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無名サイトのつづき

破壊ポルノ

Appleの新しいiPad発表に伴い用意されたプロモーションビデオが、少なくとも日本語圏ではかなり物議を醸している。

https://x.com/tim_cook/status/1787864325258162239?s=46&t=IZz7RXctgzWkoUgl4UvzzQ

詳しくは見てもらった方が早いのだが、新しいiPadがあらゆる機能を薄いボディに内包したということを示すためにその機能を象徴する各種のモノをまるごとプレス機で押し潰し、再度開くとそこには(それらを集約した象徴として)iPadが置いてある……という構成になっている。

で、日本ではこのビデオ概ね評判が悪い。おそらくは付喪神信仰を含めたモノに対する擬人化であったりとかも関係するとは思うのだが、少なくとも道具としての寿命を迎えていない(≒破壊される理由のない)モノが破壊されるというのが日本人にとってあまり好まれない表現なのは確かである。

このビデオについてはそもそもたくさんの機能をここに集約しましたみたいな表現自体が陳腐だとかいろいろ論点はあるのだが、本稿では破壊表現に限った話をしていきたい。なんでこんな破壊表現がまかり通るのか。それは破壊がポルノだからだ。

 

 

 

 

……とまぁ、いきなりあまり一般的ではない用語をぶち上げてしまったが、個人的にはこの「破壊ポルノ」というやつは実はそれなりにメジャーな存在であると考えている。

今回の例で言えば、そもそもApple自身でさえ過去iPhoneをミキサーにかけられてしまったこともあるし、これ以外にも色んなものを高所から落とすだとか、油圧プレスで潰してみるとか、刀で切ったり銃で撃ったり……まぁ破壊というのはそれなりにエンタメとして堅いところにあると言っていい。

なんらかの感情を半強制的に誘発させるという点ではまさしくポルノであり、建前上また良識ある大人にしか見せられないという点もポルノ的である。つまりこれらは破壊によるポルノ、破壊ポルノである。

わりと本質的な欲求に近いレベルで人は破壊が見てみたいし、それに応えるコンテンツも生まれ続けている。 映画のアクションシーンなんかも高度に洗練された破壊であり、それに一種の爽快感を覚えるというのもよく聞く話である。

それが故に、破壊表現自体はこうしたAppleほどの大メーカーであっても広告表現として採用されうる、メジャーなものになっているのだ。

で、そんな破壊ポルノにも上限(?)はある。それは破壊されるものが無生物に限るという点である。なにせ破壊されるのが人間や動物であるとそれはグロ画像やグロ動画に近付いてしまう。もちろんそれらを実は見てみたいという衝動も存在しているが、多くの共感を得られるラインから外れるのは間違いないだろう(逆に言えば、先のAppleのような「モノの破壊」は多くの共感が得られるか、少なくとも許されるものとして考えられていると言える)。

これをiPadの動画に置き換えてみると、多くの機能がiPad一台に集約されることを示すのであれば、むしろ各機能における象徴的な人物ごと押し潰すほうが直接的な表現と言える。例えばギターそのものではなくバンドごと押し潰すとかすればいいわけであるが、そうはなっていない。人が潰されるのはグロであり、共感からは外れる……ということなのだろう。

とはいえ、そこまでいくと無生物なら潰していいのかとかそういう哲学的なところに踏み込んでしまうのであまり深追いしない方がいいだろう。

ここで言いたいのは、破壊ポルノは存在していてある程度メジャーな表現だということである。