを名乗っていいだろう。

APS-Cサイズの撮像素子を持つコンデジといえば、現在はDPシリーズやGRがあり、たいして珍しくもないように感じられる。しかし、一般的にAPS-Cサイズ搭載コンデジの嚆矢とされているシグマDP1の発売は2008年であることを考えれば、このカメラはそれよりも先にAPS-Cサイズの非レンズ交換型を実現していたことになる。

そして、いくら「APS-Cサイズの大サイズ撮像素子を採用した非レンズ交換式カメラ」が今や珍しくないといってもその中で「ズームレンズ搭載の」となると実は途端に少なくなる。DSC-R1以降の機種をすべてカウント(レンズ非交換式としてはボーダーラインのGXRを含め)しても、過去存在したのはたったの数機種であり、いずれもショートズームのカメラである。ズーム搭載であれば、大サイズ撮像素子といっても主戦場は未だに1インチや4/3相当なのである。

APS-Cかつズーム搭載コンデジの例
リコーGXR A16(2012/24-85mm相当)
イカXバリオ(2013/28-70mm相当)
キヤノンPS G1X mk3(2017/24-72mm相当)

つまり、このカメラもまた、自社はもちろん他社まで含めても性格を継ぐ者のいない、後継者のないカメラであると言えるだろう。

そう考えると、2005年に24-120mmとAPS-C相当を達成していたこのカメラは相当に異常というか、妙なところを突っ走っていたものだと感心する。実際問題、同時期のこのクラスのカメラというのは(1インチブームが来る前だったので)2/3インチや1/1.7インチがメジャーなサイズであった。現にこのカメラの前モデルにあたるDSC-F828は2/3インチCCD採用で、そこに28-200mm F2.0-2.8相当というスペックだったので、ガラッと変わったわけである。

さて、2005年頃というのはデジタル一眼レフカメラの低価格化も進んでいた頃であり、DSC-R1の実勢価格は10万円オーバーと、モロに初級デジタル一眼レフと被る価格帯であった。当時すでにカメラに興味はあったが、こうした価格帯のカメラは高嶺の花だし、高値の花でもあったため、何度か店頭で触った程度で購入を検討することは一切なかった。

現在の目で見れば、24-120をカバーするそれなりのレンズが付属してデジタル一眼レフ初級機と同じ価格帯であればそれなりに意義は感じるのだが、そうはあってもレンズ交換式の魅力は大きい。多くの人にとってもそれは同じだったのか、結局このカメラはヒットすることもなく一部に支持者を残して消えていった。

当時書かれたレビューとして印象に残っているのは写真家の内原恭彦氏がデジカメwatchの連載で触れたこの記事である。

dc.watch.impress.co.jp

今になって読み返してみると、評価点もそうでない点もだいたい同意見で、もうこの記事はこれ貼って以降はこれ参照でどうぞで終わっても良いのではないかと思ってしまったくらいなのだが、とはいえ2020年のシロウトなりの感想もあるだろうてということで以下旅行に持ち出して使ってみた感想といくらかの写真を上げておく。

まずサイズはRX10よりは大きい。そして(内原氏の記事が書かれた当時とは異なり)現在はAPS-Cサイズのミラーレス機であればこれよりサイズが小さいものも多々あるので、そういう意味では問答無用でデカいという評になるだろう。とはいえ変に金属部材を奢っていないカメラでもあるので、24-120/2.8-4.5相当というスペックを考えれば決して重すぎるわけではないという辺りが現在の感覚だろうか。

で、このカメラ、まさしく「デジタル一眼レフの仕様をコンデジの書式で作った」感じである。一眼レフらしい部分は外装サイズと撮像素子サイズとレンズの仕様とRAWが撮れること。ただしそれを実現する手法やハードウェアはコンデジのそれである。

よって、メニュー等は当時のコンデジに近いもので、あまりカスタマイズは出来ない。幸いなことに多用する機能はボディ側にハードキーが設けられているのであまり不自由することはない。操作系面で特筆すべきはワンプッシュAFボタンの実装やEVFのハードウェア切り替えが実装されていること、そしてウエストレベルを基本として液晶モニターだろうか。コンデジにはチルト液晶が標準的になって久しいが、ウエストレベルのやりやすさで言えばこのカメラが一番だろう。なんせそれが基本形なのだ。なおこの形状故にアイレベルかつライブビューでの撮影はしづらい。この位置に液晶を配置するカメラがこれ以降主流になっていないことからもわかる通り、このボディ形状は既存のカメラに対して圧倒的に使いやすいというわけでもない。とはいえこの特異さに萌えるというのも確かだろう。

また、ソフトウェアが悪さをしているからかはわからないが、基本的にレスポンスはよくない。特に今回の旅行中は64GBのSanDisk Extreme proを使用していたのだが、起動すると数回に一度の割合で30秒近い読み込み待ちが発生してしまった。下手をすればAptusより撮影までの時間がかかるカメラかもしれない(なお、発生しない時もあり条件は謎。その場合も数秒はかかる)。そしてバッファや処理能力もギリギリなのか、RAWで撮影すると連写は出来ず、数秒おきに撮影した時ですら「アクセス中」の文字が出て操作不能になってしまう。旅先でのスナップ用途としてはレスポンスはギリギリ落第と言って良いだろう。

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しかし、それを補える程度の写りはある。というか、2005年のコンデジとしてみれば破格だろう(あるいはデジタル一眼レフ並とすべきかもしれないが)。24-120mmは旅行においてはちょうど良いカバーレンジで、撮影結果自体にはわりと満足がいく。

とはいえ、撮影してる時は言うことを聞いてくれない機械という印象もあった。特に酷いのがEVFで、このEVFはアイセンサーでの自動切り替えが可能だが、IRセンサーが外に露出していないタイプであり何処を塞げば反応してくれるのかがいまいち分かりづらい。試した限りでは反応エリアが左右に不均等であり、接眼してもEVFに切り替わらず真っ暗なまま仕方ないのでそのままシャッターを切ったことが何度となくあった。液晶やEVFは当然2005年なりの解像度のため、今回は露出やピントの基準としてはアテにしない方向で使っていたが、最低限の構図確認すらやりづらいのには閉口である。

しかし、しっかりと握り込めるグリップやウエストレベルのやりやすさなど、なんとなくいろいろな使い方をしてやろうみたいな気分を呼び覚ます部分も多かった。電池は3日間で4本使い切ってしまったが、うち2本が互換電池だったこととトータルでの使用時間(1,000枚近く撮影)を加味すると、純正なら十分持つ方だと思う。

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ただ、やっぱり基本的な部分はコンデジの文法から作られているのか、使い込んでみるとハテナマークの飛び交う挙動や写りもあった。

画質については上記の船の作例の通りシャープネスをかけすぎ(標準設定・Lightroomストレート現像)なきらいがあるし、そのせいで線が太く見えてしまってるのも感じる。色もコンデジ寄りというか、デジタル一眼レフの素材感のある発色ではなく無加工でも派手目である。

最大の謎の部分は露出制御である。このカメラのプログラムラインは、いろいろ試す限りではどんな被写体でも1/250までは絞り開放を保ち、それを超えると仕方なくという感じで絞り込まれていく。コンデジであれば納得のいくプログラムだが、このカメラはAPS-Cサイズの撮像素子を搭載しているのに、である。遠景を撮るのに開放もちょっとおかしいし、近接気味の時に手ぶれ限界に達していないなら(ボケ量も大きいのだから)絞り込んで欲しいのが人情である。しかしいずれのシーンでも、絞りは開放に張り付いたままでシャッター速度だけで調整しようとする傾向が見られた。

同様に(こちらはAPS-Cサイズの恩恵があるはずの)感度もかなり控えめな上げ方になっており、プログラムモードの実装までコンデジからそのまま移植してしまったのではないかという疑いが消えなかった。まぁこの辺りは途中で気付いたので適宜Aモード等に切り替えて使用することとなった。

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総じて、文句を言いつつも3日間楽しく使っていられた。そしてこれ一台で不足するシーンが少なかったのもまた印象的である。

ここで最初に戻ってRX10と比べたら、やはり時代なりのEVFの進化や、わずかに小さいサイズを評価してRX10を手に取ってしまうかもしれないが、しかしそうは言ってもこれは2005年のデジカメである。そういう意味では、やはり当時のフラッグシップはすごいという話になるだろう。

ただ、RX10とR1を比べてみると、R1ではチラチラ見え隠れしていた「コンデジらしさ」が少ないということにもまた気付かされる。そういった意味では、ソニーがαシリーズを統合した結果として、一眼レフの文法がRXシリーズにもきちんと注入されていると言うことも出来るだろう(とはいえ現在のα/RXシリーズのUIはコニミノ時代のαの良い面は全部捨てられてしまっておりかけ離れているがこの話は細かく説明すると非常に長いので省略する)。とはいえ、この記事は2020年にもなって2005年のデジカメの話をしてああだこうだ言っているわけで、これぞまさしく「なにをいまさら」という話である。