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無名サイトのつづき

ノウとハウ ~非創作同人誌を作ろう~ その1

昨年2016年は初めて同人誌的なものを作って売ったりしたのだけど、一般的に言ってこのような行為はハードルが高いと思われているし、実際やるまではそう思っていた。

実際にやってみるとそうでもなかったのだが、しかし「非漫画」「非創作」の同人誌を作る上では、その第一歩を踏み出そうにも手がかりになる情報があまり多いとは言えないことにも気が付いた。というわけで、少ない経験ではあるが、実際にどのようにして作って売ればいいのかという部分について個人的な考えを含めつつも明らかにしてみたい。もちろんこれが正解というわけではなく、一つのやり方のご紹介である。

0.何故書くのか
と、その前に実際に本を出してみるまでのことについて書いてみたい。ここを見ている人で、「同人誌」という言葉で真っ先に思い浮かぶのはなんだろうか。たいていの人が「R18のいわゆるスケベブック」か、あるいは原義に近い「同好の士が自作を持ち寄って制作する本」辺りを思い浮かべるのではないかと思う。

どちらにせよ、同人誌という言葉には一次・二次問わず「創作」という言葉もついて回る。よって、そうしたクリエイティビティが無ければ作れないものだという認識が根強く存在するように思えるし、実際に長いことそう考えていた。

しかし、コミックマーケットをはじめとした現代の同人誌即売会では、「非創作」の潮流として情報系と呼ばれるジャンルも存在する。これらは書き手の伝えたい情報を書き綴ったもので、「書き手自身がそれが好き」であるが故のウルトラニッチの開拓や、既存の商業出版物では困難と思われるような内容が多数存在し、書き手の情熱が迸る、創作分野とはまた違ったアツさを感じるジャンルである。

こうした「自分の好きなモノの本」を多数目の当たりにし、またその書き手の方とも知り合うことで、同じように本を作ってみたくなったというのがそもそもの執筆の動機であった。

1.何を書くのか
さて、本稿では「非創作」「非漫画」「非18禁」の同人誌を作る場合についての説明である。情報系と呼ばれるそれらは、コミックマーケットのジャンルで言えば「評論・情報」辺りになる。この中で、過去作った本というのはカメラについての本である。コミックマーケットの場合はカメラの場合はメカミリ(メカ・ミリタリー)として厳密に言うと評論・情報とは別の区分けになる。だいたい島にして0.5~1ブロックくらいの勢力(C91実績ではだいたい20サークルくらい)であり、決して規模としては大きくはないが、さりとて同士が全くいないわけでもないという、そのくらいの規模感である。

ただ、写真に関する内容というのは結構バラけており、前回(C91)のコミックマーケットの場合いわゆる人物写真でコスROMなら一日目、メカミリなら二日目、評論として申し込んでいたところは三日目での参加であった。また、それ以外にも各趣味での写真集(旅行や交通、特定地域に関してのものなど)もあるわけで、写真に関すること含めるのであればそれなりの勢力が存在しているといって良いだろう。

というわけで以下の解説は実体験ベースでの話になるので「情報系のうちメカミリの中のカメラ」での話になる。ただまぁざっくりと言えば評論の中に入るので、評論の中の他のジャンルであってもこれから始めようとする人に多少は参考にはなるのではないかと思っている。また、これまでの記述の中で評論・情報というのはあまりにもざっくりとしたジャンル分け過ぎるのではないかと感じるかもしれないが、実際のところは何らかの情報を伝えるものであれば何でもアリの異種格闘技戦なジャンルである。

どのような内容が情報系(評論)かどうかという目安としては、そういう方面に強いComic ZINの通販ページ辺りを見てみれば雰囲気はつかめるのではないかと思う。見れば分かると思うがホントになんでもアリなのである。

しかし、何でもアリが故にそこには書き手の情熱が色濃く反映される。また、商業誌では絶対に成り立たないような内容も数多く含まれており、ある意味では最もエッジの効いたジャンルの一つでもあるのだ。というかそもそも商業出版物にするとしても何に載せるんだよコレみたいなウルトラニッチが存在するし、役に立つものから立たないもの、必要とする読者が何人存在するんだみたいなものまで多数発行されている。だがそれでいいのだ、商業出版物じゃなくて同人誌なんだから。

2.誰に向けて書くのか
というわけで、ジャンル的には何でもアリの中なので、何を書くかはハッキリ言って自由そのものである。逆に言えば、自分が詳しかったり誰かに伝えたかったりする内容があるというのであれば、それについて書くのが一番であろう。予めニーズが存在するかどうかはあまり考えなくてもいいと思う。基本的には書き手の情熱が感じられればそれを面白がる人は一定数はいると考えている。もちろん程度問題はあるが……。

よって、この「誰に向けて書くのか」という問いは何処かにいるであろう同好の士ということになる。コミックマーケットを例に挙げれば、あれだけたくさんの人が来るイベントなので、絶対数はともかくとしても、誰かしらは面白がってくれる人がいるというわけである。

さて、ここで初めて同人誌を作り、発表するにあたって選択肢がある。一つは本稿で述べるような「イベントに合わせ、イベントで販売する」形式。そして他には「実物としての本は作らず、電子データとして作成し、配布もイベントではなく販売サイト等を通じて配布する」形式である。どちらにもメリットとデメリットがあるが、ここでは前者をお薦めする(もちろんこの複合や折衷案もあるが、リアルイベントとリアルな本を作るかという観点において対比することとする)。

イベントのメリット
 ・現物が本という形で完成する
 ・買ってくれる人と直接会うことが出来る
 ・集客力が大きい
 ・同ジャンルの書き手が集約される為、刺激になる
イベントのデメリット
 ・現物の生産コストと在庫リスク
 ・地方在住の場合は交通費も馬鹿にならない
 ・締め切りが存在し、そこまでにはなんとかしないといけない
 ・同ジャンルの書き手が集約される為、嫌が応にも比較される
 ・最低限のコミュニケーション能力は要求される

データ販売のメリット
 ・現物を生産するコストがかからない
 ・故にカラー・高解像度図版等の仕様を投入出来る
  (これらの仕様は小ロット生産だと特にコストに響く)
 ・在庫リスクが存在しない
 ・事実上締め切りが存在しない
 ・販売期間がイベントとは比べものにならないくらい長い
 ・誰ともコミュニケーションを取らなくても作って売れる

データ販売のデメリット
 ・集客力の弱いジャンルだとそもそも目に止まらない
 ・オンライン上では、イベント当日以上にライバルが多い
  (当日その場にいるメンツ以外も同列に並ぶことになる)
 ・個人的な体感ベースだが、データ販売でも売れるのは
  リアルイベントでの実績があるサークルの本という傾向が強く
  イベントに参加せずデータ販売オンリーという形態は宣伝面が弱い

これはあくまでも個人の感想に過ぎないし、いわゆるスケベブックではまた違うのかもしれないが、簡単にまとめるなら「初期投資が要るが販売のハードルは低いリアルイベント」対「初期投資が小さくて済むが販売面での困難が多いデータ販売オンリー」といったところだろうか。

もっとくだけた言い方をすると、イベントというのは一種のお祭りであり、あの場に来る人というのは面白そうなことに対する感度が異様に高くて、かつ財布のヒモは緩みまくってるナチュラルハイの状態である。そういう人に対して、周囲の競合(そして同好の士であり戦友でありライバル)も含めて、同人誌だけが並んでいる中でそれを売れるというのは恵まれた環境だと思える。何故なら、会場を一歩出た瞬間に同じ値段で出来る他の娯楽がライバルとして立ちはだかるのだから。

同人誌というのは、「薄い本」という言葉に代表されるように、個人制作の少量出版物である為分量に比した価格としてはどうしても高めになってしまう。体裁もオフセットフルカラーからコピー折り本まで様々である。ただ、あの場所のあの雰囲気はそれらのマイナスを吹き飛ばすパワーがあると思っている。

そしてもちろん、周囲に同好の士が居るという状況は非常に心強いことである。なもので、よっぽど誰とも会いたくないというのでない限りは一度はイベントに出てみて、そしてあの場の空気を味わってもらいたいと思っている。故にここでは「イベントに来る人に向けて書く」ことをオススメしたい。参加イベントはとりあえずオールジャンルで規模も大きいコミックマーケットを想定して進める。

……と、いうわけで、本稿ではコミックマーケットへの情報系同人誌での参加までの心づもりについて書いてみた。次回はより具体的な内容として、参加申し込み方法や実際の執筆~レイアウト、そして印刷とイベント参加において解説を加えていく予定である。

ちなみにそもそもなんでこんな事を書いているかと言えば、少しでも同好の士が増えて欲しいからである。

具体的に言うと、絵も描けない話も作れない、ただ与えられた何かを消費するだけ……という創作を諦めた、非クリエイティブ側を自認するようなオタクにも、創作でなくとも何か武器があれば作り手側に立てるのだと、そういう思いでこれを書いている。

もちろん情報系も一種のクリエイティビティの発露には違いないのだが、オタクの間でのクリエイティブさというのは「ゼロから何かを作る」創作能力とイコールだという風潮が根強く存在している。しかし、非創作の「自分の書きたいことを調べて、書く」ということもまたオリジナルの行為であり、ひとつのクリエイティブの姿である。そういうわけで、創作を諦めた人にもクリエイティブさを諦めて欲しくはないのである。

そしてその結果、もっとぶっ飛んだ本があの場に並ぶ、そういう未来を願っているのだ。