だいたい年に一度くらいのペースで思い出したかのように山に登っては、その度に登山が趣味というわけではないと言い続けているのだが、今年もまた山に登ってきた。
改めての繰り返しになるが、年に一度くらいしか行かないし、行ってみたいところがたまたま登山した先にあるから嫌々登ってるというだけで登山が趣味というわけではない。登らないで済むならそうしたいのだが、地形がそれを許さないのである。
思い返せば2020年、コロナ禍真っ最中でGotoトラベルの補助があった時にこの機を逃すなとばかりに屋久島まで縄文杉を見に行った(その際麓から片道10kmくらい歩く羽目になる)のがこのシリーズの始まりなわけだが、それ以降山の中の温泉に行ったりだとか富士山に登ったりしてきて、その一部は記事化してきた。
で、屋久島や富士山同様、一生に一度くらいは行ってみたい(が、登山しないと行けない)と思っていた場所の一つが北アルプスにある涸沢カールであった。紅葉と言えばの代名詞的スポットである。
しかし、屋久島や富士山もそこそこ到達難易度は高かったが、涸沢カールも思いつきで行くにはちょっと難易度が高い。屋久島や富士山も同様ではあるがまず出発地点となる上高地にはマイカー規制が敷かれており自家用車で訪れることが出来ない。麓の駐車場(関東からだと東側の沢渡駐車場)まで車で向かい、そこからバスで上高地まで行くことになる。そしてバスを降りたらそこからは自分の足で歩くことになり、涸沢カールまではだいたいコースタイム片道6時間くらいということになっている(ただし前半はほぼ平坦なので登山と言えるのは後半分くらい)。
そしてこれまでの登山にはない要素として、今回は涸沢テント場でのテント泊が存在する。バスの始発から歩き始めてコースタイムから少し遅いくらいで登ると自分の技量ではその日の日が沈むうちには帰ってこれるか怪しいし、どうせなら朝焼けも撮りたいのでそうなると必然的に現地に泊まることになる。もちろん現地には山小屋もあるのだが紅葉の時期に予約なんて取れるわけもないので、夜を越したければテントを張る以外に選択肢はない。
幸か不幸か、手元にはコロナ禍でキャンプツーリングを検討していた時に買った(が、行く予定だった場所が離島でやんわりと訪問NGを告げられたため最終的に断念した)登山用テントがある。この件を断念して以降、佐渡島でレンタルバイクを借りてキャンプツーリングした一回のみの使用に留まっていたが、今回これを使わない手はない。このテントによって涸沢カールへのアタックが現実味を帯びてきたのである。
そして最後のピースがタイミングである。山に行く以上悪天候は避けたいし、泊まりでの遠征になることから時間もある程度必要である。これにさらに紅葉が色づいている時期という条件を掛け合わせると全てが成立することなどそうそう無い。……が、2024年は奇跡的にそれらが重なった。スポーツの日を絡めた10月の三連休、紅葉は色づきを迎え、少なくとも平地の天気は晴れ、上手くいけば有休等を使うことなく登って帰ってくる目処が立ったのだ。かくしてこのワンチャンを活かすべく、久々に使うテントや登山道具を引っ張り出した。
この機を逃したら次はない。
というわけで、三連休前日となる10/11(金)深夜、松本方面に向けて出発。深夜に沢渡駐車場を訪れると、いくつかの駐車場は既に満車であったが、うまく周辺のバスターミナルからほど近い駐車場に滑り込むことが出来た。これ幸いとばかりに車中泊セットを組立てて仮眠を取る。明日は長くなりそうだ。
10/12(土)6:00少し前、起床。数時間の仮眠ではあるものの、それなりに寝られたのでこの時点での不安はない。テント・マットをはじめとした登山道具一式を詰めた40Lのザックはこれまでで一番重いが、歩けないというほどではない。
駐車場のゲートに目をやると入場待ちの車が列を成していた。が、よくよく考えるとここにこの時間に駐車している車というのはまず間違いなく上高地にこれから向かう人達のものなわけで、今から待ったところで車が出てくるのは最短でも午後なのではないかと思ったのだが、まぁ他人のことを心配しても仕方が無いので歩いてバスターミナルに向かう。
ところがこの車列というのはバスにも悪影響を及ぼしていたことが判明する。どうも駐車場から溢れた車が路駐しているらしく、そのせいで循環しているバスも遅れているようでバス待ちは長蛇の列となっていた。重い荷物を持った状態でコースタイム通りに歩けるか不安なので朝イチで行くつもりだったのに、いきなり出鼻を挫かれた格好である。結局、6:00に起きたのに上高地側のバスターミナルに到着したのは7:45頃であった。いきなり予定から1時間くらい押しているが、まぁなんとかなるだろうということで、ここからはひたすらに歩きである。
三連休だけあって人は多いが、その中でもデカいザックに銀マットを刺している人はキャンプを前提とした装備なわけで、おそらくは目指す先は同じである。こうした人の多さに圧倒されつつも、反面心強さも感じた。こっちは永遠の初心者なので同じ場所を目指す人が多い状況は歓迎である。
さて、上高地バスターミナルから涸沢カールまでの道のりだが、先に述べたとおり時間にして半分くらいはハイキングに近い比較的平坦な道である。途中には明神、徳沢、横尾とチェックポイント的に休憩施設があり、ここでトイレや水の補給も出来るし、徳沢や横尾ではキャンプ場もある。朝早くから登りたい場合はここで一泊して翌朝から歩いて行くという手もあるようだ。
とはいえ、本格的な登山が始まる最後のチェックポイントである横尾まででも10km・3時間程度歩くことになる。
というわけで、ここまで来るだけでもそこそこ消耗しているので横尾まで来たら休憩がてらバーナーでラーメンを煮て食べたりした。行動食としていくらかの菓子類の他はチキンラーメン的な味付き麺とフリーズドライのスープをある程度持ってきたので、今回の道中はそれを食べて過ごすことになった。この後このバーナーが大活躍というかギリギリの窮地を救うことになるのだが、この時はまだ知る由もない。
写真の通りここまでの天気は快晴であり、汗で服が濡れていることや水分の補給がこの時点での主な懸念だった。一応標高も高くなるだろうということで上着は持ってきたし、雨具ももちろん持っていたのだが、この時点ではそれらを使うことは考えもしなかった。
そんなわけで13時頃、元谷橋まで到達。この時点までは本当に平和だった。
泊まりの道具を詰め込んだザックこそこれまでにないレベルで重たいものの、この時点でも機材にこれといったトラブルは起きておらず、体調的にもまだまだ余裕があった。これはなんとかなるのではと思って黙々と登っていたのだが、しばらくするとだんだん曇ってきて、そのうち案の定というか、いつものように雨が降り始めた(過去の登山では晴れを選んでいるにも関わらずだいたい雨に降られている)。
さっきまで天気が良かったので他の登山者からも突然の雨に驚く声が上がるくらいだったが、それと同時に「おそらくこれは通り雨に過ぎないだろう」という声も聞こえてきた。同感であるしそうであってほしいと願っていたが、この頃になるとだいぶ標高も上がっていたので、雨具代わりのソフトシェルを着込んで、ついでにザックカバーもしておく。用心するに越したことはない。
……そしてその用心はすぐさま報われる(?)こととなった。
なんとほどなく雹が降ってきたのである。もうこうなると笑うしかない。痛くはないが鬱陶しい。もはや雨が上がるという希望は捨ててあとはひたすらに歩くのみである。ここまで来てしまったら今更引き返しても仕方ない。それにしてもさっきまでの快調さは一体何処に行ってしまったのだろうか? 雹はそのうち冷たい雨に変わったが、濡れることを考えるとまだ雹の方がマシだったかもしれない。
そういうわけで、ボロボロになりながらなんとか登り続けて涸沢ヒュッテの目印である旗が見えた時は感動したが、見えるだけで一向に近くならない。富士山の時も思ったが、目標に手が届きそうになった時ほどそこからさらに時間がかかるものである。分かってるんだけどもう最後の気力を振り絞っている身なのでやっぱりつらい。
そして15:30。ついに涸沢ヒュッテに到達した。登り切ったのである(なお、登山が趣味の人にとってはここは通過点に過ぎないことも多く、ここをベースにして周辺の山々へ向かうそうだが、登山が趣味というわけでもないのでここまで来れただけでも良しとする)。
さて、ここまで着いたとしてもまだまだやることは盛りだくさんである。
既にテント場には多数のテントが広げられており、荷物を置くにも雨風を避けるにもまずは自分のテントを張らなくてはならない。しかしここのテント場は岩場になっていて大きな岩がゴロゴロしており、平地にテントを張ることはできない。
雨が降り続く中、消耗した頭と身体で初見の場所にテントを張るわけである。結果として安定して寝るには厳しい場所に、安定して寝るには厳しい完成度のテントが張られることになった。とはいえ立ち上げてさえしまえば雨風は凌げる。少なくとも外で凍えるよりはずっとマシである。
テントに荷物を引き込むと、エアマットを膨らませたり濡れた荷物を拭いたりと最低限の準備を終わらせた。この時点でもテント場の申込列は長蛇の列だったのでしばらく様子を見ていたのだが、一向に列が解消する感じがなかったので、落ち着いたところで列に並び始めた。幸いにしてこの頃には雨もほとんど上がっていたのだが、明るいうちに並び始めたというのに、申し込みが済んだ頃にはすっかり暗くなっていた。
さて、申し込みも済んだので引き続き水場から水をもらってきたりして夕食がわりのラーメンやスープを作って食べる。スープはフリーズドライなので多めに持ってきたのだが、結果としてこれが正解だった。下手すれば半袖でも歩けた麓の気温とは打って変わって、こちらは雨もあってか非常に寒い。身体を温めるものは何よりもありがたかった。
暗くなってくるとあたり一面に張られたテントに灯りがともり、派手な色の多い登山用テントということもあって非常に綺麗だった。もっとも、この規模(1000張ほどあったらしい)でテントが設営されることはこの時期の週末くらいらしい。おそらく条件的にはこの三連休というのが最もテントが多かった日なのではないかと思われる。
せっかくなのでカメラを持って外に出るが、すでに体力、気力ともに寒空の下での撮影に耐えられるレベルではなかったため、ある程度それっぽいカットを押さえたら芯まで冷え込む前に退散する。元はと言えばこの景色が見たかったから来たのだけど、この時点での気持ちは到達証明としての写真が撮れればもうそれでよしで、まずは生きて無事に帰ることに目標がシフトしていた。三連休の初日にここに来ているのでワンチャン二泊で三日フルに使うことも可能な日程ではあったが、もう一泊ここで過ごす気力は既に消え失せていた。
撮影を終えたらとにかく寒いので、さっさと寝ることにする。
……が、いくらエアマットを敷いたとはいえゴツゴツの岩の上に斜めに即席建造されたテントでは快適な睡眠環境とは程遠い。ザックの容量と重さから選定した寝袋もギリギリのスペックだったらしく、とにかく寒い。しまいにはガタガタ歯が鳴る始末で、これは低体温症になるのではと思い度々起き出しては湯を沸かしてはスープやお湯を飲んで身体を温めた。
この頃になるとテント内も結露で湿っており、なんとかまだ濡れていない服を着込んで、寒さで死なないようにして朝まで耐えることにした(結果として耐えてはいる)。ちなみに翌朝、荷物を片付けていてザックの隅に入っていた使い捨てカイロの存在に気付いて膝から崩れ落ちることになる。
このようなことをしているうちに日付は変わって10/13(日)。夜が明ける前に起床。起床っていうかあんま寝てねぇしなと思いつつ、とにかく日が出ればある程度は気温も上がることだろうし、何よりかの有名な朝焼けを一目見てみたいということで、再度カメラを持ってテントを抜け出した。
周囲が暗い中、遠くに見える山々では朝焼けを山頂で迎えようとしている登山者なのか、時々ヘッドライトの灯りが動いている。中にはあんなとこあんな速度で人が登れんのかよみたいなのもあったが、まぁ世の中にはそういう人もいるんだろう。相変わらず寒いが、せめて朝焼けをモノにするまではと気合いで粘る。とはいえもう歩き回ってベストスポットを探すみたいな気力はなく、前日同様展望台からそれなりのカットが押さえられればそれでいいというレベルになっていた。なんせこの後テント撤収の上で下山もある、余力は残さないといけない。
かくして、 寒さと戦いながらも朝焼けに染まる山々と色とりどりのテントが埋める涸沢カールの姿をカメラに収めることで、ここに来た一応の目標は達成した。今年の紅葉は気象の関係もあってか赤味が少なくて憧れたポスターや写真集のようとまでは行かなかったが、それでもこの日にここまで来ただけのことはあったろうと思う。
ちなみに、この最低限の撮影を終えたのち、さらにこの近くにフォトスポット(湖のようになった場所に紅葉が映り込むところ)があったらしいのだが、そんな事を知らなかったため華麗にスルーしている。
日が出てからはゆっくりしていこうかとも思ったのだが、周りを見回すと皆テントを撤収しているのでそれに倣ってこちらもテントを片付け始める。夜露に濡れたテントは表面が凍っており、タオルで叩いたり手袋で払ったりしてから畳んでいく。改めて見るとよくこんなところで過ごしたなという感じだったが、ともかく1日耐えることは出来た。しばらくテントを片付けているとラジオ体操が始まり、足元に気を付けながらこんなところでやるラジオ体操もいいものだなと感慨に耽る。登山そのものが楽しいわけではないのだけど、その先にあるものに関してはやはりいいものである。
そうこうしているうちに無事テントを畳み、荷物のパッキングも終えたので、7:30頃いよいよ下山である。ヒュッテ側で名物らしいおでんなどの軽食を取っていくことも考えたが、同じようなことを考える人も多く混んでるのでパスした。またただ来た道を戻るのも癪なので下山時はパノラマルート(別ルート、少し難易度が高い)を取ることも考えたが、永遠の初心者ということもありやめることにした。これは今考えても正解だったと思う。
というのも、前日の雨で登山道はそこかしこで凍結しており、しかもぱっと見凍結しているように見えないのでいたるところで人が滑って転んでいたのである。ここで足でも捻ったら大変なことになるので慎重に降りていったが、正直何回か怪しいシーンもあった。何より足を置いた先が凍ってることを心配しながら降りるのは疲れるものである。
テントや寝袋のこともそうだが、結局基本的には「山を舐めるな」という態度でちょうどいいんだなぁなんて思いつつ、疲れた体に鞭打って降りていった。そうこうしているうちに天気の方も麓に降りていくに従って良くなっていき、元谷橋ではまるで昨日と何も変わらないかのような快晴であった。こうしたチェックポイントで適宜休憩を取りつつ、終わったら温泉にでも入りたいなと考えながらひたすら歩く。
で、帰り道の精神状態で言うと後半にあたる比較的平坦な区間のほうが辛かった。ザックの重さはつねに肩にのしかかるし、平坦とはいえ3-4時間は歩く行程である。そう、横尾まで降りたとしても片道6時間の行程のまだ半分でしかないのだ。とにかく黙々と歩き、途中徳沢で昼飯代わりに牛丼を食べてもう一踏ん張り。いっそここらでテント張ってもう一泊して回復して帰るのもどうかと真剣に考える程度には疲れていた。
そんなわけで、ひたすら歩いてなんとか明るいうちにバスターミナルまで帰ってくる事ができた。上高地まで帰ってくるとこれまでとは段違いの人の多さだし軽装の人も多くてようやく登山から「世の中」に帰ってきたような気がした。ここで最低限のお土産と飲み物を買い込んで、最後の休憩。
さて帰るぞと思ったのだが、バスターミナルに向かう道には長蛇の列。というか、並び始めた時点ではまったく先が見えず、前後の人からの「どうもこれが沢渡に帰るバス列らしい」というあやふやな情報で並び始める羽目になった。
この列は並び始めた時点で500mほど伸びており、ようやく下山して帰れると思ったら最後にこんな試練が待ち受けていたのである。そんな中で、たまたま前に並んでいた方も前日涸沢に泊まって穂高に行ったりしていたとのことで、並んでる最中あまりにも暇なのでバスを降りるまでずっと話し込んでしまった。前述したフォトスポットの話もこの方から教えてもらったものである。
そしてこの列に並んでる間にザックのポケットに入れていたカメラを落としていたらしいのだが、疲れ果てていたため当時そのことに気付いていなかった(気付いたのはバス降車後)。
このあと、二時間ほどかかってなんとか暗くなる前にバスに乗れたものの、結局沢渡のバスターミナルに着いた頃には暗くなっていたこと、この時にカメラ紛失に気付いて色々問い合わせたこと、全身バキバキ状態で自分の車に戻ったが路駐と交通集中と工事の影響で松本まで2時間以上かかったこと、そんなこんなで温泉に入れる時間を逸してしまったのでせめて飯でもと思って(足が棒のようになっていたので)生まれたての仔馬のようなステップで飯を食ったが諏訪湖SAでとうとう体力の限界を迎えて仮眠してから帰ったことなど色々あるのだが、とにかくにもこの三連休で涸沢カールに登り、紅葉を見てくるという目標はやり切った(なお落としたカメラは運良く届けてもらっていたので数週間後に無事に手元に戻った。 危うく旅の目的を吹っ飛ばすところであり改めて拾って頂いた方に感謝である)。
こうして振り返っていてもやはり色々反省点はあるのだが、そうは言ってもある程度準備と心構えがあったので無事に帰って来れたという面もある。そういう意味で、繰り返しになるが基本的には山を舐めるなという態度でちょうど良いのだろう。
また、今回テント泊を含む行程を達成したことで今後の行動にバリエーションが生まれたのは確かである。とはいえ今度は「山に登ってまで行きたいところ」のストックが尽きた感もある。なんせ山に登ること自体は趣味じゃないのだ。山に登らないで済むならなるべくそうしたい。ただし登らなければ行けない場所や、見られない景色があるのならばその限りではない。相変わらずそういうことにしておこうと思う。
それではまた来年、かな?