インターネット

無名サイトのつづき

ゴールデン

GWに出かけると写真が残るのであとから見返せばそのとき何してたか思い出せるのだが、出かけないと写真が残らないのであとで見ても何をしていたのは思い出せなくなったりする。

今年は出かけない方を選んだので自分用のメモ代わりに何したか書き残しておくことにすると、主に車を弄っていた。

一号車の方はスピーカー交換で純正スピーカーからsoundstream SS511へ変更。二号車は後付けの集中ドアロックとキーレスエントリーを装着して、これで各二日の四日かかってしまった。あとはそれぞれの動作確認に各一日ドライブをしたらこれだけで六日が消し飛んでしまったわけで、こんなん長期連休ではなく週末でやれよと思わんでもない。とはいえ長期連休に出かけても混み合うし金は使うしなのでどっちが正しかったのかはなかなか判断が難しいところ。

ただまぁ今になって考えるとGWとかシルバーウィークというのは車中泊が出来るギリの気温(暑さも寒さも)で、盆休みはいまや夜中であっても車中泊では暑くて寝られない可能性大なのでGWにこそ車中泊込みの長距離おでかけをしておいた方が良かったのではないかという説もある。まぁ今更言っても仕方ないんだけど。

で、別にオチとかなくて良いんだけど二号車は集中ドアロックとキーレスエントリーが着いて完成したと思ったら途端にパワーウィンドウスイッチがぶっ壊れて窓が閉まらなくなった。三歩進んで二歩下がっているあたりようやくネオクラシックカーっぽくなってきたなぁとこうして感慨にふけっているところである。おそらくは自走不能になってからが本番だとは思うんだけど。

右シフトの憂鬱

メカニカルキーボードで知られるダイヤテックがいつの間にか閉業していたというニュースが届いた。

pc.watch.impress.co.jp

ダイヤテックといえば今のようにゲーミングキーボードや自作キーボードが流行る前からのメカニカルキーボードの老舗であり、特に一時期はここ以外の選択肢がほぼ皆無だったということもあり、特定の世代のキーボード好きであれば必ずこのメーカーを通って育ってきたと言っても過言ではないメーカーである。

で、古くからのユーザーからすればダイヤテックといえばアルプス互換軸のカチカチ(クリッキー)キーボードのメーカーなのだが、一方で閉業を惜しむSNSの声を見る限りではマジェスタッチ以降のCherry軸のキーボードメーカーとしての姿の方が知られているようだった。

というわけでせっかくの機会(?)なのでかつて使用していたダイヤテックのキーボードも絡めてキーボードとその配列についての悩みを書いておきたい。

さて、ダイヤテックのアルプス互換軸とCherry軸モデルは両方使っていた(FKB-109J-XとFKB-91JP)のだが、特に印象深いのは日本国内でのCherry茶軸採用モデルの嚆矢となったFKB-91JPである。このキーボード、当時はCherry茶軸採用ということで話題にはなったのだが、配列にクセが強いということもあって諸手を挙げて歓迎されたわけでもなかった。

ちなみに接続方法と配列が違う黒軸採用モデルとしてFKB-91JUというのもあったが、何故かこの二つではエンターキー右側キーの配置が異なっており、FKB-91JUではあろうことかエンターキーのすぐ右隣にDeleteキーが置かれていた(FKB-91JPは右上角)ため配列的にはFKB-91JPの方が好みである。一体何故こんな変更をしていたのかは正直謎だ。

そんなわけで、先の通りダイヤテックのCherry軸採用モデルでいえばこのあと一般的な配列で発売されたマジェスタッチの方がずっと有名になってしまったし、以降シリーズが続いたのもマジェスタッチの方だった。

ただ、マジェスタッチ登場以前は茶軸のキーボード自体が非常に珍しく、またCherry純正では日本語配列は望めなかったということもあり貴重であり、しばらく愛用していた。しかしそのうち東プレ Realforceのテンキーレス(91UBKカナなし)が安く手に入ったことで乗り換えてしまった。

その後はだいぶ長いこと91UBKを使っていたのだが、Realforceでもっと横幅の小さいモデルが出たらなーなんて言っていたら最近になって実際にコンパクトモデルのRC1が発売されてしまったので発言の責任を取って(?)購入し、さらにそこから一年も経たないうちに格安中古があったことからKeychron Q1 MAXも購入してしまったので現在はQ1 MAXを主に使用している。みな配列は日本語配列(JIS)である。

さて、キーボード好きというとなんかUS配列を使えて一人前みたいなクソくだらない事を言う連中が多くて内心腹立たしいのだが、実際のところJIS配列にこだわっているのはカナ打ちだからで、US配列だとそもそも打てないキーが出てしまうからである。

ついでに言うとカナなしキーボードもなんかこうカナ打ちの存在を否定されているみたいで嫌い(91JUはカナなし使ってたけど……)なのでいつかカナなしキーボードの対極の存在として英字がなくてカナだけが印字されたキーボードを作ることが密かな夢だったりする。念のため言っておくとカナなしを使っていたことからも分かる通りカナの印字がなくてもタイピングは出来るので、この印字というのは思想の問題であり闘争である。

閑話休題。

これまでのキーボード遍歴を見ても分かる通りコンパクトキーボード(最近の言い方で言うと75%キーボード)が好きなのだが、一方で75%にこだわっているのは使用しているIMEのキーバインド等もあってFnキーを利用した英数/カナの一括変換を多用したり、日本語変換の文節区切りや選択にカーソルを多用する打ち方で慣れてしまったからである。

もしプログラマーのように英数だけをひたすら打ち続けるとか、ゲームのコントローラーとして使うのであればHHKBやゲーミングキーボードに代表されるような60%配列も良いのかもしれないが、日本語を打つ限りはFnキーとカーソルキーは外すことが出来ない。これらを備えた最小サイズというのが即ち75%ということになるわけだ。

しかし、カナ打ちかつ75%を求めるというのはその時点で深い業を背負うことにもなる。それが右シフトキーの扱いである。

カナ打ちでは濁音半濁音や句読点や捨て仮名をシフトキーと同時に入力するのでローマ字入力に比べても圧倒的にシフトキーを多用することになるのだが、独学でタッチタイプを習得したため特に右シフトを多用するようになってしまった。そしてこの右シフト多用というスタイルがいわゆる75%キーボードと大変に相性が悪いのだ。

というのも、75%キーボードというのはいわゆるテンキーレスのカーソル部分を詰め詰めにしたものなのだが、必然的にカーソルとシフトキーがエンターキーの下のスペースを奪い合うことになる。USキーボードであればエンターキーの形状が異なるしそもそもキーが少ないのでそれでも成立させやすいのだが、日本語配列だとここの陣取り合戦のせいでカーソルと右シフトとその周辺のキーには色々な配列が生まれ、しかも定番と呼べるパターンがない。

参考までに、これまでに見聞きしたことがあるのは下記のようなパターンである。

  1. カーソル上キーの右隣に小さい右シフトがあるパターン
    採用例:Realforce RC1等
  2. カーソル上キーの左隣に小さい右シフトがあるパターン(※比較的多い)
    採用例:Keychron Q1 MAX・WOBKEY Rainy75 Pro JIS等
  3. カーソルを横一文字に配列するパターン
    採用例:Keychron K3 Max
  4. フルサイズのシフトとカーソル上キーを合併させたパターン
    採用例:Keychron K2 HE
  5. 右シフトがない(!)パターン
    採用例:CORSAIR K65 PLUS
  6. 「ろ」キーの位置を吹っ飛ばしてフルサイズの右シフトにしたパターン
    採用例:Princeton UP-MKGA75
  7. カーソルを小サイズにして一段下げて大きい右シフトにしたパターン
    採用例:FMV Keyboard X(試作モデル)

……これだけバリエーションがあるという時点で、この問題にはどうやら答えがないというのは理解頂けるのではないだろうか。ちなみに現在の主流(?)は2の内側にシフトがあるパターンのようである。

さて、右シフトキーは他のキーとの同時押しになるので、必然的に小指や薬指でタイプしているのだが、出来ればここのサイズは大きい方が押しやすい。しかしこのように日本語配列でカーソルキーを近付けるとスペースの取り合いになるので、右シフトキーがテンキーレスのようにフルサイズのモデルはほとんどなく、そうしたモデルも何らかの妥協をしている。

ここでようやくダイヤテックのキーボードの話に戻ってくるのだが、実はFKB-91JPこそが、この75%(当時はこの表現はなかった)相当かつ右シフトがフルサイズのキーボードなのである。

f:id:seek_3511:20260425224435j:image上からFILCO FKB-91JP,東プレ Realforce RC1,Keychron Q1 MAX
この三つで比べても右シフトのサイズや配置はバラバラである。

つまり配列の面から言えばFKB-91JPが理想と言えるのだが、この配列はあまりにも特殊すぎてこれ以降配列を引き継いだ後継モデルが発売されることはなかった。だいたい75%かつ日本語配列という時点でウルトラニッチな製品だというのに、さらに右シフトを多用することになるカナ打ちのユーザーがどのくらいいるかといえば、もうこれは1%とかそういうレベルの話だろう。

で、FKB-91JPを久しぶりに引っ張り出して触ってみると、やはりRealforce RC1やKeychron Q1 MAXと比べてしまうとキータッチも各部の作りも一段から二段は落ちる。もちろん時代も当時の定価も異なり、そもそもこの二つは2026年現在の日本語75%キーボードとしてはトップクラスの二枚であるから比べること自体にも無理があるのだが、配列しては理想なだけに惜しい。

筐体はペラペラだし古いせいか茶軸のキースイッチも引っかかりを感じる。もっともこれはここ数年静電容量無接点のRealforceやリニア軸のQ1 MAXばかり使っていたからかもしれない。かつて主流だった黒軸や茶軸なども今となっては押下圧が高すぎるとしてあまり人気がないらしいし。というか、ゲーミングという大義名分があるとはいえ今はキースイッチ一つとっても何十という種類があるのだからとんでもない時代である。かつてはアルプス互換軸しかなかったし、その時代のメカニカルの代表格こそがダイヤテックだったのだから。そういう意味でも時代を感じずにはいられなかった。

……もうこうなると理想の配列を実現するには自作キーボードとかでフルスクラッチをやるしかないのだが、一方で世の中の自作キーボードでしか解決出来ない問題と比べるとこのシフトキーの問題というのはあまりにもピンポイント過ぎる。こんなことを解決する為にあれこれやるのはどう考えてもコスパもタイパも最悪である。

結局Q1 MAXなりRC1に慣れるしかないのだがやはりこれを打っていてもシフトの小ささは感じてしまう。そしてただでさえ望み薄だったFKB-91JPの後継機というのはダイヤテックの閉業で完全に望みが絶たれたのだから、この悩みはもう業だと思って抱え続けるしかないのだろう。

AIはドリルじゃなくて穴をくれた

表題の通り。

よくある比喩として顧客が本当に求めているものはドリルではなくて穴だとかいう小咄的なアレがあるが、実際のところ個人的にはドリルを撫で回したりドリルの性能について小一時間喋っていられる側の人間だと思っていたのでこの手の話についてはなんでぇ穴なんてそんな当たり前のこと言われても面白くねぇやと思っていた。少なくとも最近までは。

が、そういうスタンスの人間でさえ実際必要なのドリルではなくて穴だったわと感じた出来事があったので、今回はその話をしようと思う。

時に世は空前のAI時代である。LLMが使い物になるようになって数年が経ち――あるいは数年しか経っておらず――未だにIT強者共のチキンレースさながらのAI大盤振る舞いは続いている。この文を何年か後に見てマジかよそんな時代あったのかよとなるのかそれともあんなの可愛いもんだったなと思うのかはわからないが、ともかく現在は損して得取れというか、AI業界のプレーヤーは勝者総取りを狙って札束でぶん殴り合っているので、ユーザーも内心いつまでやるんだよコレとは思いつつさまざまな恩恵は受けて今に至っている。

まぁ実際それらAI利用がクリエイティブだったり倫理的に正しい方向に向けられているかどうかとか、これで消費されるGPUやメモリや電力どうすんだよとか、法律上の位置付けだの本当にあらゆるところにいくらでも問題はあるが、ともかく一時期よりはAIというものは実用的であり、かつ手の届くところにある、というのは間違いないだろう。

そんなわけで、少し前にお試し割のようなものがあったのでこちらでもGoogleのGeminiを年間プランで契約してみた。別にどこでも良かったのだが、たまたまGeminiがセールしていたのでそうなった。ちなみにどのAIモデルを使用しているかというのは、おそらく本記事の本筋にはあまり影響しないと思われる。

さて、少し前にプロ驚き屋(フリガナ:オドロキヤー)の皆様がAI検索はすごい、AIが検索市場を壊滅させるかもしれないみたいなことを言っていた覚えがあるが正直微塵もピンとこなかった。実際Gemini有料プランの契約前には無料で試せる範囲でいくつかのAI検索を試してみたが、少なくともその時点では単にどっかからか引っ張ってきた真偽不明の情報をごちゃ混ぜにして盛り付けてチャット風味で包んで乱雑に出しただけというのがAI検索の実態のように見えた。こんなん使えんわというか、既存の検索に対してのアドバンテージって一体何? というのが正直な感想だったのである。

実際、味噌もクソもAIのチャット文に加工されてしまうので参考にしているのが信頼できるソースなのかも怪しいし、仮に疑わしい内容だったとしてそれを突っ込んでもAIが誤りを認めないことすらある。だいたい、情報の真偽というのは何処のサイトにそれが書かれていたかも重要であったのだが、自分で検索先を見に行くのとは違ってAI検索ではそこを全部塗りつぶしてしまうのだから、むしろ退化であるとすら感じた。それどころか、自分で検索先を見に行った時ですら検索結果の一等地をAI検索とやらが占拠していて、正直邪魔で仕方がなかった。

……というわけでAI検索とかにはあまり期待をしておらず、Geminiを契約したのはどちらかというと趣味の調べ物のデータ整理のためであった。とはいえ、有料プランの契約をしたからには元を取らなければならないという貧乏根性もあり、MOTTAINAI精神でチャット窓をしばらく触っていると、どうもこのAIというやつは有力と無料で見た目が一緒なのに性能が違うというか、無料で試せるようなモデルはだいぶ性能が絞られているのではないか……ということがわかってきた。

無料の範囲で試してるうちはこんなもんかという評価になってしまったのだが、有料モデルであればしばらく質問を投げているうちになかなか使えるじゃんとある程度好意的に感じるようになってきた。あの慣れ慣れしいAI口調というのは相変わらず好きになれないが、それも有料モデルであればある程度ルール化することで抑制出来る。

そして話は再度AI検索の話に戻り、さらに冒頭の結論に至る。必要だったのはドリルではなくて穴だったと。

どういう意味かというと、こうした有料モデルを介したチャット形式によるAI検索というのは究極的には自分専用の穴を掘ってくれる存在だと気付いたのである。いや、使っている心情としては"AI検索ですらない"かもしれない。

たとえばこういう話があったとしよう。とある周辺機器を使っていてトラブルが起きたので解決したい……と。よくあるケースで、これまでであればまずは周辺機器の型番を検索窓に打ち込んで、そこからヘルプページに飛んで公式のFAQを確認するだろうか。それでも解決策が見つからなければ、さらに検索して他の似たトラブルがないか探して、その通りに試してみる。もちろん環境が違う場合もあるのでそれで直るかは分からないが、とにかくいくつか検索で出たものを繰り返して、時にはそれらを組み合わせて試したりなんかして、試行錯誤しているうちにいずれ正解にたどり着くことになる。

……とまぁ、こういうのがこれまでの典型的なトラブルシュートの方法であった。ドリルと穴のたとえで言えば、売り場に案内してもらって、そこに色々なドリルはあるのであとは自分で試してねという感じだろうか。もちろんドリルによって性能も異なるし、使い手の腕も試される。なんなら一旦穴については置いといてドリルについて小一時間語ることだって出来るだろう。

で、同じことをチャットAIにやらせるとどうなるか。まずある程度公式サイトに書いてあるような事象と共に解決策が列挙される。そしてそれでも直らなければ、例えば詰まっている時点でのスクリーンショットやエラーメッセージを貼り付ければ、 AIはそれを解釈して何処かの設定が間違っていないか、あるいは参考になる他の何かと環境が違うかどうかなどを汲み取って、こちらの環境に合わせてカスタマイズして回答してくれる(機能次第ではそのままAI側で設定までしてくれる。こうなると穴まで開けてくれると言える)。

つまり検索は目的ではなく手段だったのだ。

これに気付いた途端、今までのように売り場を案内してもらって、一つ一つドリルを手に取っていたのが途端に馬鹿らしくなってきた。つまり本当に解決したいのはトラブルであり穴を開けることであって、そのためにドリルの扱いを練習したり、あるいはドリルの種類に詳しくなったりするというのは全てストレスの要因だったのではないかというわけである。検索をし、検索先を読み、それを自分の環境と見比べ、対比した上で解決のための策を練る――そういう部分というのはやっぱり負荷だったし、言ってみれば下拵えでしかない。

そしてここでもう一つ大事な命題に至る。さっきまでソースの正確性がどうだという話をしていたのだが、ふと気付いてみると、求めていた穴が綺麗に開くのであればそれがどのようなドリルによるものであっても実際のところそれは大きな問題ではないということである。

つまり、世の中にはソースを気にすべきところとそうでないところがあって、気にすべきところはトコトン追求すべきなのかもしれないが、そうでないものに対してはソースはともかくだいたい80点以上の回答が返ってきさえすればよい。先の言い方をすれば満足出来る穴が開けばそれでいい。そういう意味では現在のAIの性能であればかなりの確率で80点以上の回答を返してくるのだから、つまるところそれでいいじゃない、一体何が不満なの? という話になるわけである。

さらに言えば、ユーザー側がよく知っていることに関しては仮にAIが間違いを言っていても指摘出来るし、それを指摘することによってユーザーも「AIもまだまだだな」と思うことになる。しかしよく知らないことについては、そもそも審美眼やセンサーのようなものが何処まで機能するかも怪しい。結局のところ検索であっても上位に表示されたそれらしいページのいくつかをつまみ食いしてそれでわかった気になっておしまいになるのが関の山だし、仮にそうした検索結果の何処かが間違っていたとしても知らないものの間違いなどそもそも指摘のしようがない。それであればむしろ問い詰めたり質問したり出来るAIに聞いた方がナンボかマシという可能性も大いにある。

こういう結論に至った結果、内心検索という概念は半分くらいは溶けてなくなってしまった。かつては問題解決のために検索しなければならなかったが、検索以外で問題解決が出来るのであればわざわざ検索でやる必要もないとそう感じるまでになってしまった。こうなると知りたいことがチャット窓ひとつで完結してしまうことも増えてきたのだが、とはいえAIがインターネットの膨大な知見を食べて育ったことを考えると、その源泉であるインターネットに人が目を向けなくなり、チャット窓に閉じ込めるようになってしまうというやり方もまたいかがなものかとは思う。

とはいえ、こうした問いもこの時代ならではのものになる可能性はある。そういう意味では今回の記事というのは2026年3月現在の感想を封止するためのものである。そしてそれこそがインターネットという場所に何かを書き残す意義ではないかと思っている。まぁ石碑みたいなもんだと思えばいい。

かつて確かに存在した、広大な世界を縦横無尽に結び付けていたハイパーリンクを使いこなすネットサーフィンの時代はどうやら終わってしまったみたいだし、気が付けば世界はチャット窓ひとつで済むほどに縮んでしまったようだ。そこにはやはり寂しさがあるし憂いもある。

だけど手元には立派な穴が開いているのだから、きっとそれで十分なのだ。

ラーメン大学の謎(と、ラーメン屋になった自動車メーカーの話)

圧倒的な資本力に裏打ちされた全国チェーンが日本中の景色を塗り替え、ありとあらゆる地方の町並みが均一化していく中で、最近ではそれに抗うかのようにその地方の色を残し続けるローカルチェーンが好意的に取り上げられることも増えている。

今回は、そんなローカルチェーンの一つに残る謎についての考察である。国会図書館デジタルコレクション等を用いた机上調査であり現地取材は一切行っていないが、それでもこれまでにない調査になったものと自負している。

本記事で主に取り上げるのは、主に長野県内のローカルチェーンとして認識されているラーメン大学というチェーン店である。

この店は現在ネット上での一般的な認識としては長野県内を地盤にしたチェーン店だと思われているが、実は地方を旅しているとそれ以外の地域で同じ屋号を掲げた店に出会うことがある。過去島根や山口でも見かけたことがあり、はて長野のチェーンがこんなところまで勢力を伸ばしていたのだろうかと疑問に思ったものだ。

そして、改めて調べてみると驚きの事実が発覚したのでここに掲載する次第である。

まず、ラーメン大学を語る上で前史となるのが1960年代後半に発生したサッポロラーメンブームである。当時、サッポロラーメン(味噌ラーメン)は北海道ローカルな存在であり、これを関東圏に持ち込んだのが現在でも続くチェーンの一つ、現在はペリカンのマークで知られるどさん子ラーメンであった。

www.e-aidem.com

さて、このどさん子(運営会社:北国商事株式会社)だが上記参考記事にもある通り名前のよく似たチェーン(どさんこ大将やどさん娘)が存在しており、実際にこれらの間では訴訟沙汰になったりもした。しかしこれらの別チェーンについても実はルーツはどさん子にあり、本部の関係者だった者やどさん子の傘下でラーメン店を営んだ者が独立したケースが多々あったようだ。

例えば、どさん子の創始者である青池保氏は1961年、東京都墨田区に「つたや」という中華料理店を開き、これを複数店舗展開したのちに1967年からどさん子のチェーン展開を開始したとある。
[出典:飲食ビッグチェーン33 : 直営店に重点を置くチェーン展開,東京経済,1977,P75 ]
https://dl.ndl.go.jp/pid/12765076/1/163?keyword=%E5%8C%97%E5%9B%BD%E5%95%86%E4%BA%8B%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE

これに対し、どさんこ大将(運営会社:北宝商事株式会社)を率いる吉田愛児氏はこの「つたや」に関わっており、1967年にどさんこ大将の一号店を開設、1969年からは北宝商事を設立してチェーン展開を始めている。
[出典:うまい麺・売れる麺 : 麺の製造と販売,食品と科学社,1972,P136]
https://dl.ndl.go.jp/pid/12101254/1/79?keyword=%E5%8C%97%E5%AE%9D

また、どさん娘(運営会社:株式会社サトー商事)を展開する佐藤長吉氏は1976年のインタビューで「元々は看板屋をやっていたが、どさん子のフランチャイズに加入するという友人に出資したところその人気に驚き、自分で運営する側に回ることにした」と回答している。つまりこれもまたどさん子関係者と言って良いだろう。
[出典:近代中小企業1976年8月号,中小企業経営研究会,1976,P72-73]
https://dl.ndl.go.jp/pid/2653683/1/40

これらの店に対して元祖(?)であるどさん子の青池氏は自らの著作で「私が始めた”札幌ラーメン・チェーン”は、"どさん子"のほかに、"どさん娘"、"どさんこ大将"、"熊ぼっこ"、"狸小路"、"ラーメン大学"と、多士済々の名を競い合っているが、いずれも、"どさん子"の亜流か、換骨奪胎ではないか、少なくとも"どさん子"の釜の飯を食った人たちによって作られ、運営されているのが実情ではないか」と述べていた。
[出典:青池保,ラーメンの王様どさん子商法,東京経済,1973,P197-198
]

そう、どさん子の名前を直接的に使った「どさん娘」「どさんこ大将」ばかりがクローズアップされがちであるが、似た商標は使わないまでもどさん子から枝分かれしたチェーン店は他にも存在しており、その一つがラーメン大学だったのである。

この1970年に設立されたラーメン大学(運営会社:株式会社ラーメン大学)の代表である鈴木昭春氏は、かつてどさん子運営会社である北国商事株式会社の専務を務めていた。つまりどさん子の幹部が独立したわけなので完全にどさん子の血筋と言って良いだろう。

……とまぁ、ラーメン大学のそもそものルーツはどさん子にあったというわけだが、この株式会社ラーメン大学の時代、本社所在地は東京にあり、決して長野のローカルチェーンというわけでもなかった。むしろ、70年代においては全国チェーンを指向していたのである。

このラーメン大学は本社が直轄する他のどさん子系フランチャイズの多くとは異なり、エリアフランチャイズ方式を取っていた。この方式は各地区に地区統括を置き、そこから個々のフランチャイズ店を管理する形であり、個々の地域に対するコントールが効くことからかつてはコンビニ等でもよく見られた形態の一つである。

そしてここで登場するのがホープ興業株式会社という会社である。このホープ興業はラーメン大学の西日本エリアを統括する西日本本部だったわけだが、この会社の社長は小野定良氏という方だった。

この小野とホープという名前でピンと来た方は相当なカーマニアだろう。実は小野氏、軽オート三輪の先駆けであるホープスターで知られる、れっきとした自動車メーカー(ホープ自動車)の社長でもあったのだ。

ja.wikipedia.org

ただ、ホープ自動車は大手メーカーに押されて1965年には自動車事業から一旦撤退、その後1967年頃に再起を賭けて軽四輪駆動車という全く新しいジャンルを切り開くホープスター・ON型4WDを開発するものの、量産を断念。この車の権利はスズキに販売され、それが現在も続くジムニーの礎となったことが知られている。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

さて、自動車事業を諦めたホープは遊園地の遊具やアミューズメント機器という新たな事業を興し、こちらで再起を果たして近年まで健在だったが、それも2017年に倒産してしまった……というのが、一般によく知られているホープの足跡である。しかし、先にも述べた通り実はこれらの事業転換と並行してホープは外食産業にも進出していたのである!

このホープ興業株式会社は(ちょうど自動車事業を諦めつつあった)1965年に設立され、当初は京都の大山崎ドライブインを経営していたようだ。その後1970年に一度どさん子のフランチャイジーとして参加したが、郊外ロードサイド重視の出店方針が当時のどさん子の方針と合わなかったことから、1972年にラーメン大学ブランドで新たに出店したというのがラーメン大学事業の始まりのようである。
[出典:中華料理店 : 開店と経営,柴田書店,1976,P270]
https://dl.ndl.go.jp/pid/12024414/1/144?keyword=%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%97

ひょっとしたら、この当初の出店時にどさん子側に居たのが(当時はどさん子の幹部であった)ラーメン大学の鈴木氏だったのかもしれない。

そして、この「中華料理店 : 開店と経営」という本には株式会社ラーメン大学の加盟店募集広告も掲載されているのだが、そこには四社の名前が連名で掲載されている。

そう、現在に残っている長野のラーメン大学のルーツは直接的にはこの信濃商事株式会社である。この長野のラーメン大学(信濃商事株式会社)を率いていたのは祢津久男氏で、長野で飲食店を経営していた氏は1971年に東京を訪れた際に(当時東京に一件だけあったとされている)ラーメン大学に立ち寄った際に可能性を感じ、長野での店舗展開を決めたとのことである。
[出典:朝日新聞長野支局 編,信州リッチマン列伝,銀河書房,1974,P32]
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260288/1/20

※株式会社ラーメン大学の本社所在地は墨田区押上であり、墨田区本所とは至近である。

ちなみにこの祢津久男氏、先の資料ではT食品(テイショク)の株を買い占めて乗っ取りを謀るなどしており、別の資料では名電工関連の仕手筋の人物としているものもあったりする。そもそも名電工の代理店だった時期もあるようだ。まぁやり手()の実業家だったということなのだろう。
[出典:中村光行,実録・仕手戦の内幕,オーエス出版,1987,P51]
https://dl.ndl.go.jp/pid/11978794

ja.wikipedia.org

祢津氏は1997年の食品工業総合名鑑には株式会社エスネッツの会長として掲載されており、このエスネッツの業務内容も「ラーメン大学本部」となっている。このエスネッツの社名は有名サイトである本店の旅にて現在運営会社とされている企業でもある。つまり、長野のラーメン大学に関してはかつてこのエリアを統括していた信濃商事の流れがそのまま続いていたと言っていいだろう。
[出典:食品工業総合名鑑1997,光琳,1997,P706]
https://dl.ndl.go.jp/pid/11941270

1goten.jp

ただし、このサイトにある「そのルーツは、1962年頃に東京で創業した店舗となる。そして1965年、暖簾分けという形で長野県でオープンするのが、今のラーメン大学の本流となる」というのはこれまでの当サイトで説明してきたラーメン大学の成り立ちを見れば明らかに誤りであることがわかる。おそらく信州リッチマン列伝にある1971年というのが本当の(長野のラーメン大学の)始まりであろう。

しいて言えば、1962年は青池氏(どさん子)の「つたや」が多店舗展開した時期であり、また1965年には(ラーメン大学地方本部の一つであり、信濃商事よりも先行していた)ホープ興業が設立されていることから、これらの記録と混ざっているのではないかと考えられる。いずれにせよ大まかに言えばサッポロラーメンブームの流れの中にあった店舗であることは間違いない。

このような中でホープ興業の運営する長野以外のラーメン大学については90年代半ばまで加盟店募集をしていたようなのだが、その後ホープ本体の運営に専念するようになったのか、2000年代を待たずしてラーメン大学からは手を引いたと考えられる。おそらくは他の地域も同様であり、結果として長野以外の店舗は消えていったので長野のラーメン大学だけが残り、現在のようなローカルチェーンと見紛う状況が生まれたというわけである。

とまぁ、ルーツのよくわからないチェーン店を追うことで、競合ひしめくサッポロラーメンブームであったり、自動車という夢に賭け夢破れた企業の知られざる生き残り策だったり、あるいは特定の地域に根ざしたやり手経営者だったりといった様々な歴史を感じることが出来たわけである。そもそもこの時代の記録を読んでいるとサッポロラーメンブームというのはすさまじく、上記に出てきた経営者達も一年で数十店舗をオープンさせるなど破竹の勢いで、一時はどさん子だけでも1,000店を超えていたという。まさにラーメンチェーンの黎明期はゴールドラッシュでありそこに群がる人達の人間模様も主力商品となる味噌ラーメンのごとくあまりにも濃厚だったのだ。

それにしたってちょっと味が濃すぎる気もするのだが。