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無名サイトのつづき

「観光地のカツ丼」問題を考える

行き場のない気持ちを書くというのもブログの一種の使い方だと思っているので、そのようなことについて記す。

 

旅先で何を食べるかというのは、旅先での過ごし方においてとても重要なファクターである。旅というものの本質は日常との心地良い差異の連続であり、食事はそれを強調する手段でもあるからだ。明け透けにいえば「せっかく旅に出たからにはいつもと何か違うモノを食べたい」ということである。「いつも」から逃避する為に旅に出ているのだから、ある意味自然な感情と言えるだろう。

とはいえ、旅先での食事は時に人を悩ませる。その理由が何かと言えば「失敗したくない」からである。

たとえば自分の家の近所にある、まだ入ったことのない定食屋に入るのであれば──もちろんそれですらけっこう勇気のいることだが──話はシンプルだ。当たりだったら通えばいいし、ダメだったら二度とこんなとこに来るかと吐き捨て、実際に行かなければいい。おそらく何度も通うチャンスも無視するチャンスもあるだろうからだ。

旅先ではそうではない。何万円や何時間、あるいは他に諦めた用事といった有形無形のコストをかけてようやくたどり着いたその場所で、もしかしたらもう二度と訪れないかもしれないこの場所で、わざわざマズイ飯を食う必要なんてどこにもない。しかし当然ながら、初めて訪れる場所において店の当たり外れを推察する手段は乏しい。旅は一期一会だが、それだけに一つ一つの出会いの重さがのしかかってくるのである。

……そうした時の助けになるのがガイドブックやレビューの類なのだが、実はこのレビューがさらに悩みを深くするときがある。

たとえばの話をしよう。想像してみてほしい。あなたは海辺の漁師町に来ている。市場は活気に溢れ、潮風に包まれているうちに腹も減ってきた。先程から新鮮な魚介類のことで頭はいっぱいだ。昼飯は魚を食べようと考えているはずだ。当然そうしたお店もたくさんある。

さてどれにしようとササっとネットの口コミを見ると、案外周辺の海鮮をウリにした店の評価は高くない。それは観光客向けの割高な価格設定に一因があるかもしれないが、ともかく味についても並程度だというレビューが並んでいる(実際にこのようなことはよくある)。

そうした中でふと別の店に目を向けると、カツ丼がとても美味しい店がすぐ近くにあるのだという。しかしそこで提供されているのは、たとえば卵とじでなくてソース味だとか、こだわりの何か地元産の素材を使っているだとか、そういう特別さは全くないカツ丼のようだ。要するに「ここに来た甲斐」を本当に何一つくすぐらないのである。しかし地元の人達が本当においしいと評価しているのは、どうやらこちらのようである。

さて、こうしたときにどうしようか。これがつまり「観光地のカツ丼」問題なのである。

別にカツ丼が悪者になるのが忍びなければここに当てはめるのはラーメンでもカレーでも定食でもなんでもいい。要するに地元で似たようなものが食べられる、旅先で食べる必要が全くないようなものが味の面でベストだと提示された時に、それを選ぶべきなのか、それとも旅先であることを考慮して旅先でしか食べられないものを食べるべきなのかと、そういう話である。

これは例えばもっと狭い範囲でも成立する。たとえばある地方のご当地ラーメンを食べに行ったとして、その地域で最も口コミの評価の高い店に行くと、ご当地ラーメンとは無関係な(むしろ都内で流行っているような)凝ったラーメンが出てきたりすることがよくある。もちろん味は美味しいのだが、当初の目的を考えると気持ちは複雑である。なんだかわざわざ遠くに来た意味を自ら否定しているようですらある。

そしてこの「観光地のカツ丼」問題は時に立場が逆転することもある。遠いところから遊びに来る友人に何か地元の食べ物を紹介するときに「この土地らしい」食事と「ノンジャンルで美味しい」食事どちらを紹介すべきか迷ったことのある人も、おそらくいるだろう。

結局、この問題は胃袋か金か時間か、どれかが無限であれば解決する。両方行くという荒技が実のところ一番なのかもしれない(どうしても気になるからまた来る、という選択肢も含めて)。しかし先にも述べた通り、旅というのは一期一会であり、必ず何処かで取捨選択をしなければならない。

そしてここまで長々と書いてきて卑怯なようだが、残念ながら未だにこの問題に対する答えは出ていない。このような選択を強いられたことは何度もあり、どちらの選択肢の経験もあるが、最終的に選んだのがどちらであっても心の端にトゲが引っかかったような気持ちになる。せいぜいそれを誤魔化しながら旅とは人生のようなものだとここで嘯くのが精一杯である。

だから、行き場のない気持ちを書き綴るのもブログの一種の使い方なのだと思い、こうして書き残しているのだろう。