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インターネット

無名サイトのつづき

流れ星に願いを

たとえば部屋を片付けて、いるものといらないものを分別するとしよう。いるものは当然部屋に残しておくとして、いらないものはすなわちゴミになる。

たいていのゴミは、持ち主が分別する。なぜなら、持ち主だけが価値を感じているものというのがけっこう存在するからである。たとえば、古ぼけた写真は他人から見たらなんの価値も持たないけれど、写ってる当人にとっては貴重な青春の一ページかもしれない。もう動かない腕時計は、すでに時計としての価値はないかもしれないが、もしかしたら誰かの形見なのかもしれない。あるいは……と、いくらでも例を挙げる事は出来る。

そんなわけで、背景を知らない人間が他人の物を処分すると思いも寄らないトラブルに発展することがある。

ところが、たとえば所有者が死んだりしてしまうと、どれに価値があってどれにないのか、ゴミとして処分していいのはなんなのかがあやふやになってしまうことがある。誰の目にも価値が明らかな現金や貴金属類は残された方にしても価値があるので問題ないが、たとえば骨董品の類いなんかは判断が難しいし、それ以外の換金が難しい部分というのは、結局のところゴミとして処分されてしまう運命にある。

話は変わって、インターネット上には無数の情報が溢れかえっている。けれどもこの中で現在も更新され続けているサイトというのは、多めに見積もったとしても何十分の一程度に過ぎなくて、ほとんどは遙か昔に更新が停止されてしまってそのままになっているという。あまり褒められた話ではないが、過去僕が作ったいくつかのサイトもその中に含まれていることだろう。

これらの更新が止まったサイトというのは、有料サーバーであれば支払いが止まってしばらくすれば削除されるし、あるいはレンタルスペース自体がなくなってしまうことで消滅したりする。しかし、それでも全てのサイトが時とともに消えていくわけではない。むしろある程度放置されたサイトは、本人ですら消せなくなっていたりする。たとえばFTPのパスワードを忘れてしまったり、酷いときにはそのサービスを使っていた事さえ忘れてしまうこともある。実際、僕が中学生の頃作ったサイトなんてまさにそのパターンだ。

こうした消そうにも消せない情報は、傍目に見ると情報のゴミでしかないように思える。たとえば検索エンジンにとってはノイズであるし、実際にどこかのサーバーのスペースを圧迫しているのだからだ。しかし、本人がその分別をしないもしくは出来ない以上、誰もこの情報をゴミとは判断できないし、誰かにとっては価値があるかもしれない情報であり続けている。

けれども、こうした情報というのは当然検索エンジンのアルゴリズム上からも価値が低いので何処かから参照される可能性も相当に低い。そして当時リンクしていたサイトもまた、現役で更新されてなどいないだろう。かくして僕の中学生の頃の記憶は何処からも辿れない状態のまま、スペースデブリのようにインターネットの大海を彷徨っている。

流れ星になって消えてしまうことを願うばかりだ。