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無名サイトのつづき

ゲーム性の変質

冬コミの原稿が終わったので、コミケ前後は(外出するには体調が思わしくなかったこともあり)ずっと家でゲームをしていた。タイトルは原稿中からずっと気になっていたDEATH STRANDINGである。

このゲームについてはその成り立ちからしていくらでも書きようがあるし、実際賛否含めてそうした外野の感想も含めてかなり盛り上がっているタイトルの一つであることは間違いない。まだクリアはしていないが、とりあえずある程度のところまでは進めた。そしてある程度までのところまで進めて、以降しばらく手に付いていない。

手に付いていない理由は主に仕事が始まったからなのだが、それ以外にも自分の中でプレーの手を止めてしまった理由が一つある。

それは、ある章からのゲーム性の変質である。

詳しくはネタバレになってしまうし、また先に述べた通り未だクリアもしていないのだが、このゲームではとある章をクリアしたところで、これまでとは異なる内容に切り替わり、同時にこれまでとは種類の異なる立ち回りを要求されるようになる。ここまでに積み上げてきたノウハウが全部とは言わずとも一部はリセットされてしまうのだ。そして実際にそこで少しゲームオーバーを繰り返したので、少し心が離れてしまった。なので多少触る時間はあったにも関わらずしばらくプレーしていない……というのが現状である。

まぁ、DEATH STRANDING自体は面白いし先も気になるので、おそらくはこの挫折についてもじきに克服して、再びゲームをするんだろうなというのはなんとなく感じている。だが、思えばゲームにおいてこういう「突然のゲーム性の変質」とそれに伴う挫折みたいなものは何度か経験してきた。せっかくなので、ここではその中で印象深いものを二つほど挙げてみようと思う。

まず、こうした「ゲーム性の変質」を最初に意識してしまったゲームは、PS2で発売された元気のKAIDO -峠の伝説-というレースゲームであった。これは当時の同社の看板シリーズであった首都高バトルと対をなす作品であり、首都高バトルの首都高(最高速)文化に対する峠(ドリフト)文化のゲーム化といった流れの作品であった(シリーズ作としてこれ以前に街道バトルという作品があり、その中の最終作にあたる)。

さて、このゲームにおける「ゲーム性の変質」とは何だったのか、それはゲームを進めるごとに明らかになる「グラベル(未舗装路)指向」である。当時はWRCを日本に誘致しラリージャパンが実現していた時期だったこともあり、峠とラリーというのは延長線上にあるというか、比較的親和性の高いモノだと考えられていたのである。

……しかし、そうは言っても、このゲームを買う層というのは現実と見まがうばかりにリアルに再現された各地の峠道を、華麗なドリフトで駆け抜けるというのを求めていた筈である。

実際、途中まではそういうゲームなのだが、いつしか「工事中」というテイでコースの特定区間が突然グラベルになりはじめ、段々「峠道を華麗なドリフトで駆け抜けるゲーム」から「突然の未舗装路に怯えながらおっかなびっくり走るゲーム」へと変質していく。そもそも現実の峠では突然グラベルになったりしない。ゲームにしても話がおかしい。

そうこうしているうちに最終ステージである北海道ではほぼ全面グラベルになってしまい、ついでに峠でもなくなりこの違和感は頂点に達することになる。「峠道でドリフトするゲーム」を買ったつもりが、いつの間にか「ダートを走るゲーム」になってしまったのである。もちろんパッケージを見る限りではこのゲームは「峠道でドリフトをするゲーム」にしか見えないのであるが。

結局、疑問符がいくつも頭に浮かびながらも乗りかかった船とばかりにゲーム自体はクリアしたのだが、グラベルでのコントロールはそれまでの舗装路とは若干異なるスキルを求められることや、最終ステージで上昇する難易度も相まって「俺はこんなことをするためにこのゲームを買ったんだろうか……」という問いがエンディングまで消えることはなかった。それどころか、10年以上経ってもこんな文章を書く程度には心の片隅に引っかかり続けているのである。

そして、これが原因なのかどうかはわからないが、街道バトルというシリーズはこの作品を最後に製作されていない(首都高バトルはもう少し生き長らえたのだが、こちらも現在では……)。

とはいえ、これはゲーム性の変質に首をかしげながらも最後までプレーした作品である。しかし、ゲーム性の変質によってまったく興味を失ってしまったこともある。こちらの例として、Ingressを挙げることにしよう。

このゲームはいわゆるスマートフォンの位置情報を利用する「位置ゲー」の一つであり、今となってはPokemon GOの前身的な捉え方をされているゲームでもある(開発元が同じ)。

主なゲーム内容としては二陣営(二色)に分かれた陣取りゲームで、各地に存在するチェックポイントにスマートフォンを持って訪れることでチェックインが可能になっている。このチェックポイントを自陣営の色で埋め、更に自陣営同士のチェックポイント間を繋ぐことで、その自陣営のチェックポイントで囲まれた範囲は自陣営の色に塗りつぶすことが出来る。この塗りつぶされた部分が自陣営の陣地ということになる。

もちろんチェックポイントを他陣営が占拠している場合もあり、その場合はチェックポイントに対して攻撃を仕掛けて色を塗り替えることも可能になっている。こうして他陣営に占拠されたチェックポイントを自陣営側に取り返したり、あるいはより広範囲のチェックポイントを繋いで塗りつぶすことで無効化したの繰り返しによって、相手よりもより多くの陣地を取ることが目標のゲームである。

さて、このゲーム(Pokemon GO以前の話になるが)日本国内でも結構な話題になった。元々はGoogleが開発していたということもあり、全世界がエリアという壮大さと、リアルイベントの存在なども相まって散歩ついでに始めたらハマったという人が結構な数存在していたのである。例えば、PC Watch上でライターの後藤氏によって三回にわたって(!)書かれたIngress入門記などが代表的なものだろう。

pc.watch.impress.co.jp

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実際にこうした記事や、また既に始めていて面白いという評判も聞いていたのでこの記事と前後して一時期はけっこうな頻度でIngressをプレーしていた。ハマってる時期にはそれこそ毎日寄り道したり、旅行中だというのにチェックポイントを探しては同行者に呆れられたりしていたのである。しかし、現在では全くプレーしていない。その理由もまた「ゲーム性の変質」である。

このゲーム、位置情報ゲームでありながら、いわゆる当時のソーシャルゲームとは異なる流れで開発されていたこともあり、ソーシャル要素というのはパッと見控えめになっていた。実際にやれることのほとんどはプレーヤー一人で完結するものであり、ゲームのソーシャル要素が好きではない者にとっても取っつきやすいゲームになっていたのである。

しかし、これはある一定のレベルまでの話で、一人で到達出来るあるレベルまで行くと、更なるレベルアップには途端にソーシャル要素が必須となってしまう。というのも、高レベルのアイテムは高レベルのチェックポイントからしかドロップせず、またこのゲームでチェックポイントのレベルを高める為には、同じチェックポイントに高レベルのプレーヤーが多数チェックインする必要があるからである。

そして、こうしたチェックポイントは常に他陣営からの攻撃に晒されるため、最も効率が良い方法は「リアルに一度にたくさんの高レベルプレーヤーが集まって、一緒にプレーする」ということになる。そうすれば他陣営の攻撃を受ける前に高レベルチェックポイントの恩恵にあずかることが出来るし、他陣営を攻撃する場合も高レベルプレーヤーの火力が集中すればそれだけ効率がいいからである。これは一人だけでプレーをしていては受けられない恩恵ということになる。

つまり、そもそものゲームデザイン的に高レベルになるほどソーシャル的に集まって協力プレーをするほうが効率が良い──というか、協力プレーを強制される──システムになっているのだ。そしてこの協力プレーに背を向けると、高レベルチェックポイントの恩恵を受けられなくなるため、時にはゲームを進行する為のアイテム入手すらおぼつかなくなってしまう(それでも都会なら野良プレーの余地もあるが、田舎だとそもそもプレーヤーもチェックポイントも少ないため尚更深刻)。

しかし、それまで「一人でもそれなりに遊べるゲーム」としてプレーしていたユーザーは、おそらくこのゲーム性の変質には耐えきれない。あるレベルを境にまったく別のゲームになってしまったと感じるだろうし「一人でも出来る」ことに魅力を感じていたのであれば裏切られたような感覚すら覚える筈である。

というわけで、こうしたゲーム性の変質に絶望し、あるレベルに到達して以降はパッタリ起動しなくなってしまった。かつてはあれほどハマっていたのに、である。

こういうゲーム性の変質というのは、その程度を問わずそこかしこに存在する。同じゲームの中でも見た目や手触りが変わるだけのケース(DEATH STRANDINGやKAIDOはこのケースだろう)の他にも、Ingressに挙げたような、見た目は全く同じなのにやるべきことがまるっきり変わってしまうというケースもある。そのどちらにも楽しみを感じることが出来ればゲームプレーは続いていくが、一方でそこに躓いてしまえばそこで終わり……というわけである。

とはいえ、ゲーム体験というのはプレーヤーの想像を超えたり、心地よく裏切るようなことの繰り返しで構成されていることも確かなので、こうした変質もまた乗り越えてこその体験であるとも言える。

この辺りのバランス感覚はおそらくは難しいし、それも含めてのゲームと言ってしまえばそれまでなのだが、それでもこの変質によってモヤモヤした気持ちが残ったり、時にはゲームを止めてしまうということもまた確かなのだ。

ゆめタウン読みという概念

先週末はマイルガチャ山口宇部空港行きを引き当てたので、せっかくだから萩でも行ってみようかと思ったら旅行前日に(空港へのアクセス線である)京急線の踏切事故があり迂回を余儀なくされたり、道中のドタバタがあったり、そうかと思えば復路の羽田着便が台風により欠航し急遽もう一泊する必要から延長戦が開始されたりと色々あった。これらの出来事はそれはそれで面白かったのだが、それは当記事の本題ではない。本題はもっと別にある。

……山口に都合2日ほどいて目に付いたのは、国道沿いに林立する大型ショッピングモールの数々である。だいたいあの辺りは関東でもお馴染みの巨大モールの代名詞であるイオンモールの他に、地場(四国・中国地方)の雄であるフジのフジグランだとか、同様に中国・九州地盤のイズミのゆめタウンなんかが各々に出店しその覇を競っている。

で、当然国道沿いを流しているとそれらが嫌でも目に付くのだが、特にゆめタウンは見かける度にとても気になって仕方が無かった。それは、店構えでも賑わいぶりでもなくもっと別の理由からである。

 

名前が変なのだ。

 

www.izumi.jp

名前が変というのはどういうことか──ゆめタウンを訪れたり、そもそも見たことのないという地方の人にはちょっとわからないだろう。そういう人は上記のリンクをクリックしてみてほしい。

そこに現れるのは「YOU ME」で「ゆめ」と読ませるロゴマークの存在である。

正直、最近は慣れてきたが、最初に中国地方を訪れて最初にこれを見た時の率直な感想は「気持ち悪っ!」であった。なんというか、到底承服できない悪寒のようなモノをこのロゴと読みには感じたのである。

では何故初見で気持ち悪く感じたのか。その理由は考えてみれば単純である。この読みは英語の「YOU」と「ME」という単語を使用していながら、片方は「ユ(ユー)」という英語読み、そしてもう片方は「メ」というローマ字読みを採用しているのだ。つまり、英語読みとローマ字読みのハイブリッドなのである。通常、このような読み方はしない。だからこそ「気持ち悪い読み方」なのだ。

図にするとこうなる。

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通常、「YOU ME」という文字から予測されるのは英語読みの「ユーミー」もしくはローマ字読みの「ヨウメ」である。図で言うと、水平に読んでいることになる。というか、通常はこの組み合わせ以外に選択肢は存在しない。しかし、ゆめタウンはこの図を斜めに突っ切っているのである。これは通常ではあり得ない読み方である。

しかし、英語ではないが実はこれに近い読み方というものが存在する。国語の時間に習った覚えがある方も多いかもしれないが「重箱読み」及び「湯桶読み」というものがそれである。

これらは音読みと訓読みを取り混ぜた読み方のことで、重箱読みの場合は「重」が音読みで「箱」が訓読みの組み合わせである。

さて、音読みというのは中国から漢字が伝わった際の読み方をベースにしたものであり、いわばルーツは中国語にある。一方の訓読みというのは日本国内で独自に発展したものであり、日本語(和語)といえる。……なので、通常は熟語の読み方というのはルーツ同士の組み合わせ(音・音読みとか訓・訓読み)で表されるのだが、そこから外れるものが重箱読み(音・訓)だったり湯桶読み(訓・音)とされているのだ。

これら重箱・湯桶読みは上記の基本的なルールから外れているということもあり、日本語の規範的な読み方ではないとされているが、一方で現代では十分に定着していることからかことさらに違和感を覚えることは少ない。

さて、こう考えてみると、ゆめタウンの読み方というのは重箱・湯桶読み的な読み方なのではないかと思えてくるのだ。まず、「YOU ME」というのは、英語読み・ローマ字読みどちらも可能である。ただし、日本国内においては(それこそ単語を覚える時でもない限り)既に英語読みがある英単語をわざわざローマ字読みすることは通常ない。それはローマ字表記自体が日本語をアルファベットで表す為のものだからである。そういう意味では、本来これは「ユーミー」が最も自然な読み方であろう。しかし、先に述べた通り、実際には「ユメ」であり、「英語読み+ローマ字読み」になっている。これは漢字の熟語を「中国語読み+和語読み」している重箱読みと実は同じ構造なのではないか、ということである。

先に述べた通り、重箱・湯桶読みというのは現在は慣例上特に問題にならないが、日本語の規範の面から言えば外れた存在である。そりゃそうだ、中国語と日本語のチャンポンなのだから違和感があって当たり前なのだ。そしてそこにある気持ち悪さというものは、きっとゆめタウンに感じる気持ち悪さと同じようなものだったはずである。

そして、重箱・湯桶読みはその特異性故にこうして通常の読みとは独立した特殊な概念として存在している。ならば、それらと同様に「英語二単語以上の語で英語読みとローマ字読みが混在する特異な読み方」のことをここにゆめタウン読み』と定義してもいいのではないかと、そんなことを思うのである。

……問題はゆめタウン以外にそんな変な読み方してる類例があるのかという点なんだけど。

「観光地のカツ丼」問題を考える

行き場のない気持ちを書くというのもブログの一種の使い方だと思っているので、そのようなことについて記す。

 

旅先で何を食べるかというのは、旅先での過ごし方においてとても重要なファクターである。旅というものの本質は日常との心地良い差異の連続であり、食事はそれを強調する手段でもあるからだ。明け透けにいえば「せっかく旅に出たからにはいつもと何か違うモノを食べたい」ということである。「いつも」から逃避する為に旅に出ているのだから、ある意味自然な感情と言えるだろう。

とはいえ、旅先での食事は時に人を悩ませる。その理由が何かと言えば「失敗したくない」からである。

たとえば自分の家の近所にある、まだ入ったことのない定食屋に入るのであれば──もちろんそれですらけっこう勇気のいることだが──話はシンプルだ。当たりだったら通えばいいし、ダメだったら二度とこんなとこに来るかと吐き捨て、実際に行かなければいい。おそらく何度も通うチャンスも無視するチャンスもあるだろうからだ。

旅先ではそうではない。何万円や何時間、あるいは他に諦めた用事といった有形無形のコストをかけてようやくたどり着いたその場所で、もしかしたらもう二度と訪れないかもしれないこの場所で、わざわざマズイ飯を食う必要なんてどこにもない。しかし当然ながら、初めて訪れる場所において店の当たり外れを推察する手段は乏しい。旅は一期一会だが、それだけに一つ一つの出会いの重さがのしかかってくるのである。

……そうした時の助けになるのがガイドブックやレビューの類なのだが、実はこのレビューがさらに悩みを深くするときがある。

たとえばの話をしよう。想像してみてほしい。あなたは海辺の漁師町に来ている。市場は活気に溢れ、潮風に包まれているうちに腹も減ってきた。先程から新鮮な魚介類のことで頭はいっぱいだ。昼飯は魚を食べようと考えているはずだ。当然そうしたお店もたくさんある。

さてどれにしようとササっとネットの口コミを見ると、案外周辺の海鮮をウリにした店の評価は高くない。それは観光客向けの割高な価格設定に一因があるかもしれないが、ともかく味についても並程度だというレビューが並んでいる(実際にこのようなことはよくある)。

そうした中でふと別の店に目を向けると、カツ丼がとても美味しい店がすぐ近くにあるのだという。しかしそこで提供されているのは、たとえば卵とじでなくてソース味だとか、こだわりの何か地元産の素材を使っているだとか、そういう特別さは全くないカツ丼のようだ。要するに「ここに来た甲斐」を本当に何一つくすぐらないのである。しかし地元の人達が本当においしいと評価しているのは、どうやらこちらのようである。

さて、こうしたときにどうしようか。これがつまり「観光地のカツ丼」問題なのである。

別にカツ丼が悪者になるのが忍びなければここに当てはめるのはラーメンでもカレーでも定食でもなんでもいい。要するに地元で似たようなものが食べられる、旅先で食べる必要が全くないようなものが味の面でベストだと提示された時に、それを選ぶべきなのか、それとも旅先であることを考慮して旅先でしか食べられないものを食べるべきなのかと、そういう話である。

これは例えばもっと狭い範囲でも成立する。たとえばある地方のご当地ラーメンを食べに行ったとして、その地域で最も口コミの評価の高い店に行くと、ご当地ラーメンとは無関係な(むしろ都内で流行っているような)凝ったラーメンが出てきたりすることがよくある。もちろん味は美味しいのだが、当初の目的を考えると気持ちは複雑である。なんだかわざわざ遠くに来た意味を自ら否定しているようですらある。

そしてこの「観光地のカツ丼」問題は時に立場が逆転することもある。遠いところから遊びに来る友人に何か地元の食べ物を紹介するときに「この土地らしい」食事と「ノンジャンルで美味しい」食事どちらを紹介すべきか迷ったことのある人も、おそらくいるだろう。

結局、この問題は胃袋か金か時間か、どれかが無限であれば解決する。両方行くという荒技が実のところ一番なのかもしれない(どうしても気になるからまた来る、という選択肢も含めて)。しかし先にも述べた通り、旅というのは一期一会であり、必ず何処かで取捨選択をしなければならない。

そしてここまで長々と書いてきて卑怯なようだが、残念ながら未だにこの問題に対する答えは出ていない。このような選択を強いられたことは何度もあり、どちらの選択肢の経験もあるが、最終的に選んだのがどちらであっても心の端にトゲが引っかかったような気持ちになる。せいぜいそれを誤魔化しながら旅とは人生のようなものだとここで嘯くのが精一杯である。

だから、行き場のない気持ちを書き綴るのもブログの一種の使い方なのだと思い、こうして書き残しているのだろう。

ノウとハウ ~非創作同人誌を作るための調べもの講座~

そろそろコミケの当落の話も聞こえてきそうなので、少し頭を原稿モードに切り替えるべく、毎年のノウハウをここに書き残しておこうかと思う。

これまでに趣味で何度かコミケに出ており、主にカメラ関係の評論本を頒布している。部数の話は野暮なのでしないが、同じシリーズとして今のところ6冊ほど出しており、まぁ中程度には続けられている方であると自負している。

で、そういう素人の書いた本であっても一応他人に有償で公開する以上はそれなりの正確性を保ちたいと考えており、そこの担保の為には調べもののスキルが必要になってくる。ところがこの調べものというやつ、少なくとも「何を調べたいか、その場合どこを掘ればいいのか」がわからないと打っても響かないものであり、全くわからないところから手を付けるにはとても厄介なものなのである。

そこで、自分の思い出しがてら「カメラ関係の評論本を作る時の調べもの」という特定ジャンルの狭い話ではあるが「調べものの仕方」について書き綴ってみようかと思う。既にご存じの方には目新しい情報は何も無いかもしれないが、そういった方はこれらのスキルを使って新たなものを生み出して頂きたい。

 

1.インターネット

手段1、インターネットである。まぁ当たり前だ。これを見ている貴方であればきっと使いこなしているに違いない。現行製品はだいたいwebサイト上にあるし、取扱説明書がアップされている場合もある。また、各webサイトも保存期間の差こそあれ、かなり古いモノまで残っていることが多く時には資料がこれしかないなんてこともある。発売時期・価格・仕様といったものはメーカー公式よりも発売時のニュースサイトの方がまとまっていて見やすかったりする。

特にこの関係では老舗ニュースサイトimpress watchが群を抜いている。その理由としては、過去記事へのアクセス性の良さである。impressのログ維持にかける情熱はすさまじく、デジカメWatch立ち上げ前のPC watchのデジカメ記事ですら残っている。軽く20年以上の蓄積はそれだけでも偉大な財産である。

ちなみにおそらくimpress watch最古のデジカメ記事はこれである。開設の翌月である96年5月の記事だった。

pc.watch.impress.co.jp

現役PC系ニュースサイトの中では比較的記事の質が高いとかムカつく全画面広告を入れないとか素晴らしい点がいっぱいあるimpress watchであるが、敢えて最もお気に入りの点を挙げるとすればこの「昔の記事がきちんと今も参照できる」ことだろう。

この点から言うと、他のニュースサイトであるところのASCII24ASCII.jpや旧ZDnetITmediaのリニューアルに伴うログの断絶は大変悲しい状況なのである。記事自体は残っているがサイト構造の変化からバックナンバーリストすらなくなり、リンクとして追えない場合も多々あるのだ。

どうしてもという場合はInternetarchiveに頼ることになるが、これも万全ではない。特に画像などは欠落している場合も多く、あったらラッキーくらいのレベルであろう。

ただ、メーカーサイトが独自に開発者インタビューなどを掲載している場合はInternetarchiveに頼らざるを得ない場合もある。また、メーカーが撤退している場合や事業譲渡をした場合も、最低限のサポートを残してコンテンツが消滅する。このため、ある程度は有用である。

web.archive.org

web.archive.org

あとは個人サイトもリアルタイムの生の声を拾うには大変有用なのだが、残念ながら無料ホームページスペースやブログのサービス終了によって闇に消えたコンテンツが大量に存在する。直近であればまだまだジオシティーズの内容はGoogleにヒットするので、Googleの要約を見て期待を込めて飛んだ先がサービス終了のお知らせなんてことは日常茶飯事である。

また、レアものについて調べているとヒットするのが2ch(5ch)やmixiのコミュニティのログだけなんてケースも存在する。滅茶滅茶気になるものがサラッと流されていたりすると皆なんでそこで聞き出さなかったんだと地団駄踏むことしきりである。

あとはSNSなども活用出来るのであれば最有力であろう。なんだかんだでマニアのネットワークというのは強いので、そういうのを知ってそうな人にたどり着けるのであれば思い切って聞いてみるというのも一考である。

最後に、インターネットの問い合わせフォーム等を通してメーカーに聞くというのも広義のインターネットの活用の一つであろう。これに関しては先方の対応次第という面もあり、必ずしもこちらの求めていた返答が返ってくるとも限らないが、少なくとも問い合わせた結果として無視されたり、こちらが不快になるような回答が返ってきたことは一度も無いと断言しておく。必要であれば活用すべきであろう。

 

2.書籍

……そうはいっても、インターネットで調べられる情報というのは「インターネット以降の製品」であることが圧倒的に多い。要するにそれ以前のものというのは新品としてのニュースバリューがないので、企業サイトに取り上げられることは希であり、また先に述べたようにwebサービスの終了から現在では個人サイトの記述ですら追えないということも多い。

というわけで、インターネット以前の情報といえばやはり書籍である。書籍の調べ方についてはいくつかあるが、まず「購入する」のであれば、新品が手に入るのであればおそらくAmazonで事足りるだろう。ただ、Amazonで事足りるということは最近の本なわけで、おそらくインターネットで足りない情報を埋めるには物足りない。インターネット以前の情報を求めるのであれば、必要なのは古本である。そうなると、Amazonマーケットプレイスや日本の古本屋などを使うことになるだろう。

www.kosho.or.jp

なお、カメラではないジャンル、例えば鉄道や自動車などは、専門古書店が存在する場合も多い。そういうものが存在するジャンルの場合は、そういった店で一度は棚を眺めるべきである。理由は後述する。しかしカメラにおいては現在は存在していない。以前は神保町に写真集とカメラ関係という形で取り扱う書店があったのだが、後者はあまり売れないので写真集一本に絞ったと聞いている。

一般古書店でもこうしたジャンルでは棚は大きくないので数を回る覚悟が必要である。特にブックオフに代表される新古書店は棚に最近の本だけを並べるケースが多く、2000年代前半のカメラ雑誌でさえレアである。

 もちろん「購入しない」選択肢もある。図書館に行けば良いのだ。とはいえ、ここにもある程度のテクニックというかノウハウがあるので、その辺りについて少し解説する。住んでいる地方によっては難しいものもあるだろうが、あくまでも個人の経験からなので適宜アレンジして頂きたい。

さて、図書館といって最初に思い浮かぶのは地方の公共図書館であろう。たまたま横浜市に居住しているため、地方公共図書館としてはかなり充実している(らしい)横浜市立図書館が使えるが、おそらくこれはかなり恵まれている方ではないかと思っている。

地方公共図書館は基本的に雑誌のバックナンバーはないが、それ以外の単行本やムックであれば置いてある上、ある程度は開架なので棚を見てそのジャンルの専門書の傾向を掴むことが出来るという大きなメリットがある。次に述べる専門図書館国会図書館は基本的に閉架なので、ここが大きな違いである。また、必要とあらば借りられるというのもとても大きい。もし仮に大きめの地方公共図書館で借りられるアテがあるのならば、それは大きなアドバンテージの一つと言えるだろう。

次に、専門図書館である。多くの場合はそのジャンルの博物館などに併設されている場合が多い。鉄道博物館のライブラリー日本自動車工業会の図書館などが代表的であろう。

カメラにおいても専門図書館は存在しており、主に二カ所が挙げられる。この二つは性格が異なるため、使い分けると更に効率が高まること請け合いである。

まずは、東京・半蔵門にある日本カメラ博物館併設(実際は隣の建屋)のJCIIライブラリー。

www.jcii-cameramuseum.jp

「カメラ」博物館だけあって、このあと紹介する都立写真美術館よりもメカ寄りの本が多く収蔵されており、またメーカーからの寄贈本(一般の書籍流通に乗っておらず、ISBN等がないため既存図書館では管理されていない自主配布本や社内配布資料など)を保有していることが最大の強みである。とはいえ、残念ながらここにない本も存在する。また、国会図書館とハシゴできる立地なのもありがたい。

デメリットはといえば、平日のみ開館という点と、PC使用禁止、地下にあるため携帯の電波がほぼ入らないというところだろうか。また専門図書館なので貸出は出来ず、コピーを取るしかない。

特に平日しか開いていないというのはサラリーマンには有給取得が前提となるためとてもつらい。しかし、ここにしかない本がある以上その価値はあると言っていいだろう。もちろんオンラインでの蔵書の照会は可能なので事前調査をお薦めしておく。

次に、これも都内の恵比寿にある東京都写真美術館の図書館。

library.topmuseum.jp

こちらは「写真美術館」の名の通り、蔵書に関しては写真集の方がメインなのだが、日本のカメラ雑誌が写真雑誌も内包してきたからなのか、一般的なカメラ雑誌(アサヒカメラ・日本カメラ・カメラ毎日など)はバックナンバーが一通り揃っている。このため、雑誌の記事をひたすらに漁るのであればJCIIの図書館よりもお薦めである。

何故なら、東京都写真美術館は休日も開館しており申告すればPCの使用が可能(電源あり)。そして携帯の電波も通じるので、調べながらリアルタイムに書くということが可能だからである。これはJCII図書館にはないメリットだ。ここも貸出は出来ないが、コピー代はこっちのが少し安かったような覚えがある。

なお、どちらの図書館でもレファレンスサービスが利用可能なので、行き詰まった時は司書さんに相談してみるのも手である。

というのも、これらの図書館は基本的に閉架図書館なので、検索端末でアタリを付けて取り寄せるまで実際にそこに何が書かれているのか、求める情報があるのかは判断出来ない。検索端末に表示されるのは簡単な見出しがせいぜいなので、なかなか上手くいかない時も多いのである(一部雑誌は目次のみをコピーした目録があるのでこれを使うと効率的)。

そんな中で、閉架の中に入り込んで棚に並ぶたくさんの本の中から「それっぽい」のを調べもののプロに探して貰えるのがレファレンスサービスなのだから、利用しない手はない。というか基本無料なのがすごい。

最後に、これらにもない本を探す手段が国会図書館である。実はこれらの専門図書館の手からもこぼれ落ちる本というのが存在する。これらの図書館では「カメラ雑誌」は収蔵しているが、「カメラを取り上げることが多い家電雑誌」などは実は収蔵していないのである。例えばこのジャンルで有名な「特選街」だとかは雑誌として保有していないことを確認している(ちなみに古い特選街でカメラ関係の署名記事を見ると、カメラ雑誌でよく見るライターが名を連ねていたりする)。

また、初期のデジカメについてはどちらかといえばPC周辺機器的な立ち位置だったこともあり、PC雑誌においてレビューされていたことも多いのだが、実はこれらもカバーしていない。よって、これらを探すためにはカメラ専門図書館だけでは不十分なのである。

というわけで、国会図書館である。

www.ndl.go.jp

建前上日本の全ての書籍は収蔵されることになってるのだが、まぁ実際はそんなこともない。ここからこぼれ落ちてる本などいくらでもある。雑誌などでは抜け落ちてることは日常茶飯事だ──とはいえ日本のありとあらゆる図書館の中で最強の存在であることは間違いない。そんな場所である。

登録が必要で貴重品以外は持ち込めなかったりするが、あとは基本的には馬鹿でかいだけで基本的な閉架図書館と同じである。土曜日開館なのでサラリーマンにもやさしい。永田町にあるのでカメラ博物館から歩いていくことも出来る。

この辺りを調べれば、おそらく手に入らない本というのは相当少なくなっているはずである。少なくとも日本語の文献においては。

これ以外には海外のコレクターが書いた本(洋書)を取り寄せるとかがある。いまのところ上記専門図書館に置いてある範囲でなんとかなっているが、語学の勉強の必要もあるとなれば今から頭の痛いところである。

3.論文・技報

だいたいインターネットでもある程度までは探せるのだけど、一応一般的なインターネットサイトとは性格が異なるのでこちらに切り分けた(実際に読む場合は2の図書館との合わせ技が必要な場合もある)。

専門の学会や企業の研究報告で無料で読めるものが結構あるので、そのあたりを参考にすることも多い。流石に一般誌ほど読みやすいモノではないが、書かれている内容は間違いなく参考になるはずである。以下にいくつか参考リンクを挙げておく。

www.jstage.jst.go.jp

annex.jsap.or.jp

www.konicaminolta.jp

www.fujifilm.co.jp

jp.ricoh.com

j-stageは無料で読めないのも結構あるのでそういうときは諦めよう。

ともかくこの辺りを使いこなせれば確実にワンランク上の内容が書けるのではないかと思ったりしている。またこうした論文には特許番号が書かれている場合もあるため、これらを取っ掛かりにして特許を調べるというのも面白い。特許の調べかたについてもある程度知見があったのだが、つい最近J-platpatがリニューアルされて検索方法がまるっきり変わってしまったので覚え直しである。よってここでは省く。

最後に、これらの情報というのはだいたいにおいて「置かれている」だけである。誰かに活用されることを期待して整理分類されてはいるが、実際のところそこに辿り着くには「書名」「著者名」「年代」などからアタリを付ける技術が必要になる。

特に閉架図書館では本棚を見て「これも関連しそうだな」という探し方は不可能なのである。なので、図書館でも古本屋でもいいからそのジャンルのオープンな本棚がある時は、なるべく数を見ることで書名や著者名の情報を叩き込むことも必要になるかと思う。

インターネットの検索にしたって、適正な検索ワードの指定というものは(もはや意識していないかもしれないが)必須のスキルである。情報は何処かにあるけど、手に入るとは限らない、そういうものなのだと思う。

なお、重ねてのお断りにはなるが、本記事の内容はカメラ関係という狭い範囲であり、その中でも都内に実際に足を運べる人間に特化した内容となっている。この記事がカバー出来ていない部分に関しては、大変勝手なお願いではあるのだがどなたかが「地方における情報収集」としてまとめられることを期待して、本記事の結びとしたい。