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無名サイトのつづき

ハードコア温泉道 新潟赤湯温泉編

まさかのハードコア温泉道の続編である。前回はこちら(なんと2015年の記事である)。

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前回は海岸線にポツンと存在する無人の野湯が舞台であり、これをもってハードコア温泉であると考え、そのように題した。では今回向かった赤湯温泉というのはどの辺りがハードコア温泉なのか。

それは、この温泉が奥深い山の中にあり、温泉に入る為には徒歩で数時間の山登りをしなくてはならないことと、そういった立地もありGW~秋口までしか営業していないことが理由である。このハードルの高さはまさしくハードコア温泉と言って良いだろう。

さて、前回は飛行機のマイルの期限切れが旅行の切っ掛けだったが、今回も似たような切っ掛けであった。JR東日本のキャンペーンで新幹線が通常の半分程度のポイントで乗れるということで、なんとなく新幹線で何処かに行ってみようと思ったのがそもそもの始まりである。

しかし、ここでふと考えた。いくら往復の新幹線が格安でもその先からレンタカーを借りるようでは結局のところお得感は少ない。というわけで、なるべく車を使わない目的地はないか考え、その結果として辿り着いたのが赤湯温泉であった。実を言うと以前から存在は知っており「いつか行ってみたいリスト」にも入っていたのだが、そのあまりのアクセスの悪さにこれまで真剣に検討されることはなかったのだ。

というわけで、早速新幹線のキャンペーン期間中の週末である6/11~12の一泊にて新幹線の手配と宿への予約を済ませた。宿とはいうものの、実際のところは(温泉のある)山小屋であるらしく、予約時の諸注意も完全に登山者に対するそれであった。ちなみにこの時点では、うかつにも梅雨入りのことは全く考えていなかった。

そうこうしているうちに前日となり(この間に無事新潟も梅雨入りし)、曇りのち雨の予報に怯えながら大慌てで深夜までクローゼットを引っかき回しては雨具を揃え、なんとか荷物をまとめ上げるとほぼ始発の新幹線の為に床に着いた。

──そして、寝過ごした。

早速の失態である。ただ新幹線なので特典乗車券とはいえ後続便の自由席であれば乗車の権利自体は失われていない。当初起きるはずだった時間からは2時間程度ズレていたが、今からでも電車に飛び乗れば日没前に宿には着けるタイミングであった。ほんの少しリスキーだが、かといってこの機を逃しては次の機会など訪れそうにない。覚悟を決めると電車に飛び乗った。

行きの新幹線は東京から出発なので、実のところ乗り逃しての自由席でもなんら問題はない。コンセントも付いているのでそれで十分である。

かくして、越後湯沢まで新幹線、その先はバスに揺られること40分弱で(当初の予定から遅れること2時間程度ではあるが)元橋バス停、更には登山口へと到達した。いざここから4時間の旅路である。

……で、歩いている最中は4時間もあるため様々なことを考えていたのだが、実際のところこうして帰ってきてみると何考えて歩いてたのかあんまり覚えていない。辛く厳しい徒歩行だったのは確かなのだが。

さて、こうして登山してまで温泉に行っていると傍目にはアウトドア大好きな人みたいに見えてしまうかもしれないが、実際のところアウトドアは嫌いである。そもそも登山やソロキャンプといったアウトドア趣味には限界独身男性の趣味としてのひとつの到達点みたいな印象があり、安易にそこに向かうことについてはずっと抗い続けている。

※もちろん、周囲の知り合いを見る限りアウトドア好きが結婚できない限界独身男性ばかりというわけではない。むしろちゃんと結婚している者も多い。ただ、限界独身男性というマイナスステータス持ちが、仲間や友人といった他人の存在を前提とせず、ただ一人だけであっても楽しむことが可能という点において、アウトドアは他の趣味よりも限界独身男性との親和性が高いと言えるのは間違いないだろう。

登山趣味の人は登山がしたいから山に登るのだろうが、別にこちらは山に登りたいわけではない。ただちょっと変わった温泉に入りたい──それだけなのに、道路がないから歩いて行くのである。登山はあくまでも結果であってそれが目的ではない。それだけなのだ。

……ただし、先に述べた通り道路がなく行きづらいからこそ目的地に選んだわけで、この考えは循環参照を起こしているのかもしれない。

ちなみに道中で心配だった雨は木々が遮る為か意外にも気にならずに済んだ。むしろ汗かきなので流れ落ちる汗の方がひたすらに鬱陶しかった。あとは登山道もぬかるんでいたり滑りやすかったり、途中崩れた箇所や倒木等も存在したが、なんとか淡々と歩き続けた。

そういえば、林道のゲートを越えてからもしばらくは林道が続いていたのだが、徒歩を前提とした道路と自動車通行を前提とした林道の規格の違いには改めて驚かされた。当たり前だが自動車が通れるくらいに幅があり、自動車が通れるくらいにフラットなのだから未舗装路といえども登山道との整備の差は歴然であり、歩きやすさも格段に違う。

前回の本格的な登山(的なもの)はGOTOの補助があった頃に一念発起して屋久島に行き、縄文杉を見に行った時まで遡るのだが、あれもまた距離自体は長いものの林鉄という高低差に敏感な路盤が元となった区間が大半を占めるため、その区間は比較的快適に踏破することが出来たのを思い出した。

一方の登山道となると、人間の機動力を過大に見積もっているためとても苦手である。そもそもそういうのを踏破出来る連中が来る前提になっているのだし。

……まぁ、こうした苦労もおそらく人並みに登山を嗜める人からすれば何を言ってるんだコイツはと思われるんだろうなと思いつつ、息を切らせながら歩き続けること四時間弱、なんとかほぼコースタイム通りの15時前に赤湯温泉に到着することが出来た。当たり前だが、周りの客はみんな登山趣味者っぽい雰囲気である。


左側が母屋で右側が別館。今回は母屋泊

見ての通り山小屋であり、川の側に張り付くように建っている。この川沿いに三つの露天風呂がある。ちなみに宿泊費は一泊二食付きで9,000円。

早速汗を流しに温泉に浸かる。

温泉は先程通ってきた登山道の脇に点在しており、一旦宿に荷物を置いてから向かうことになる。源泉は三種類あるが時間で入れ替え制となっている。先に入った玉子の湯・薬師の湯については硫黄の匂いの強い茶褐色の温泉であり、いかにも温泉に来たという感じを味わえる。特にメインの露天風呂である玉子の湯はすぐ側を清流が流れていて、川の音を聞きながらの入浴となる。ここまでに十分すぎるくらいに疲れていたということもあり、小一時間ほどゆっくりと浸かって疲れを癒やすこととした。

……というか、ここまで来るとそれくらいしかすることがない(※もちろん携帯電話は通じない。また電気も来ておらず館内は各部屋にランプが配られる)。

そんなわけで、まだ日のある18時には早々に夕飯というのもかえってありがたかった。山小屋なので豪勢な山海の幸が……というわけにはいかないが、屋根の下で素朴ながらも温かいものが食べられるというだけでも上等である。なんせここは四時間歩いた先の山の中、電気も携帯の電波も届かない場所なのだ(ただし、温泉があるのはもちろん川もあることから清水にも恵まれており、そういう意味では他の山小屋よりも恵まれていると言えるだろう)。

夕飯後には入れ替えになった青湯(こちらは源泉が異なりその名の通り透明度が高い)に入ることで風呂は三種類コンプリートとなった。まだ外は若干明るかったのでこのまま夜の露天風呂というのも乙なモノかと思ったが、曇り空からすると星は期待できないし、暗くなるのを待ってまで入るほどのものでもなさそうだ。結局早めに寝ることにした。

……が、川沿いという立地もあり、更にはぐずついた天気のせいなのか渓声はなかなかにやかましく、深い眠りに着けないまま気が付いたら真夜中に完全に目が覚めてしまった。

仕方なく、もうひとっ風呂浴びることにしてヘッドランプを取り出し忍び足で三度露天風呂へ向かう。外は雨がパラついていたが、ずぶ濡れになるほどではない。ヘッドランプで上手く照らしながら湯船に浸かる。

当然ながら、誰も居ない。

本来であれば満天の星空に期待も出来るのだろうが、あいにくの空模様である。適度に涼しいのはいいのだが、一方で聞こえるのはただ川の流れる音(それもそこそこ激しい)のみ。お湯自体は心地良いのだが、大自然の中に全裸でただ一人取り残されたような状況はなんとなく居心地が悪い。

なんせ、明かりはヘッドランプのみである(宿の方は既にこの時間は自家発電も切れ、各部屋のランプだけが灯りとなっているし、当然露天風呂には灯りはない)。流石にここまでワイルドだと気持ちよさよりもそういう不安の方が先に立つモノなのだなと感じつつ、身体も温まったところで切り上げると再び布団に入った。今度は無事に朝まで寝ることが出来た。

そして、明けてしまえば早い。起きたら朝食を頂き、昨日とは打って変わって早めに発つことにした。相変わらず雨はパラついていたし、昨日の疲れも蓄積しているからか、かえって行きよりも時間が掛かったが、それでも息を切らせながら四時間程度で再度下界に戻ってくることが出来た。前日の雨のせいか数度すっ転んだが、幸いにして怪我はせずに済んだ。

こうして改めて書き出してみると、やはり赤湯温泉はその立地も相まって、間違いなくハードコアな温泉地の一つであろう。しかし、その苦労をしてまで行ってみる価値もある……そう感じたのもまた確かである。

もちろんこの感想は、無事帰って来て苦労を半ば忘れつつある(もしくは強制的に良い思い出だったということにしようという力が働いている)頃に書かれているのだが!