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無名サイトのつづき

解像度、いる?

些細なモノゴトの違いにも興味と関心を持ちそれを日々の生活の楽しみとする、という考え方がインターネット上でメジャーになって久しい。そして、こうした概念を表す言葉として「解像度」なる言葉もまた一般的になっている。

試しに「生活 解像度」とか「日常 解像度」とかで検索してみれば、こういう用法がすぐに出てくるので、まぁ一般的に通じるものだと言って良いだろう。

個人的には、解像度が変わったように感じられたとしてもそれは生活や日常自体が変化したわけではなく、それを過ごしている側の認識(≒性能)が変化したからなので、こうした概念については解像度ではなく分解能と言った方が適切ではないかと思っているが、今回の記事では一般に通じる解像度という言葉を使用する。

正直、この解像度という概念には食傷気味である。

というのも、こんなことはカネのない人間であれば普通にやってきたことであり、そこら辺に今更乗り込んでドヤ顔されてもみたいな部分があるからだ。

代わり映えのしない日常に些細な楽しみを見出してそれをエンタテインメントとするというのは、そもそもお金を出して有料のエンタテインメントを摂取できない人間が、基本プレー無料の日常においてどうにか楽しみを見出そうとして開発したものであると思っている。なので、日常における課金プレー勢には本来無用なものなのである。

無課金勢はそれしかないからそうしているだけなのだ。デイリーボーナスだけで必死にガチャを回して、それでなんとか楽しもうとしているだけに過ぎない。一種の縛りプレーだが、好き好んで縛られているというわけでもない。10連回せるならそうしている。

ところがこうした事実を知ってか知らずか、課金プレー勢はこうした些細な楽しみを新たな素晴らしい概念であるとし、物見遊山で無課金勢の土俵に乗り込んでくる。連中のやってることというのは既に高レベルの本アカがあるのにサブアカで低レベル帯に乗り込んできて初心者狩りを楽しんでるようなものである。だからこそ余計に腹が立つのだ。

そしてもう一つ、そうやって解像度の概念をつまみ食いしている連中はあまり気付いていない(というか、つまみ食いだから気付かずに済んでいる)問題に、解像度の暴走がある。些末な部分に対する解像度が高まり続けると、本筋が見えなくなってしまう現象である。

解像度というものは、言い換えてしまえば本筋とは無関係な枝葉の部分に付随する膨大な知識のことである。例えば「今目の前にスマートフォンがあるかどうか」という問いに対してただ「スマートフォンがある」と認識するのか「今目の前にあるのはApple製のiPhone12であり、OSのバージョンはxx、キャリアは○○、製造したApple社はカリフォルニア州クパチーノに本社を置くアメリカ合衆国の多国籍テクノロジー企業であり1976年に……(以下略」と無限に続けられるかどうかの違いである(これは単なる一例なので、これとは異なる分岐も存在するが、その場合も解像度が最高に高まった人間の場合おそらく小一時間は続けられる)。とはいえ、これらは全て枝葉の部分であり今必要とされているわけでもない。問いに対する回答は「目の前にスマートフォンがある」だけで十分である。

これらが日常に転用されると、例えば道を歩いていたら信号機についても個別にメーカーが存在し、メーカーごとに特徴があるだとか、マンホールや電柱にはそれを管理する団体ごとの特徴があったりということに気付いたりする。単にそこら辺を散歩する上では全く不要な情報だが、これらによって「日常の解像度が高まった」ように感じるのである。これが解像度の概念である。

しかし、この解像度が暴走すると、まったくもって不幸なことになる。本筋よりも枝葉の部分の解像度の方が気になるようになってくるのだ。

皆さんはSNS上でアニメ等において「○○という作品は××の描写がなってないからクソ」とDISる人達を見かけたことはないだろうか。彼らはいわば解像度の犠牲者である。

例えば主人公達が電車に乗って移動する、そんなシーンで「この絵はxxx系だけど音が○○系だから一致してない、萎えた、もう見るの辞める」みたいな意見が出たりする。この不一致が作劇上致命的であればそうした意見も納得出来るのだが、多くの場合はこの齟齬というのは本筋にはまったく関係していない。本筋はそこには無いのである。彼らは枝葉に引っ張られて本筋を断ち切ってしまったわけだ。それは果たして、幸福な選択と言えるだろうか?

こうなると、もはや重要なのは解像度そのものではなく、自分が好きなときに解像度をオンオフあるいは加減出来ること──つまり、時には解像度を落とすこと──なのではないかと思える。本筋に対するS/N比と言い換えてもいいかもしれない。

行きすぎた解像というものは、時にノイズと区別が付かないのだから。