停滞。
山に登り紅葉を見に行くのだ
だいたい年に一度くらいのペースで思い出したかのように山に登っては、その度に登山が趣味というわけではないと言い続けているのだが、今年もまた山に登ってきた。
改めての繰り返しになるが、年に一度くらいしか行かないし、行ってみたいところがたまたま登山した先にあるから嫌々登ってるというだけで登山が趣味というわけではない。登らないで済むならそうしたいのだが、地形がそれを許さないのである。
思い返せば2020年、コロナ禍真っ最中でGotoトラベルの補助があった時にこの機を逃すなとばかりに屋久島まで縄文杉を見に行った(その際麓から片道10kmくらい歩く羽目になる)のがこのシリーズの始まりなわけだが、それ以降山の中の温泉に行ったりだとか富士山に登ったりしてきて、その一部は記事化してきた。
で、屋久島や富士山同様、一生に一度くらいは行ってみたい(が、登山しないと行けない)と思っていた場所の一つが北アルプスにある涸沢カールであった。紅葉と言えばの代名詞的スポットである。
しかし、屋久島や富士山もそこそこ到達難易度は高かったが、涸沢カールも思いつきで行くにはちょっと難易度が高い。屋久島や富士山も同様ではあるがまず出発地点となる上高地にはマイカー規制が敷かれており自家用車で訪れることが出来ない。麓の駐車場(関東からだと東側の沢渡駐車場)まで車で向かい、そこからバスで上高地まで行くことになる。そしてバスを降りたらそこからは自分の足で歩くことになり、涸沢カールまではだいたいコースタイム片道6時間くらいということになっている(ただし前半はほぼ平坦なので登山と言えるのは後半分くらい)。
そしてこれまでの登山にはない要素として、今回は涸沢テント場でのテント泊が存在する。バスの始発から歩き始めてコースタイムから少し遅いくらいで登ると自分の技量ではその日の日が沈むうちには帰ってこれるか怪しいし、どうせなら朝焼けも撮りたいのでそうなると必然的に現地に泊まることになる。もちろん現地には山小屋もあるのだが紅葉の時期に予約なんて取れるわけもないので、夜を越したければテントを張る以外に選択肢はない。
幸か不幸か、手元にはコロナ禍でキャンプツーリングを検討していた時に買った(が、行く予定だった場所が離島でやんわりと訪問NGを告げられたため最終的に断念した)登山用テントがある。この件を断念して以降、佐渡島でレンタルバイクを借りてキャンプツーリングした一回のみの使用に留まっていたが、今回これを使わない手はない。このテントによって涸沢カールへのアタックが現実味を帯びてきたのである。
そして最後のピースがタイミングである。山に行く以上悪天候は避けたいし、泊まりでの遠征になることから時間もある程度必要である。これにさらに紅葉が色づいている時期という条件を掛け合わせると全てが成立することなどそうそう無い。……が、2024年は奇跡的にそれらが重なった。スポーツの日を絡めた10月の三連休、紅葉は色づきを迎え、少なくとも平地の天気は晴れ、上手くいけば有休等を使うことなく登って帰ってくる目処が立ったのだ。かくしてこのワンチャンを活かすべく、久々に使うテントや登山道具を引っ張り出した。
この機を逃したら次はない。
というわけで、三連休前日となる10/11(金)深夜、松本方面に向けて出発。深夜に沢渡駐車場を訪れると、いくつかの駐車場は既に満車であったが、うまく周辺のバスターミナルからほど近い駐車場に滑り込むことが出来た。これ幸いとばかりに車中泊セットを組立てて仮眠を取る。明日は長くなりそうだ。
10/12(土)6:00少し前、起床。数時間の仮眠ではあるものの、それなりに寝られたのでこの時点での不安はない。テント・マットをはじめとした登山道具一式を詰めた40Lのザックはこれまでで一番重いが、歩けないというほどではない。
駐車場のゲートに目をやると入場待ちの車が列を成していた。が、よくよく考えるとここにこの時間に駐車している車というのはまず間違いなく上高地にこれから向かう人達のものなわけで、今から待ったところで車が出てくるのは最短でも午後なのではないかと思ったのだが、まぁ他人のことを心配しても仕方が無いので歩いてバスターミナルに向かう。
ところがこの車列というのはバスにも悪影響を及ぼしていたことが判明する。どうも駐車場から溢れた車が路駐しているらしく、そのせいで循環しているバスも遅れているようでバス待ちは長蛇の列となっていた。重い荷物を持った状態でコースタイム通りに歩けるか不安なので朝イチで行くつもりだったのに、いきなり出鼻を挫かれた格好である。結局、6:00に起きたのに上高地側のバスターミナルに到着したのは7:45頃であった。いきなり予定から1時間くらい押しているが、まぁなんとかなるだろうということで、ここからはひたすらに歩きである。
三連休だけあって人は多いが、その中でもデカいザックに銀マットを刺している人はキャンプを前提とした装備なわけで、おそらくは目指す先は同じである。こうした人の多さに圧倒されつつも、反面心強さも感じた。こっちは永遠の初心者なので同じ場所を目指す人が多い状況は歓迎である。
さて、上高地バスターミナルから涸沢カールまでの道のりだが、先に述べたとおり時間にして半分くらいはハイキングに近い比較的平坦な道である。途中には明神、徳沢、横尾とチェックポイント的に休憩施設があり、ここでトイレや水の補給も出来るし、徳沢や横尾ではキャンプ場もある。朝早くから登りたい場合はここで一泊して翌朝から歩いて行くという手もあるようだ。
とはいえ、本格的な登山が始まる最後のチェックポイントである横尾まででも10km・3時間程度歩くことになる。
というわけで、ここまで来るだけでもそこそこ消耗しているので横尾まで来たら休憩がてらバーナーでラーメンを煮て食べたりした。行動食としていくらかの菓子類の他はチキンラーメン的な味付き麺とフリーズドライのスープをある程度持ってきたので、今回の道中はそれを食べて過ごすことになった。この後このバーナーが大活躍というかギリギリの窮地を救うことになるのだが、この時はまだ知る由もない。
写真の通りここまでの天気は快晴であり、汗で服が濡れていることや水分の補給がこの時点での主な懸念だった。一応標高も高くなるだろうということで上着は持ってきたし、雨具ももちろん持っていたのだが、この時点ではそれらを使うことは考えもしなかった。
そんなわけで13時頃、元谷橋まで到達。この時点までは本当に平和だった。
泊まりの道具を詰め込んだザックこそこれまでにないレベルで重たいものの、この時点でも機材にこれといったトラブルは起きておらず、体調的にもまだまだ余裕があった。これはなんとかなるのではと思って黙々と登っていたのだが、しばらくするとだんだん曇ってきて、そのうち案の定というか、いつものように雨が降り始めた(過去の登山では晴れを選んでいるにも関わらずだいたい雨に降られている)。
さっきまで天気が良かったので他の登山者からも突然の雨に驚く声が上がるくらいだったが、それと同時に「おそらくこれは通り雨に過ぎないだろう」という声も聞こえてきた。同感であるしそうであってほしいと願っていたが、この頃になるとだいぶ標高も上がっていたので、雨具代わりのソフトシェルを着込んで、ついでにザックカバーもしておく。用心するに越したことはない。
……そしてその用心はすぐさま報われる(?)こととなった。
なんとほどなく雹が降ってきたのである。もうこうなると笑うしかない。痛くはないが鬱陶しい。もはや雨が上がるという希望は捨ててあとはひたすらに歩くのみである。ここまで来てしまったら今更引き返しても仕方ない。それにしてもさっきまでの快調さは一体何処に行ってしまったのだろうか? 雹はそのうち冷たい雨に変わったが、濡れることを考えるとまだ雹の方がマシだったかもしれない。
そういうわけで、ボロボロになりながらなんとか登り続けて涸沢ヒュッテの目印である旗が見えた時は感動したが、見えるだけで一向に近くならない。富士山の時も思ったが、目標に手が届きそうになった時ほどそこからさらに時間がかかるものである。分かってるんだけどもう最後の気力を振り絞っている身なのでやっぱりつらい。
そして15:30。ついに涸沢ヒュッテに到達した。登り切ったのである(なお、登山が趣味の人にとってはここは通過点に過ぎないことも多く、ここをベースにして周辺の山々へ向かうそうだが、登山が趣味というわけでもないのでここまで来れただけでも良しとする)。
さて、ここまで着いたとしてもまだまだやることは盛りだくさんである。
既にテント場には多数のテントが広げられており、荷物を置くにも雨風を避けるにもまずは自分のテントを張らなくてはならない。しかしここのテント場は岩場になっていて大きな岩がゴロゴロしており、平地にテントを張ることはできない。
雨が降り続く中、消耗した頭と身体で初見の場所にテントを張るわけである。結果として安定して寝るには厳しい場所に、安定して寝るには厳しい完成度のテントが張られることになった。とはいえ立ち上げてさえしまえば雨風は凌げる。少なくとも外で凍えるよりはずっとマシである。
テントに荷物を引き込むと、エアマットを膨らませたり濡れた荷物を拭いたりと最低限の準備を終わらせた。この時点でもテント場の申込列は長蛇の列だったのでしばらく様子を見ていたのだが、一向に列が解消する感じがなかったので、落ち着いたところで列に並び始めた。幸いにしてこの頃には雨もほとんど上がっていたのだが、明るいうちに並び始めたというのに、申し込みが済んだ頃にはすっかり暗くなっていた。
さて、申し込みも済んだので引き続き水場から水をもらってきたりして夕食がわりのラーメンやスープを作って食べる。スープはフリーズドライなので多めに持ってきたのだが、結果としてこれが正解だった。下手すれば半袖でも歩けた麓の気温とは打って変わって、こちらは雨もあってか非常に寒い。身体を温めるものは何よりもありがたかった。
暗くなってくるとあたり一面に張られたテントに灯りがともり、派手な色の多い登山用テントということもあって非常に綺麗だった。もっとも、この規模(1000張ほどあったらしい)でテントが設営されることはこの時期の週末くらいらしい。おそらく条件的にはこの三連休というのが最もテントが多かった日なのではないかと思われる。
せっかくなのでカメラを持って外に出るが、すでに体力、気力ともに寒空の下での撮影に耐えられるレベルではなかったため、ある程度それっぽいカットを押さえたら芯まで冷え込む前に退散する。元はと言えばこの景色が見たかったから来たのだけど、この時点での気持ちは到達証明としての写真が撮れればもうそれでよしで、まずは生きて無事に帰ることに目標がシフトしていた。三連休の初日にここに来ているのでワンチャン二泊で三日フルに使うことも可能な日程ではあったが、もう一泊ここで過ごす気力は既に消え失せていた。
撮影を終えたらとにかく寒いので、さっさと寝ることにする。
……が、いくらエアマットを敷いたとはいえゴツゴツの岩の上に斜めに即席建造されたテントでは快適な睡眠環境とは程遠い。ザックの容量と重さから選定した寝袋もギリギリのスペックだったらしく、とにかく寒い。しまいにはガタガタ歯が鳴る始末で、これは低体温症になるのではと思い度々起き出しては湯を沸かしてはスープやお湯を飲んで身体を温めた。
この頃になるとテント内も結露で湿っており、なんとかまだ濡れていない服を着込んで、寒さで死なないようにして朝まで耐えることにした(結果として耐えてはいる)。ちなみに翌朝、荷物を片付けていてザックの隅に入っていた使い捨てカイロの存在に気付いて膝から崩れ落ちることになる。
このようなことをしているうちに日付は変わって10/13(日)。夜が明ける前に起床。起床っていうかあんま寝てねぇしなと思いつつ、とにかく日が出ればある程度は気温も上がることだろうし、何よりかの有名な朝焼けを一目見てみたいということで、再度カメラを持ってテントを抜け出した。
周囲が暗い中、遠くに見える山々では朝焼けを山頂で迎えようとしている登山者なのか、時々ヘッドライトの灯りが動いている。中にはあんなとこあんな速度で人が登れんのかよみたいなのもあったが、まぁ世の中にはそういう人もいるんだろう。相変わらず寒いが、せめて朝焼けをモノにするまではと気合いで粘る。とはいえもう歩き回ってベストスポットを探すみたいな気力はなく、前日同様展望台からそれなりのカットが押さえられればそれでいいというレベルになっていた。なんせこの後テント撤収の上で下山もある、余力は残さないといけない。
かくして、 寒さと戦いながらも朝焼けに染まる山々と色とりどりのテントが埋める涸沢カールの姿をカメラに収めることで、ここに来た一応の目標は達成した。今年の紅葉は気象の関係もあってか赤味が少なくて憧れたポスターや写真集のようとまでは行かなかったが、それでもこの日にここまで来ただけのことはあったろうと思う。
ちなみに、この最低限の撮影を終えたのち、さらにこの近くにフォトスポット(湖のようになった場所に紅葉が映り込むところ)があったらしいのだが、そんな事を知らなかったため華麗にスルーしている。
日が出てからはゆっくりしていこうかとも思ったのだが、周りを見回すと皆テントを撤収しているのでそれに倣ってこちらもテントを片付け始める。夜露に濡れたテントは表面が凍っており、タオルで叩いたり手袋で払ったりしてから畳んでいく。改めて見るとよくこんなところで過ごしたなという感じだったが、ともかく1日耐えることは出来た。しばらくテントを片付けているとラジオ体操が始まり、足元に気を付けながらこんなところでやるラジオ体操もいいものだなと感慨に耽る。登山そのものが楽しいわけではないのだけど、その先にあるものに関してはやはりいいものである。
そうこうしているうちに無事テントを畳み、荷物のパッキングも終えたので、7:30頃いよいよ下山である。ヒュッテ側で名物らしいおでんなどの軽食を取っていくことも考えたが、同じようなことを考える人も多く混んでるのでパスした。またただ来た道を戻るのも癪なので下山時はパノラマルート(別ルート、少し難易度が高い)を取ることも考えたが、永遠の初心者ということもありやめることにした。これは今考えても正解だったと思う。
というのも、前日の雨で登山道はそこかしこで凍結しており、しかもぱっと見凍結しているように見えないのでいたるところで人が滑って転んでいたのである。ここで足でも捻ったら大変なことになるので慎重に降りていったが、正直何回か怪しいシーンもあった。何より足を置いた先が凍ってることを心配しながら降りるのは疲れるものである。
テントや寝袋のこともそうだが、結局基本的には「山を舐めるな」という態度でちょうどいいんだなぁなんて思いつつ、疲れた体に鞭打って降りていった。そうこうしているうちに天気の方も麓に降りていくに従って良くなっていき、元谷橋ではまるで昨日と何も変わらないかのような快晴であった。こうしたチェックポイントで適宜休憩を取りつつ、終わったら温泉にでも入りたいなと考えながらひたすら歩く。
で、帰り道の精神状態で言うと後半にあたる比較的平坦な区間のほうが辛かった。ザックの重さはつねに肩にのしかかるし、平坦とはいえ3-4時間は歩く行程である。そう、横尾まで降りたとしても片道6時間の行程のまだ半分でしかないのだ。とにかく黙々と歩き、途中徳沢で昼飯代わりに牛丼を食べてもう一踏ん張り。いっそここらでテント張ってもう一泊して回復して帰るのもどうかと真剣に考える程度には疲れていた。
そんなわけで、ひたすら歩いてなんとか明るいうちにバスターミナルまで帰ってくる事ができた。上高地まで帰ってくるとこれまでとは段違いの人の多さだし軽装の人も多くてようやく登山から「世の中」に帰ってきたような気がした。ここで最低限のお土産と飲み物を買い込んで、最後の休憩。
さて帰るぞと思ったのだが、バスターミナルに向かう道には長蛇の列。というか、並び始めた時点ではまったく先が見えず、前後の人からの「どうもこれが沢渡に帰るバス列らしい」というあやふやな情報で並び始める羽目になった。
この列は並び始めた時点で500mほど伸びており、ようやく下山して帰れると思ったら最後にこんな試練が待ち受けていたのである。そんな中で、たまたま前に並んでいた方も前日涸沢に泊まって穂高に行ったりしていたとのことで、並んでる最中あまりにも暇なのでバスを降りるまでずっと話し込んでしまった。前述したフォトスポットの話もこの方から教えてもらったものである。
そしてこの列に並んでる間にザックのポケットに入れていたカメラを落としていたらしいのだが、疲れ果てていたため当時そのことに気付いていなかった(気付いたのはバス降車後)。
このあと、二時間ほどかかってなんとか暗くなる前にバスに乗れたものの、結局沢渡のバスターミナルに着いた頃には暗くなっていたこと、この時にカメラ紛失に気付いて色々問い合わせたこと、全身バキバキ状態で自分の車に戻ったが路駐と交通集中と工事の影響で松本まで2時間以上かかったこと、そんなこんなで温泉に入れる時間を逸してしまったのでせめて飯でもと思って(足が棒のようになっていたので)生まれたての仔馬のようなステップで飯を食ったが諏訪湖SAでとうとう体力の限界を迎えて仮眠してから帰ったことなど色々あるのだが、とにかくにもこの三連休で涸沢カールに登り、紅葉を見てくるという目標はやり切った(なお落としたカメラは運良く届けてもらっていたので数週間後に無事に手元に戻った。 危うく旅の目的を吹っ飛ばすところであり改めて拾って頂いた方に感謝である)。
こうして振り返っていてもやはり色々反省点はあるのだが、そうは言ってもある程度準備と心構えがあったので無事に帰って来れたという面もある。そういう意味で、繰り返しになるが基本的には山を舐めるなという態度でちょうど良いのだろう。
また、今回テント泊を含む行程を達成したことで今後の行動にバリエーションが生まれたのは確かである。とはいえ今度は「山に登ってまで行きたいところ」のストックが尽きた感もある。なんせ山に登ること自体は趣味じゃないのだ。山に登らないで済むならなるべくそうしたい。ただし登らなければ行けない場所や、見られない景色があるのならばその限りではない。相変わらずそういうことにしておこうと思う。
それではまた来年、かな?
趣味車を買う[保有編]
前回記事の通り、バイクを買うつもりで間違って車を買った。
オープンカーとかMTに乗ってみたいとかミッドシップ体験したいとか乗ったことのないメーカーに乗ってみたいとか色々理由はあったものの、実際のところ条件に丁度良く合う車がビートだったからというわけで、別に昔からずっと憧れていたからとかそういうわけではなかった。つまり、積極的にこれに乗りたかったからという理由による車種選定ではない。
が、乗ってみるとなんというか色々と丁度いいのである。
そういうわけで、今回はビートというのがどういう車で何が丁度良かったのかとかそのあたりの話をしてみることにする。
まず最初に身も蓋もない話だが、乗っていく上で維持費がそれほどかからないということがセカンドカー保有の大前提になっている。一応今のところ職には就いているので買うだけであればおそらくポルシェでもBMWでもやろうと思えば買える(※もちろん中古を鬼ローン前提)だろうけど、買って維持して乗ってこその車であり、基本的に元の値段が高い車というのは部品も税金も高いので維持費も高い。これまで年式の新しい国産車を乗り継いできたのはそういうところにカネがかからないからという理由が大きかった。
そこんとこビートはどうなのかというと、まず手元の個体は1991年式であり既に30年以上前の軽自動車なのでさすがにそれなりのヤレはある。とはいえ、走る曲がる止まる以外のヤレについては無視しても構わないというのであれば割となんとかなってしまう。
固定的にかかる費用として税金と保険があるが、税金は重課税といっても12,900円だし、任意保険は車両保険なしで2万円を少し飛び出す程度である。この時点で普通車よりもだいぶ懐に優しい。駐車場代は面積に応じて安くなるというわけでもないのでちょっと損した気分であるが、そもそも駐車場を借りなくてならないような場所でセカンドカーとか買う方が馬鹿なのでこれは無視することとする(毎月の固定費なのでこれが一番高いのだが……)。
ここで改めて言っておくと、駐車場代がかからない場所に住んでいるのであればセカンドカーは人生を豊かにすると思うが、そうではない場合に駐車場代として高い金払ってまで保有するのはあまりお勧めはしない。覚悟がある人だけにしておこう。それでも実行しているのは馬鹿だからである。
さて、古い車では当然気になる修理費用だが幸いなことに今のところ大きな故障はない。前回も言ったが前のオーナーによってだいぶ手がかけられた車だったし、こまごましたことは気にしないことにしているので、タコメーターの動きがおかしいとか幌のジッパーがもげたとかエアコンのノブが割れたとかエアコンの照明が付かなくなったとかセルの戻りが悪くなったとかAピラーのパッキンが痩せてて雨漏りするとか書き出してみれば色々あるのだが、購入以来自走不能になるような故障は一切なく、現在まで普通に走って曲がって止まっている。心配でJAF入ったのに。
そしてこれは保有してからわかったことなのだが、新車時にある程度人気があって売れた+古くなっても根強い人気があり残存数が多い車種ということは「この車を残そうとして奮闘した先人の知識はもちろん、パーツやショップ自体も多い」ということに他ならない。そうした知識を元にDIYするもよし、専門ショップの門を叩くもよしで選択肢は幅広く残されてる。本来マイナー車好きの身ではあるのだが、こうした理由からそこそこ古い車を保有するのであれば人気車種一択であると感じた次第である。実際出回っている中古車も前オーナーの愛を受けた車両が多い。
今後もどこかしらは壊れるだろうし、既にそういう年式であるが、多少の故障なら頑張ろうと思える程度には気に入ってはいるのでもしそうなったとしてもそのときの懐具合とテンションで決まっていくことだろう。
ちなみに、燃費は思った以上に良い。NAの軽自動車ということもあり普通に走ってても15~20km/Lくらいは行く。十分にエコカーである。ただしタンクが小さくて20Lくらいしか入らないので、実質的な航続距離は300~400kmといったところであり遠乗りには不便だ。ぶん回すことが多いのでお守り程度にハイオクを入れているが、基本的にはレギュラーの車なのでそういう意味でのコストも安いと言える。
実用性の面で言うと荷物を載せるスペースはそれほどないが、一人で乗るなら助手席側にカバンが置ければそれで良いので特に問題ない。しいて言えばカップホルダーがないのが時代を感じるところだろうか。エアコンの効きはさすがに外気温が40度に届くかという2020年代には完全に力不足を感じる。元々エアコンが死んでる個体も多いので、よほどのことが無い限り真夏の昼間には乗らない方がいいと思う。旧規格の軽だがそもそも2人分の席しかないので意外に広く感じて快適である。
こういう見た目の車なので気にする人も多いであろう走りの話だが、正直絶対的な速さを求めるような車ではないと思う。軽の屋根開きで安くて速いのに乗りたければ今なら初代コペンを買うのが正解だろう。額面上は64psで同じでも、年数分の軽自動車全体の進化とターボの余裕というのはやはり否定しようがない差である。そんでお金があるならS660買った方が速いけどこのくらいの金額出すとなるとロードスターとかも見えてくるのが難しいところ。ともかくビートは速さを求める車ではない。
では速くないなら楽しくないのかというと、そういうわけでもない。むしろ遅いからこそ楽しいとすら感られる。
どういうことかというと、つまるところこの車は車輪が四つあって、いざとなれば雨風が凌げる原付なのだ。風を全身に浴びながらバイパスでアクセルを全開にしてようやく流れに乗れるあの感じを味わえる、現代においては希有な乗り物なのである。
実際、町中でも流れに乗るにはそれなりのダッシュを要求される。飛ばしシフトくらいは許容してくれるが、逆に2~3速でレッドゾーン手前まで回すことも出来る。何故ならそれなりに回しても法定速度+αくらいしか出ないからである。
これが普通車だとそういうわけにはいかない。たとえば町中でVTECの高速側カムが作動するような走り方をしていたらそれは即ち珍走そのものである。速度計もおそらくは免許が危なくなる領域に入っていることだろう。今の普通車というのは3,000rpmも回せば十分走るように出来ていて、高速の合流や追い越しですらレッドゾーンまで回すようなことはほとんどない。
実際メインの車であるスイスポであっても峠道でレッド付近まで回せばちょっとした速度になる。そういう速度というのは自分の身とか免許とか、そういったものがちょっとしたミスで壊れかねない速度域になるのでそうそう試せるものではない。ミニサーキットみたいなところで走ると楽しいけど。
そんなわけで普通車の性能は公道では下手をすれば過剰なものであり、腕もない身としてはやはり相対的に低速で、それでいて走ってる最中は楽しいというのが大事なのだがそういう車は意外に少ない。ガチガチの競技をするつもりではないが、そのエッセンスには触れたいというわがままな要望である。
この「別に速くなくてもいいが、スポーツっぽさには触れたい」というところを考えるとビートはとても良い車と言える。後輪駆動特有の鼻先の軽さは十分に感じられるし、それでいて少し速いペースで流す分にはナーバスさとか扱いづらさは感じない。概ね軽トラの音ではあるが、それでも後ろからエンジン音が聞こえてくるので気分はスーパーカーである。敢えてのNAはアクセルに対するレスポンスが良いし、高回転まで回そうという気持ちになってくる。それでいて屋根が開くのだから、低速で流していてもそれはそれで気持ちがいい。つまり「丁度いい」のである。
上の写真はヤビツ峠に行った時のものだが、峠道をギアチェンジを繰り返しながら曲がっていくのはやはりシンプルに楽しいと感じる。イベントにも一度参加したことがあるが、やはり弄ってる人も多くそういう面での発展性もあるし、前オーナーがある程度手を加えている以上フルノーマル維持という感じでもないのでまぁ追々考えていこうかな……という辺りだ。そういう意味では盆栽としての楽しみもある。
屋根開きの良さというのはハマる人とハマらない人がいるのだけど、一生分の車歴のうちのどこかで一度は体験しておくべきものだとは思う。そういう意味では二台持ちではなく屋根の開く実用車に乗り換えて一台に統一するというのもアリなのだが、残念ながらこちらの選択肢はほとんど絶滅寸前である。
おそらくコンマ1秒を争うような人にとってはクローズドボディの方が絶対にいいのだけど、先に述べたとおりこの車はそういう性格ではない。そして遊びの為の車として保有しているので、そういう意味ではニーズにピッタリなわけである。実際長距離乗って車中泊して雪道でも氷上でも走り回るし燃費も諦めたくないという意味ではスイスポがあるし、こっちはそこでカバー出来ないところを埋めている。
そういう意味ではスイスポにない要素の車を買うという戦略自体は大正解だったが、現在の悩みはこの組み合わせをいつまで維持するべきかという点にある。冷静に考えれば現状はベストだが、一方で仮に1台の車を10年維持する場合、免許返納までに乗れる車の数は限られている。一度増車で広がった世界を体験するともっと他の世界も見てみたくなるのだが、しかし今の車を手放したいわけでもないのだ。もしかしたらこれが、増車によって発生した最大の問題なのかもしれない。
……パンドラの箱を開けてしまった。
趣味車を買う[購入編]
車を買った。
それも、もう二年も前のことになる。わりと大きいネタにも関わらずなんにも書いていなかったのもどうかと思うのだが、そうこうしているうちに手に入れてから最初の車検を迎えてしまった。というわけで、これも何かの切っ掛けだろうと思いこの二年ほど保有した車について書いていきたい。
さて、話は二年とさらに数ヶ月ほど前に遡る。高校時代から原付に乗り始め、それから長いこと原付一種(50cc)にこだわり続けてきたのだが、さすがに法規面での雁字搦めぶりに嫌気がさしてきた。当時は電動キックボードなどが出始めた頃でもあり、あんな無法な乗り物よりも原付一種はさらに不自由であることを見せつけられ、とうとう絶望したのである。
それまでヒマとカネと体力が揃わないので二輪免許の取得はしてこなかったのだが、こうなってみると二輪免許を取得する以外に解決する方法はありそうにない。そうであるならは今この瞬間が一番若いというわけで、思い立ったが吉日で職場の側にあった二輪専門校(県下で一番厳しいという噂があり、実際現代の教習所としてはかなりスパルタ寄りだった)の門を叩いて普通自動二輪免許の取得を目指し始めたのだった。
……で、約二年前。
無事教習課程を修了し、卒検の日の出来事であった。
無事免許が取れたら、そのときはどんなバイクに乗るかというのも楽しみの一つであった。当面は手元のXR50モタードをボアアップするとして、せっかく400ccまで乗れるようになるのだし、そうなれば選択肢はこれまでとは比べものにならないくらい広がるからである。
そう、当初はバイクを買うつもりだったのだ。
が、卒検が近付くプレッシャーから、数日前からなんとなくヤフオクを見ていたのが良くなかった。当時から何故か友人にオープンカー乗りが多数いたのでオープンカーに対する憧れというものも並行して存在しており、まぁでも予算的に買えるのはNC以前のロードスターがせいぜいだな……と思っていた。ただ現在の愛車(スイフトスポーツ ZC33S)を売ってまで買うようなものでもない。かといって、普通車二台持つというのもなかなか大変である。
というわけでこの二台持ち構想は妄想で終わるのかと思っていたのだが、初代コペンであればロードスターよりもさらに維持費が安いということで、ひょっとしてコレ買えるんじゃね? なんて思い始めてしまった。そしてそう考えているうちに、屋根が開くとはいえターボでFFのコペンは要素的には一部スイスポに被るので、どうせサブとして乗るなら全然要素が被らない車の方がいいのでは……とも思い始めたのである。
かくして、軽でオープンでFFじゃなくてターボじゃない……そしてもちろん、自分の手が届く程度の金額の車という条件が定まってしまった。そしてそんな都合のいい車がヤフオクに出ており、なんと教習所と同じ市内からの出品だったのである。
値段は相場なりというか、激安ではなくヤフオクの中ではやや高めだが極端に高いというわけでもない。そういう価格だったからか未だに入札も入っていなかった。そして終了予定日は卒検の翌日だった。これはものの試しにいっぺん見に行ってもいいのではないかと思い、気がついたら現車確認の連絡を入れていた。
そしてなんやかんやでここ数ヶ月の苦労が報われて卒検には無事一発合格し、二輪免許を手にすることになった。その高揚感もそのままに、お次は現車確認へ向かうことになったのである。今考えるとこういう舞い上がってる時に車見に行かない方がいいと思うけど後の祭り。
で、見に行った車種はというとホンダのビートである。軽・オープンカー・NA・MR・90年代生まれと見事なまでにスイスポとは要素の違う車なので、いっそこのくらい違った方が面白いのではという目論見もあったし、古い割には現存数の多い車なので値段もそれなりにこなれていた。それこそネオクラシックだのなんだのでR32 GT-Rが4桁万円なんて話からすればいたって平和なお値段である(もちろん、30年落ちの中古の軽と考えれば十分に高い)。
そんなわけで現車を見ると、パッと見でなんだかずいぶんとしっかりしているように見えた。幌は張り替え済、エンジンはオーバーホール済、ボディも軽い事故由来で全塗装しているらしく褪せやすい赤なのにツヤが残っている。よく言われるサイドシルのサビも外から見る限りは問題に感じなかった。車検は切れていたが、最近まで普通に乗っていたとのことである。
もうこの年式なのでメーター交換歴あり(※ビートのメーターは壊れやすい)とか軽い事故歴ありとか小傷小凹みなんかはたいして気にならないのだが、いわゆる実用の程度としては上々に見えた。真っ当に手がかけられた個体という印象である。
とはいえ、ビートが欲しくて何台も見比べたわけではなくてこれが一台目なので見る上での基準もない。なによりオープンカーは初めての身でもある。というわけで知り合いの中古のオープンカーばかり乗り継いでいる人間(当時はBMW Z4Mを保有)にアドバイザーというテイで来てもらった。いろんなオープンカーに乗ってる人から見たら何か感じるものもあるだろう。もしそれほど良くないのであれば、その時は入札せずに帰ればいいのだから。
……そしたら、来てサッと見るなり「これはボディがしっかりしてるので買いだ」とか言い始めたのでこっちも頭を抱えてしまった。金額的に頑張れば買えないこともないのだが、そうは言ってもそれなりの額である。頭を抱えつつも、その場で別の知り合いに手持ちのカメラを売却の相談を入れることである程度金策の目処が付いた(付いてしまった)ので、その場で先方の希望金額を入れて購入することになった。かくしてこの瞬間、バイクの乗り換えは当面棚上げされると同時に増車が決まったのである。
結局、比較もなんもせず、買うかどうかも決めていないのに見に来て一時間ほどで決めてしまった。ちなみにこの時はもし気に入られなければ最悪売ってしまえばいいかなくらいに思っていたのだった。
ともかく、ハイになっている時の買い物には気をつけよう(自戒)。
破壊ポルノ
Appleの新しいiPad発表に伴い用意されたプロモーションビデオが、少なくとも日本語圏ではかなり物議を醸している。
https://x.com/tim_cook/status/1787864325258162239?s=46&t=IZz7RXctgzWkoUgl4UvzzQ
詳しくは見てもらった方が早いのだが、新しいiPadがあらゆる機能を薄いボディに内包したということを示すためにその機能を象徴する各種のモノをまるごとプレス機で押し潰し、再度開くとそこには(それらを集約した象徴として)iPadが置いてある……という構成になっている。
で、日本ではこのビデオ概ね評判が悪い。おそらくは付喪神信仰を含めたモノに対する擬人化であったりとかも関係するとは思うのだが、少なくとも道具としての寿命を迎えていない(≒破壊される理由のない)モノが破壊されるというのが日本人にとってあまり好まれない表現なのは確かである。
このビデオについてはそもそもたくさんの機能をここに集約しましたみたいな表現自体が陳腐だとかいろいろ論点はあるのだが、本稿では破壊表現に限った話をしていきたい。なんでこんな破壊表現がまかり通るのか。それは破壊がポルノだからだ。
……とまぁ、いきなりあまり一般的ではない用語をぶち上げてしまったが、個人的にはこの「破壊ポルノ」というやつは実はそれなりにメジャーな存在であると考えている。
今回の例で言えば、そもそもApple自身でさえ過去iPhoneをミキサーにかけられてしまったこともあるし、これ以外にも色んなものを高所から落とすだとか、油圧プレスで潰してみるとか、刀で切ったり銃で撃ったり……まぁ破壊というのはそれなりにエンタメとして堅いところにあると言っていい。
なんらかの感情を半強制的に誘発させるという点ではまさしくポルノであり、建前上また良識ある大人にしか見せられないという点もポルノ的である。つまりこれらは破壊によるポルノ、破壊ポルノである。
わりと本質的な欲求に近いレベルで人は破壊が見てみたいし、それに応えるコンテンツも生まれ続けている。 映画のアクションシーンなんかも高度に洗練された破壊であり、それに一種の爽快感を覚えるというのもよく聞く話である。
それが故に、破壊表現自体はこうしたAppleほどの大メーカーであっても広告表現として採用されうる、メジャーなものになっているのだ。
で、そんな破壊ポルノにも上限(?)はある。それは破壊されるものが無生物に限るという点である。なにせ破壊されるのが人間や動物であるとそれはグロ画像やグロ動画に近付いてしまう。もちろんそれらを実は見てみたいという衝動も存在しているが、多くの共感を得られるラインから外れるのは間違いないだろう(逆に言えば、先のAppleのような「モノの破壊」は多くの共感が得られるか、少なくとも許されるものとして考えられていると言える)。
これをiPadの動画に置き換えてみると、多くの機能がiPad一台に集約されることを示すのであれば、むしろ各機能における象徴的な人物ごと押し潰すほうが直接的な表現と言える。例えばギターそのものではなくバンドごと押し潰すとかすればいいわけであるが、そうはなっていない。人が潰されるのはグロであり、共感からは外れる……ということなのだろう。
とはいえ、そこまでいくと無生物なら潰していいのかとかそういう哲学的なところに踏み込んでしまうのであまり深追いしない方がいいだろう。
ここで言いたいのは、破壊ポルノは存在していてある程度メジャーな表現だということである。