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続・なにをいまさらDSC-RX10

さて、DSC-RX10である。いまさらのRX10なのである。

ひょっとしたらベストバランスのコンパクトデジタルカメラなのではないかという予感はしていたので前回は購入後に思いの丈を書き綴ってみたのだが、実を言うと買ってからあんまり使っていなかった。何故かというと、RX10購入の当初目的が旅カメラであることは先に述べた通りだが、夏はコミケで忙しく、その反動としてしばらく何処にも行く気がしなかったことから旅行にも行っていなかったのである。

これではいかんと秋が来てから一念発起してあちこち行ってみると同時に、RX10も各地で使ってみることが出来たので、改めてここに旅カメラとしてのRX10評的なものを書き残しておきたい。

まず、スペックの中途半端さについては前回さんざん書いたのだが、やっぱり何度使っても中途半端である。しかしこれは「意思ある中途半端」であることは先に述べた通りだ。実際旅行に持って行く上で24-200をカバーしていればそうそう撮れないものはないし、広角はスイングパノラマ、望遠はトリミングである程度解決することが出来ることを考えればやはりこれは旅カメラとしてのバランス取りの到達点の一つであろう。

もちろん旅カメラのベストバランスたるスペックはこれ一つだけというわけではなく、他にもいくらでも思い付く。ショートズームながら全域明るいみんな大好きRX100こそが万能カメラであり、もちろん旅にも向く……という論はいつの間にかRX100シリーズが五代目を数えるまでになったという事実を引き合いに出すまでもなく、皆に肯定されるものであろう。

ただ、RX100に比べると、RX10はいわゆる一眼レフらしい形をしているという点が大きく異なる。これはレンズの違いと共に両者のボディサイズの差にも繋がっているのだが、一方で両機の違いは主にレンズ及びパッケージングの違いだけであると言い換えることも出来る。

ではこの中途半端なパッケージングは何処から来たのだろうと考えると、ふと思い浮かぶのがかつての高級コンデジの姿である。デジタル一眼レフがまだアマチュアには高嶺の花だった時代には(アマチュアにとっての)フラッグシップ機は、大柄のブリッジカメラタイプの高級コンデジであった。RX10にはどこかあの匂いがするのである。

ブリッジカメラタイプの高級コンデジは当時のフィルム一眼レフからの乗り換えさえ考慮されていた「本気のコンパクトカメラ」であり「本気のデジタルカメラ」でもあった。ただしこの分野は、やがてデジタル一眼レフ初級機の10万円戦争、そしてそれに連動した20万円クラスの中級機の隆盛により一度は絶滅寸前まで追いやられることになる。

デジタル一眼レフが手の届く存在になって以降、コンパクトデジタルカメラの存在意義のほとんどは小型軽量なカードタイプへ移り、大柄な筐体のカメラは相対的に魅力をなくしていった。そんな中で大柄な筐体に存在意義を持たせる方法の一つが、レンズの高倍率化競争であった。当初は20倍を超えるだけで驚かれたものだが、現代では50倍はおろか80倍超などというズーム比を持つカメラさえ登場している。これらもそうした生き残り策の果てに生まれたものである。

RX10自体はその見た目から、そうした超高倍率カメラと同一視されることもあるが、本質的にはそれより以前の「デジタル一眼レフの代わりに出来る高級コンデジ」であるように思える。

そもそも高級コンパクトや高級コンデジという言葉自体も、その時代によって意味するところは変化している。フィルム時代の高級コンパクトはあくまでもポケットカメラの範囲内で写りや品位を高めたモデルが主流であり、よく言われるように一眼レフのサブで使えるというところがウリであったように思える。そして現在一般に言われる高級コンデジも、この「一眼レフのサブ用途」のカメラであり、そのために大きさ重さでは一眼レフの領域に意図的に踏み込んでいないように思える。

一方で、一昔前の高級コンデジというのは先に述べた通りデジタル一眼レフがあまりにも高価で特殊であった時代にそれらを代替し、写真愛好家の受け皿となるために作られたものである。これらの機種には一眼レフに対する妙な遠慮(?)というものは存在せず、むしろ一眼レフなど不要とばかりにそれ一台で何でも出来ることが存在価値の一つであった。RX10はこのコンセプトが現代に蘇ったと考えれば、この中途半端さにも説明が付くだろう。ただし当時と違って、場合によってはより小型軽量ですらあるミラーレス機の存在がこのカメラの立ち位置を余計にややこしくしてしまっている面もある。

そういうわけで、また長々と説明が入ってしまったが実際の使用感について書いてみよう。まず言えるのは、このカメラあまり電池の持ちがよいとは感じられないが、一方でそれが致命的というほどの弱点にはなっていないという点である。

このカメラの電池はα7シリーズ等にも使われているNP-FW50であり、当然のことながら(?)フルサイズのα7よりは電池の持ちはずっとマシに感じる。もちろんハードに使っていくとそれなりのスピードで減っていくのだが、microUSB端子で充電出来ることがその弱点を補っている。

つまり、モバイルバッテリーであったり、車のシガーソケットから電源を取っておけば多少電池の減りが早くとも事実上なんとかなってしまうわけで、宿や車に戻ればある程度電源を確保出来るシーンが多く、またカメラを電源オンにしたまま休憩なしで撮りまくるシーンの少ない旅行においては、別に専用充電器を持ち歩かなくていい分トータルでは荷物が減ってすらいるわけである。競合機でもUSB充電に対応していなかったり、対応していても専用のUSBケーブルが必要になったりする中でこのスペックは特筆すべきモノであると感じている。

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次に写りだが、必要十分なラインの上のほうを楽々クリアという感じである。これ以上が必要ならば一眼レフやミラーレス機をどうぞというのは理にかなっているし、それらを使うことで得られる結果と引き替えに、荷物の増大は避けることが出来ない。少なくとも24mmから200mmまでをハイクオリティにカバーするというのであれば。

一方で、レンズキャップやフード、そしてその筐体サイズから来る取り回しについてはユーザー側の意識がどちら側にあるかで評価は変化すると思う。「一眼レフよりは小さい」であれば一眼レフ流の取り扱いに不満は出ないだろうし、「うすらデカいコンデジ」であればレンズキャップの取り扱いや筐体サイズには自然と不満を感じることになるであろう。余談だが、別に保有しているGRに関して言えばあのカメラの美点というのはレンズキャップの要らないレンズバリア式だということにあると考えている。つまりGRはコンデジという意識だが、RX10は小さな一眼レフ相当品という意識があるわけだ。もちろんこの辺りの考え方は万人に当てはまるものではないと思っている。あくまでも個人の感想である。ただ、サイズ感についての感想はおそらくこの意識によって大きく変わるだろうことを考えれば、ここに一つこのカメラを評価することの難しさがあると言えるだろう。

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また、これはRXシリーズに共通した美点ではあるが、基本的なインターフェースのほとんどがRX及びαシリーズで共通であり、それらのカメラを使ったことがあれば操作面で迷うことが少ない。もちろんアクセサリーも主要なものは一通り使い回すことが出来る。気が付けばαAマウントから始まりEマウント、そしてRXとフルラインで揃えてしまったが、既存機のユーザーとしてはこういう点は共通であるに超したことはない。

操作面には好みもあると思うが、個人的にはレンズ鏡筒リングでステップズーム、ズームレバーで連続ズームという操作は使っていて納得することが多かった。ある程度焦点距離の感覚を掴んでいる中ではステップズームを多用するが、その一方でテレ端/ワイド端に戻す時にはレンズ鏡筒リングを回し続けるよりもズームレバーの方が手っ取り早かったりする。もちろん微調整にもズームレバーは役に立つ。この二系統の操作が両立することは一体型の特権でもある。

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いわゆる「カメラらしい」形状というのもプラスである。握って、構えて、覗き込んで撮る。一眼レフの代わりとしてはまことに自然である。一方でチルトモニタによっていわゆるコンデジらしい液晶モニターでの撮影ももちろん出来る。そして水準器、連写合成HDR、スイングパノラマといった現代のコンデジにある飛び道具も満載である。その上で望めばα用のストロボだって乗せることが出来る。流石にほとんどやったことはないが。

一方で、ウリの一つであろう絞りリングについては手持ち無沙汰の時に弄ってみる以外、特に必要性を感じてはいない。旅カメラとしてほぼプログラムモードが基本になっているため、この部分は飾りに近いというのが正直なところだ。もちろんこうしたカメラというのはたとえ98%の時間はなんとなくプログラムオートで使っていたとしても、残り2%で素晴らしい被写体に出会ったとき、いかに自分の意図が反映した撮影ができるかがキモである。だからこそ使用頻度は低いと分かっていてもプログラムオンリーではなく撮影意図の反映できるモデルを選ぶのだし、実際にその操作性にもこだわりを見せるわけである。そういう意味では、操作性の面で大きな不満は今のところない。RX100ほどせせこましい印象もなく、至って快適である。

それほどヘビーデューティ仕様ではないとはいえ、防塵防滴を意識したボディは旅カメラの範囲内で天候を気にせず使うことが出来る。小雨程度ならガンガン撮り歩けるし、ずぶ濡れになるようであれば移動どころではなくなるだろう。

また、この項執筆時点で既に五代目を数えているRX100ほどではないとはいえ、RX10も既に三代目まで出ている。RX100系統と違って過去モデルはディスコンにしているようなので今からRX10初代を買うことは出来ないのだが、二代目でフィーチャーされた高速AF&高速読み出しについては旅行じゃ関係ないし、三代目のズーム比の拡大に至っては個人的に気に入っている中途半端なコンセプトの否定でもあるので、特に必要性を感じていない。しかしやれることに関してはもちろん新しいモデルの方が広がっているので、それをどう考えるかで評価は変わるであろう。

総じて感じるのは、RX10は多機能ナイフのような性格のカメラであるということだ。これ一本あればとりあえず何でも出来る。もちろん全方位に100点というわけではないが、その代わりどの要素を取っても合格点は叩き出している。一眼レフとのトレードオフにキッチリと説得力を持たせつつ、独自の立ち位置が完成している。

もしカメラ一台で旅に出るとなれば、手持ちのカメラの中でどちらを持っていくか最後まで迷うのはGRであろう。GRはRX10という多機能ナイフとは対極の位置にあるカメラだ。単焦点大サイズ撮像素子というその個性は、例えて言うならば良く鍛え上げられた脇差しだろうか。捨てるものもあるが、その先に見える切れ味もまた唯一無二である。(ただし、デジタル以降のGRシリーズというのは言うほど単機能のカメラではない。むしろ銀塩GRなどと比べたら何でも出来て目眩がするほどである。これについては気が向いたら述べる)

形もサイズも、もちろんコンセプトも明確に違うこの二台で迷うということは、取りも直さず旅カメラという存在がそもそも不定形であるということを示している。全てを取り込む貪欲さを選ぶか、潔さと取捨選択の先にあるものを掴むか、カメラの選択一つとっても、旅は出発前からすでに始まっているのだ。

そしてきっと、そうして悩み抜いた末に選んだ手段で思い出を残すのも、一つ大きな旅の楽しみのうちなのである。