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インターネット

無名サイトのつづき

忘れかけていた思い出を

Facebookでは、一度投稿した画像というのは消えないし直リンクで誰でも見られてしまうそうだ。

この話はいろいろな問題を含んでいて、それぞれに議論がなされている。そのうちの論点の一つが、いつまでも消えないファイルというのは結果としてユーザーの活動ログのバックアップになっているのではないかという話である。

そもそもバックアップのありがたみというのはデータが消失する瞬間までわからないものだ。もし幸運にもデータが消えたことがない人であっても、たとえばこれまでのSNS上での活動が一度ゼロにリセットされてしまったらと想像すれば、ことの重要性はすぐに理解できるのではないかと思う。そして、データというのは様々な要因によって案外あっけなく消えてしまうこともある。それは運営のミスかもしれないし、あるいはあなたが間違えてYesをクリックしたからかもしれない。SNSのデータの消滅というのは、SNS上での活動がもはや生活の一部へと変貌を遂げているであろう世代にとっては死活問題なので、一度アップロードした画像のバックアップが常に取られているというのは、一つのサービスとしてとても有用なのではないかと思う。ただ、少なくとも自在に書き戻せるというサービスがあるというわけではないようだ。あくまでもバックアップが取られているだけで、その活用法は宙に浮いている。それもユーザーからは見えない超高々度に、だ。きっと雲の上だろう。野暮な話かもしれないがこれはクラウドとかけている。

こういうのは自分で言う話ではないな。

もちろん、データのバックアップはユーザー側ですべきであるという意見にも一理ある。バックアップというのはとどのつまりユーザー側の意識の問題であり、消失を経験すると臆病になって取り始めるが普段は何もしていないというのが標準的なユーザーの姿ではないかと思う。本来はこの辺り、意識が高いユーザーだけがやるものだし、そもそも先ほどの自動バックアップというのはユーザーが望んでやっているかというとそういうわけでもない。たぶん利用規約の何処かには書いてあるのだろうが、ほとんどの人は投稿内容がロギングされていて、見た目上は削除出来ても、どっかのサーバーにはコピーが保持され続けているということを知らない。それがどのように利用されるかもたぶんわからない。今のところ利用されてないから安全だ、というわけでもないだろう。

……と、ここまで書いてきて懐かしい話を思い出した。小学校の修学旅行のことだったと思うが、たいていカメラマンの人が一緒に付いてきて、修学旅行が終わったら旅行の思い出としてカメラマンの撮った写真が壁一面に張り出される。生徒はそれを見て自分の写った写真だったり、友達の写真を購入する。そういうビジネスモデルがあったのだ。考えてみれば卒業アルバムなんかも似たような物だ。

案外あなたが死ぬ頃になってから「あなたの思い出販売します」と称してSNSのログをとびきり豪華な装丁で売りつけたら儲かるかもしれない。それまでサーバーがあれば。