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無名サイトのつづき

企業サイトを読む:パルスオキシメーターの歴史について

仕事中に色々な企業のwebサイトを閲覧するのだが、本来の目的である調べ物を終えた後も、ついそのまま製品情報だったり沿革といった余計なページまで見てしまうことが多い。

これは古のインターネットにおいて、初めて訪れたサイトはまずaboutやprofileのページをじっくり見てから巡回する……という謎の習慣が身に染みついてしまったからではないかと考えている。余談だが昔の個人サイトではこのprofileのページに管理者が使っているPCのスペックを書き出すのが当たり前だった。今考えるとちょっと不思議な風習である。すっかり見なくなったなアレ。

閑話休題。そうした企業サイトでは、製品におけるちょっとしたトリビアとして開発ストーリーやヒット商品の開発者のインタビューが掲載されていることも多い。というわけで、今回はいつもの当サイトからはやや趣向を変えて、そうした偶然見つけたストーリーで面白かったものを取り上げる。

さて、未だに世の中はコロナウィルスの脅威と戦い続けており、このウィルスとの戦いの中で急に身近になった概念も多い。酸素飽和度という概念もその一つだろう。

新型コロナウィルスの症状の一つとして肺炎があり、酸素を取り込める量に直結することから重症化度の指標として酸素飽和度が用いられており、現在ではニュース等でもよく目にする言葉である。だが、コロナウィルス以前の世の中では大病をしない限りは意識することもなかったのではないだろうか。

そしてこの酸素飽和度を測る機器がパルスオキシメーターである。現在では一部のスマートウォッチにも簡易的なものが搭載されているが、元を正せば医療機器であり本来であれば採血しなければ測定できない酸素飽和度がほぼリアルタイムに測定出来ることから今では医療機器の基本機能の一つになっているようである。

そして実はこの機器は日本が発祥の機器だったりする。

医療機器メーカーとして知られる日本光電工業が1974年に特許を取得し、翌1975年に発売したイヤオキシメータが現在に繋がるパルスオキシメーターの一号機とされており、製造元の日本光電工業も特設ページを用意してこの事実と発明者の青柳氏をアピールしている。

www.nihonkohden.co.jp

通常であればこれだけでもトリビアなのだが、実はもう少し調べてみると面白い記述が見つかった。同様にパルスオキシメーターを製造するコニカミノルタ(合併前のミノルタ側の事業)にも同様の解説ページがあり、ここではまた違った視点からの解説がなされている。

www.konicaminolta.jp

両社は一ヶ月違いで同様の特許を出願しており、発明元の栄冠は一ヶ月先行した日本光電工業の側に輝いている。ちなみに特許出願内容はこれこれのようだ。お時間のある方は読み比べてみても面白いかもしれない。どちらも既存の機器の準備に手間が掛かる点や位置ずれによる問題などを解決しようとしていることがわかる。

そして、実のところどちらのサイトにおいても、この機器が画期的ではあったものの、決して即座に大ヒットしたわけではなかったことに触れている。日本光電工業側では「着想としてはまさに世界に誇るべき独創的かつ優れたものでしたが、光源は豆電球でセンサの感度も悪いなど、性能や使い勝手の面でまだ改良の余地が多く、需要が伸びないまま、諸事情により開発は中断しました」とあるし、コニカミノルタ側の記述でも「パルスオキシメータの技術・商品は日本で生まれましたが、本格的に臨床で使用されたのはアメリカにおいてでした。ミノルタカメラがアメリカにパルスオキシメータを持ち込みましたが、アメリカのバイオクス社・ネルコア社がその技術を改良し、麻酔中のモニターとしてパルスオキシメータが定着しました」とある。要するに、日本生まれの技術ではあったものの、日本では定着しなかったという話なのだ。ただ、米国で定着したことから日本光電工業は中断していた開発を再開し、現在では同製品のパイオニアとしての立場を取り戻した……といった流れのようだ。この米国の事情および米国メーカーが普及に果たした役割というのは、日本の両社共に認めているところなのである。

また、企業サイトではあるので当然抑えた筆致ではあるものの、コニカミノルタ側では現在の仕組みとはやや異なるものの近い機器が1940年代から存在していたことについて触れていたり、特許に関しても日本光電工業の出願に対して一ヶ月弱遅れたものの同様の特許があったことをアピールしている(前述)。

特にミノルタカメラはOXIMETの商品化以降、現在まで途切れることなくパルスオキシメータの開発、製造、販売を続けております」という一文は、明らかに途中で辞めたことのある会社に対する、何らかの感情が込められているように思えてしまうのだが、これは果たして穿ち過ぎだろうか?