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無名サイトのつづき

続HOW TO GO

2015年3月、例の原発事故以降に定められた規制区域、その範囲外ギリギリだった富岡駅跡へ行った

当時のことは当時の記事を見てもらうとして、2011年に起きた地震及び津波の結果──つまり、その時点で4年経過している──とは思えないほどに、何もかもがそのままだった。

駅舎はそこに何かがあったことが信じられないかのようにホームだけを残して消え去っており(これは15年1月に解体されたらしいので、ちょうど撤去直後だったようだ)、振り返れば様々な建物の残骸が未だに残っていた。当時の記事に掲載した折れた電柱はその象徴だったが、これ以外にも隆起してひび割れたアスファルト、ひっくり返った車、立ち入り禁止のロープ……そのいずれもがその日に何があったかを伝えていた。

そしてまたそれから4年経った2019年3月、たまたま福島方面に行く用事があったので、再度レンタカーで富岡駅を訪れた。

そう、ここはもう駅「跡」ではない。当時と違い現在では常磐線はここまで復活しているのである。とはいえ、今のところ南側の終着駅(?)でもある。だが、これより北についても復旧の計画自体は進んでおり、訪れた当日も様々な工事が進められていた。

果たして4年の月日を経過したその一帯は、当時とは別物であった。あれだけあった倒壊しそうな家屋はほとんどが撤去され、それに伴って区割りが行われ、真新しい建物がいくつも建っている。

その変わりようを目にして、まるで狐につままれたかのようだった。

もちろん、色々なことが前に進んでいる、その結果なのだからそれ自体は大変に素晴らしいことである。とはいえ、2011年3月からの4年と、そこからまた4年とでは、全く時の進み方が違ってしまっているのではないか、そんな感想を抱いたのも確かである。

そんな真新しい建物が建ち並ぶ中に、一件だけ「割と新しそうな見た目をしているのに立ち入り禁止のロープが張られているアパート」を見付けた。表札やポストに目をやってみると、使われた形跡がなく、チラリと見える室内にも家具や家電が運び込まれた形跡がない。

怪訝に思って裏に回って給湯器を見てみると、そこにあったのは「2011年1月製造」の文字。それで全てを察することが出来た。

規制解除以降に現れた真新しいアパート群と、この築8年なのに未使用のアパート。見た目の上ではほとんど同じようなものなのに、ずいぶんと境遇が違うものである。

さて、このペースだと次は2023年に行くことになるのだろうか。その時にはきっとまた、何もかもが変わっているのだろう。そう願っている。