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無名サイトのつづき

モノサシは伸びてゆく

写真に写したモノの大きさを伝えるというのは、簡単そうに見えて実は言うほど簡単なことではない。例えば旅先で、ガイドブックに載っている写真から想像していたよりも小さな盛り付けの料理が出てきてガッカリした経験を持つ人も多いことだろう。

ちょっとカメラを囓った人ならご存じかもしれないが、写真というのは焦点距離によってパースの付き方がガラッと変わるし、これはカメラの向きや傾きにも左右されてしまう。そしてそれらとは別の理由として、先のようなガイドブックの場合は料理だけが切り抜かれて掲載されることも多く、それが余計にそのものの大きさを分かりづらくしてしまう。

そこで大きさを伝える際によく使われるのが、比較対象になるものを被写体と同時に写し込むというやり方である。工事写真や資料写真などは寸法の面でも正確性が問われるため、写真の中に定規的なものを写しこむことが定められているものも多い。ちなみに工事写真によく写し込まれている赤白の定規はリボンロッドと言うそうな。

もちろん、定規を写し込むというのは正確性を期すためのものであって、定規ほどの厳密さが必要ではない用途も多い。ただ、厳密さは不要であっても、写真を見ている側に分かりやすくする為、比較対象として様々なものが写し込まれることはよくあることである。ガジェット等の紹介ではその機種の旧機種であったり、そうでもなければ身近な日用品としてペットボトルやタバコなどと並べて大きさを比較しているのがよく見られる。

旧機種はともかく、これら身近な日用品が物差し代わりになり得るのは、ひとえに見ている側の人間にもそのサイズが想像しやすいからである。もちろん厳密なサイズを伝えるのであれば先の通り定規を写し込むのが最善かもしれないが、手近なものを写し込むだけでも分かりやすさはグッと向上する。逆説的に言えば、こうした時に写し込まれる対象は多くの人がその大きさをイメージしやすい、いわば「寸法を共有した存在」でなくてはならない。

そうした前提を述べた上で、ここで2013年に書かれた次の記事を見て欲しい。

dailyportalz.jp

人気サイトであるデイリーポータルZに掲載されたこの記事では、あたかも「小盛」という概念が機能していないかのような盛りの良い店ばかりを巡って、それらのメニューの商品名とは裏腹のボリュームとそのおかしさを取り上げている。

そしてこの記事中では、三件目の店のメニューを紹介する際にサイズの目安としてスマートフォンを置いてその大きさを伝えようとしている。

記事の筆者自身箸やスマートフォンを置いて大きさに見当がつくようにしたが、今ひとつわかりづらいだろうか」と述べてはいるが、とにかくにもサイズ感を示す一つの目安としてスマートフォンが活用されているのである。

これは当時のスマートフォンが「誰もが持って(もしくは目にして)いるのでサイズ感を共有する方法としてふさわしい」と考えられていたと考えて良いだろう。iPhone等特定の機種名を挙げていないことからも「だいたいの目安」として考えられていただろうことは明らかである。

しかし、2020年にこの記事を読むと別の混乱が発生する。

登場時においては4インチですら大画面と呼ばれたスマートフォンという機械はその後長足の進化を遂げ、今では7インチに迫る大サイズが標準的になってしまった。記事が掲載された2013年といえば、4インチ台の機種が主流だった時代である。記事に掲載されているスマートフォンも(当然記事掲載以前に購入されたと考えれば)3~4インチ程度の端末であろう。2020年現在では3~4インチの端末はもはや小型スマートフォンに分類されている。

つまり、2020年の目線からすれば「この記事が2013年に書かれたものであり写し込まれているのは古の(現代の目からすれば)小型スマートフォンである」と認識して記事を読むか、それとも「この記事に写し込まれているのは現代同様のスマートフォンである」と認識するのかどうかで、読み手が感じる丼のサイズ感はかなり狂ってしまうのである。

そう、基準であり皆に共有された認識であるはずのモノサシの側が時とともに巨大化してしまい、モノサシがモノサシとして機能しなくなってしまったのだ。

……そういえば、この記事のポイントは小盛りって書いてあるのに実際に出てくるのは明らかな大盛りであり、小盛りという「基準が基準として機能していない」店とそのメニューのおかしみにあった。

そういう意味では、記事の掲載から数年の時を経てサイズの基準にしたはずのスマートフォンが巨大化してしまい「基準が基準として機能しなくなった」というパラドキシカルな出来事は、この記事に対してちょうどいい追加のオチになっているのではないかと思うのである。もちろん、元記事の筆者にとっては全く想定外の事象かもしれないのだけど。

なにをいまさらDSC-R1

2016年に、当時たまたま縁あって手に入れたDSC-RX10というカメラについてここで記事にした。

seek.hatenadiary.jp

seek.hatenadiary.jp

このカメラ、ひとことで言えば1インチの(コンデジとしては)大きめの撮像素子かつ24-200mmをF2.8通しで実現した、いわゆるネオ一眼レフタイプの高級コンデジである。しかし、文中でも述べた通りこのクラスはデジタル一眼レフを更に小型化したミラーレスの登場によりサイズ的には中途半端なポジションになってしまい、現在このカメラの路線を継ぐ機種は絶滅してしまった。

正確に言うと、ソニーからはRX10シリーズの直接の後継としてRX10IVが生まれているが、これは一回り大きく、より望遠志向となった(24-600mm F2.4-4相当)。一方で、24-200mmをカバーするモデルとしてより小さなRX100のサイズで高倍率化したRX100VIIも生まれている(24-200mm F2.8-4.5相当)。つまり、今となってはRX10のサイズやスペックに出る幕は存在しなくなってしまったのである。

一方で、ソニー以外の他社にしたってこの大きさであればより望遠側を強化するのが通例となっているので、当時「意義ある中途半端」と評したスペックは、結局のところ誰も引き継がなかったということになる。

しかし、そうした世間の評判はともかく、実は現在の手持ちのカメラの中でトップクラスに稼働率が高いのがこのカメラだったりする。それも並み居る(価格的にはプロクラスの)一眼レフやミラーレスを差し置いて、である。画質だけを求めれば当然そちらを持って行くという選択肢もあるのだが、先の記事にもある通り、撮影だけが主目的ではない旅行に持って行くとなるとこのカメラのバランスは今もってなお輝いている。

結局旅先というのは写真だけの為にあるわけでもないのだし、携行性と画質のバランスを詰めていくと、やっぱり旅先で便利なのはこの微妙なスペックだったりするのである。より小さなカメラとしてGRやRX100も持っているが、この感想は一貫して変わってはいない。

……で、先日またマイルガチャを引いて旅行に行くことになったのだが、いつものようにRX10を持って出ようとした時にふと思い出した。そういえば家には似たようなカメラがもう一台あるんだった──このあまりに長い前フリを経て──ここでようやく出てくるのが、RX10の先祖とも言えるカメラ、DSC-R1である。

さて、DSC-R1というカメラがどんなカメラなのかというのはまぁ公式サイトでも見てもらった方が早いのだが、RX10のご先祖という言葉からもわかる通り、ソニーが2005年に発売したレンズ一体型の高級コンデジである。

www.sony.jp

しかし、このカメラが現在のRXシリーズと決定的に異なる点が一つある。それは、ソニーコニカミノルタからαを引き継ぐ以前──つまりレンズ交換式カメラを持たなかった時代──に作られたカメラであるという点である。

ご存じのように、現在のRXシリーズというのは、ソフトウェアや操作系の面で一眼レフやミラーレスのαシリーズとの共通性を強く打ち出している。そしてこうした部分が完成したのは、ソニー自身が一眼レフを保有して以降のことである。

一方で、αシリーズ継承以前においてのソニーはレンズ交換式ではないデジタルカメラの雄であった。いわゆるコンデジのトップメーカーの一つだったのだ。そして、その中には当然フラッグシップと言えるだけの高級機も存在した。DSC-R1はそんな時代の(RX以前の)最後のフラッグシップである。

ぶっちゃけ、ボディはRX10よりも一回りデカい。それは何故かと言えば、このカメラがほぼAPS-C相当の大サイズ撮像素子を採用しているからである。そしてレンズは5倍ズームで、24-120mm F2.8-4.8相当である。もちろんカールツァイス銘であり、いっちょ前にバリオゾナーを名乗っている。

この撮像素子、サイズ的には1.7倍時代のシグマよりも大きく、1.6倍のキヤノンサイズよりは小さいという微妙なところだが、実質的にはほぼAPS-Cを名乗っていいだろう。

APS-Cサイズの撮像素子を持つコンデジといえば、現在はDPシリーズやGRがあり、たいして珍しくもないように感じられる。しかし、一般的にAPS-Cサイズ搭載コンデジの嚆矢とされているシグマDP1の発売は2008年であることを考えれば、このカメラはそれよりも先にAPS-Cサイズの非レンズ交換型を実現していたことになる。

そして、いくら「APS-Cサイズの大サイズ撮像素子を採用した非レンズ交換式カメラ」が今や珍しくないといってもその中で「ズームレンズ搭載の」となると実は途端に少なくなる。DSC-R1以降の機種をすべてカウント(レンズ非交換式としてはボーダーラインのGXRを含め)しても、過去存在したのはたったの数機種であり、いずれもショートズームのカメラである。ズーム搭載であれば、大サイズ撮像素子といっても主戦場は未だに1インチや4/3相当なのである。

APS-Cかつズーム搭載コンデジの例
リコーGXR A16(2012/24-85mm相当)
イカXバリオ(2013/28-70mm相当)
キヤノンPS G1X mk3(2017/24-72mm相当)

つまり、このカメラもまた、自社はもちろん他社まで含めても性格を継ぐ者のいない、後継者のないカメラであると言えるだろう。

そう考えると、2005年に24-120mmとAPS-C相当を達成していたこのカメラは相当に異常というか、妙なところを突っ走っていたものだと感心する。実際問題、同時期のこのクラスのカメラというのは(1インチブームが来る前だったので)2/3インチや1/1.7インチがメジャーなサイズであった。現にこのカメラの前モデルにあたるDSC-F828は2/3インチCCD採用で、そこに28-200mm F2.0-2.8相当というスペックだったので、ガラッと変わったわけである。

さて、2005年頃というのはデジタル一眼レフカメラの低価格化も進んでいた頃であり、DSC-R1の実勢価格は10万円オーバーと、モロに初級デジタル一眼レフと被る価格帯であった。当時すでにカメラに興味はあったが、こうした価格帯のカメラは高嶺の花だし、高値の花でもあったため、何度か店頭で触った程度で購入を検討することは一切なかった。

現在の目で見れば、24-120をカバーするそれなりのレンズが付属してデジタル一眼レフ初級機と同じ価格帯であればそれなりに意義は感じるのだが、そうはあってもレンズ交換式の魅力は大きい。多くの人にとってもそれは同じだったのか、結局このカメラはヒットすることもなく一部に支持者を残して消えていった。

当時書かれたレビューとして印象に残っているのは写真家の内原恭彦氏がデジカメwatchの連載で触れたこの記事である。

dc.watch.impress.co.jp

今になって読み返してみると、評価点もそうでない点もだいたい同意見で、もうこの記事はこれ貼って以降はこれ参照でどうぞで終わっても良いのではないかと思ってしまったくらいなのだが、とはいえ2020年のシロウトなりの感想もあるだろうてということで以下旅行に持ち出して使ってみた感想といくらかの写真を上げておく。

まずサイズはRX10よりは大きい。そして(内原氏の記事が書かれた当時とは異なり)現在はAPS-Cサイズのミラーレス機であればこれよりサイズが小さいものも多々あるので、そういう意味では問答無用でデカいという評になるだろう。とはいえ変に金属部材を奢っていないカメラでもあるので、24-120/2.8-4.5相当というスペックを考えれば決して重すぎるわけではないという辺りが現在の感覚だろうか。

で、このカメラ、まさしく「デジタル一眼レフの仕様をコンデジの書式で作った」感じである。一眼レフらしい部分は外装サイズと撮像素子サイズとレンズの仕様とRAWが撮れること。ただしそれを実現する手法やハードウェアはコンデジのそれである。

よって、メニュー等は当時のコンデジに近いもので、あまりカスタマイズは出来ない。幸いなことに多用する機能はボディ側にハードキーが設けられているのであまり不自由することはない。操作系面で特筆すべきはワンプッシュAFボタンの実装やEVFのハードウェア切り替えが実装されていること、そしてウエストレベルを基本として液晶モニターだろうか。コンデジにはチルト液晶が標準的になって久しいが、ウエストレベルのやりやすさで言えばこのカメラが一番だろう。なんせそれが基本形なのだ。なおこの形状故にアイレベルかつライブビューでの撮影はしづらい。この位置に液晶を配置するカメラがこれ以降主流になっていないことからもわかる通り、このボディ形状は既存のカメラに対して圧倒的に使いやすいというわけでもない。とはいえこの特異さに萌えるというのも確かだろう。

また、ソフトウェアが悪さをしているからかはわからないが、基本的にレスポンスはよくない。特に今回の旅行中は64GBのSanDisk Extreme proを使用していたのだが、起動すると数回に一度の割合で30秒近い読み込み待ちが発生してしまった。下手をすればAptusより撮影までの時間がかかるカメラかもしれない(なお、発生しない時もあり条件は謎。その場合も数秒はかかる)。そしてバッファや処理能力もギリギリなのか、RAWで撮影すると連写は出来ず、数秒おきに撮影した時ですら「アクセス中」の文字が出て操作不能になってしまう。旅先でのスナップ用途としてはレスポンスはギリギリ落第と言って良いだろう。

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しかし、それを補える程度の写りはある。というか、2005年のコンデジとしてみれば破格だろう(あるいはデジタル一眼レフ並とすべきかもしれないが)。24-120mmは旅行においてはちょうど良いカバーレンジで、撮影結果自体にはわりと満足がいく。

とはいえ、撮影してる時は言うことを聞いてくれない機械という印象もあった。特に酷いのがEVFで、このEVFはアイセンサーでの自動切り替えが可能だが、IRセンサーが外に露出していないタイプであり何処を塞げば反応してくれるのかがいまいち分かりづらい。試した限りでは反応エリアが左右に不均等であり、接眼してもEVFに切り替わらず真っ暗なまま仕方ないのでそのままシャッターを切ったことが何度となくあった。液晶やEVFは当然2005年なりの解像度のため、今回は露出やピントの基準としてはアテにしない方向で使っていたが、最低限の構図確認すらやりづらいのには閉口である。

しかし、しっかりと握り込めるグリップやウエストレベルのやりやすさなど、なんとなくいろいろな使い方をしてやろうみたいな気分を呼び覚ます部分も多かった。電池は3日間で4本使い切ってしまったが、うち2本が互換電池だったこととトータルでの使用時間(1,000枚近く撮影)を加味すると、純正なら十分持つ方だと思う。

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ただ、やっぱり基本的な部分はコンデジの文法から作られているのか、使い込んでみるとハテナマークの飛び交う挙動や写りもあった。

画質については上記の船の作例の通りシャープネスをかけすぎ(標準設定・Lightroomストレート現像)なきらいがあるし、そのせいで線が太く見えてしまってるのも感じる。色もコンデジ寄りというか、デジタル一眼レフの素材感のある発色ではなく無加工でも派手目である。

最大の謎の部分は露出制御である。このカメラのプログラムラインは、いろいろ試す限りではどんな被写体でも1/250までは絞り開放を保ち、それを超えると仕方なくという感じで絞り込まれていく。コンデジであれば納得のいくプログラムだが、このカメラはAPS-Cサイズの撮像素子を搭載しているのに、である。遠景を撮るのに開放もちょっとおかしいし、近接気味の時に手ぶれ限界に達していないなら(ボケ量も大きいのだから)絞り込んで欲しいのが人情である。しかしいずれのシーンでも、絞りは開放に張り付いたままでシャッター速度だけで調整しようとする傾向が見られた。

同様に(こちらはAPS-Cサイズの恩恵があるはずの)感度もかなり控えめな上げ方になっており、プログラムモードの実装までコンデジからそのまま移植してしまったのではないかという疑いが消えなかった。まぁこの辺りは途中で気付いたので適宜Aモード等に切り替えて使用することとなった。

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総じて、文句を言いつつも3日間楽しく使っていられた。そしてこれ一台で不足するシーンが少なかったのもまた印象的である。

ここで最初に戻ってRX10と比べたら、やはり時代なりのEVFの進化や、わずかに小さいサイズを評価してRX10を手に取ってしまうかもしれないが、しかしそうは言ってもこれは2005年のデジカメである。そういう意味では、やはり当時のフラッグシップはすごいという話になるだろう。

ただ、RX10とR1を比べてみると、R1ではチラチラ見え隠れしていた「コンデジらしさ」が少ないということにもまた気付かされる。そういった意味では、ソニーがαシリーズを統合した結果として、一眼レフの文法がRXシリーズにもきちんと注入されていると言うことも出来るだろう(とはいえ現在のα/RXシリーズのUIはコニミノ時代のαの良い面は全部捨てられてしまっておりかけ離れているがこの話は細かく説明すると非常に長いので省略する)。とはいえ、この記事は2020年にもなって2005年のデジカメの話をしてああだこうだ言っているわけで、これぞまさしく「なにをいまさら」という話である。

不必要な分解能(そしてローカルコーヒー牛乳収集の道)

なんだかんだで、旅行好きなほうだと思う。

少し前なら車があれば何処へでも行けると思っていたし、(主に体力の関係で)そうは思えなくなって久しい現在も、マイルガチャなどのせいで旅行に行く機会自体は減ってはいない。おそらく人並み以上にはいろいろな地方に行った実績があると自負している。

さて、「旅の本質とは何か?」と問うた時、おそらく人によって答えは異なるだろうが、そこに非日常という要素が関係してくるのは多くの人に同意していただけるだろう。普段とは違う場所にいる、知らない場所を初めて訪れる、そうした事実だけでも日常を忘れることが出来るし、気持ちはリフレッシュするものなのである。

とはいえ、この趣味も長いので「初めて訪れる場所」はだんだん減ってきて、一通り行き尽くしてしまった感があるのもまた確かである。もちろん各都道府県で主要な観光地に訪れてしまったらそれで終わりなどと言うつもりもないが、一方で行き先が日本国内である以上、遠くに行ったとしても──非日常を求めたとしても──見える景色は概ね日常の延長線上にあると言って良い。

つまり、海外に行ったときに起きるような劇的なエキゾチックさというのはそこには存在しない。そこにあるのは日本語の看板だし、道行く人もだいたい日本人である。つまり、飛行機に乗って向かうような遠い旅先であっても、行ってみたら実は近所の景色とあんまり変わらない……ということが往々にしてあるのだ。非日常を求めているはずなのに。

そしてこれに拍車を掛けるのが全国何処に行ってもある巨大チェーン店の数々である。2020年現在においては様々な業界において全国チェーンが幅を効かせており、特定地域にしか存在しない地方色豊かなチェーンはそれらに追われて数を減らし続けている。この結果、全国何処の町に行っても似たような看板を眺めて過ごすことになるのである。つまり旅先で感じる「いつもと違う町にいる感」は町中レベルでも薄れてきている。例えばコンビニは一昔前ならローカルチェーンももっと多かったが、現在は日本全国何処へ行っても大体上位三社のどれかが立ち並んでいるのだ。

さて、そんな中でも「いつもと違う町にいる」と感じる為にはどうすれば良いだろうか。答えの一つとしては、地元には無い(手に入らない)ものを探すというのがあるだろう。地元では手に入らないローカルな品物は、それこそがその場所に行った意義になるからである。

しかし、そうは言ってもそんな都合のいい製品があるかというと、実際のところそんなにない。そもそもコンビニやスーパーも全国チェーンが伸しているのだから、そこに並ぶ品物だってだいたいは全国何処でも手に入る大手メーカーの品物である。何処の町にでもあって、でも各地域ごとにローカルな製品が独立を保っている……そんな製品はなかなか存在しない。

……とはいえ、それに近いものは存在する。それが紙パックのコーヒー牛乳である。

その証拠(?)に、以下はこれまでに旅先で買ったコーヒー牛乳を探せる限り掘り出してきたものだ。おそらく実際にはもっと飲んだと思うのだが、ここに貼ってあるだけでも結構な種類があるということは理解していただけると思う。

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で、当ブログはグルメブログではないので特に味についての感想を述べることはしない。というかまぁ、どれもコーヒー牛乳である。牛乳が強いかコーヒーが強いかの傾向はあるにせよ、概ねあの味を思い浮かべてもらえばだいたい正解である。

さて、では何故コーヒー牛乳なのか? である。これはひとえに「牛乳をはじめとした乳製品は鮮度の問題から地産地消傾向が強く、ある程度ローカルブランドが強い」からである。単なる清涼飲料水であれば、それこそ全国何処でもコーラが買えるように圧倒的に全国的知名度のある製品が強い。しかし乳製品であれば、その土地のブランドが強い上に、流通上の問題で一定の地域内では確実に流通している(逆に言うとその土地でしか売っていない)というケースが多々あるのだ。

もちろん、全国レベルで見たときに雪印コーヒーおよびグリコカフェオーレの壁はあまりに厚く、地方のコンビニでもこのどちらか、もしくはこの二つしか置いていないということはよくある(特にナショナルブランド&プライベートブランドで棚を作りたがるセブンイレブンはこの傾向が強い)。しかし、この写真の数からもわかる通り、探せばそれなりにローカルコーヒー牛乳は並んでいるものなのだ。

なので、ことローカルコーヒー牛乳を探す上ではマイナーなコンビニのほか、大手三社の中ではセブンイレブンよりもローソンやファミリーマートの方がお勧めである。セブンイレブンにローカルコーヒー牛乳が売っている確率は経験上かなり少ない。もし立ち寄れるのであれば地元資本のスーパーに立ち寄るのも良いだろう。

なお、似たようなポジションにある(比較的ローカル品が生き残っている)製品ジャンルとしては菓子パンがあるが、こちらは現在のコンビニではたいてい自社ブランドをイチオシにしていることが多いためローカル品に割ける棚の面積は大変少なく、それらをコンビニで見つけるのは至難の業であることが多い。これもどちらかと言えばスーパーの方が狙い目である。

逆に言えば、そのような状況にある中でもしっかりとコンビニの棚に並んでいる製品はその土地のソウルフードレベルで根付いている製品である可能性が高いと言える。

また、これらローカルコーヒー牛乳は多くの場合「乳飲料」であることが多い。なので最後に貼った二つが属する「コーヒー入り清涼飲料」は逆にレアだったりする。定義としては下記の通りで、要するにコーヒーもあまり入ってなければ牛乳(由来の乳脂肪分)もあまり入っていないということになるが、まぁそれに関しては個人の好き好きである。ここではその分類が珍しいということだけを述べるにとどめる。

www.dydo.co.jp

www.glico.com

また、最後の二つはそれ以外にも違いがある。この二つは沖縄に行った時に購入したものなのだが、どちらも473mlや946mlと、形は同じなのに微妙に内容量が少なくなっている。これは実は沖縄だけの出来事である。何故こんなことが起きているのかといえばこれは沖縄がかつてアメリカ領だったころの名残である。946mlは1/4ガロンなのだ。

……とまぁ、実はコーヒー牛乳一つとっても、その土地その土地に応じて実はその表情を様々に変えている。先に「全国どこでも同じような景色」と述べたが、こんなどうでもいい部分の分解能を上げることで、まだまだ違いを感じ取ることは出来ると思うのである。

そしてそれは、おそらくは不必要な分解能の高さだとも思うのだけど。

GOTOトラベルトレーディングカードゲームのススメ

始まる前は賛否両論あったが、なんだかんだで話題にはなっているし活用している人も多いGOTOトラベル。

10月からはこれまで行われていた宿泊費の35%補助に加えて15%相当の地域共通クーポンも発行されており、また除外されていた東京都民の利用並びに東京都発着の旅行が補助対象になったということで、今まで以上の盛り上がりを見せている。

そんな中で、ふと気になったことがあった。

今回配布されるGOTOトラベルによる地域共通クーポンには「宿泊地もしくは隣接する都道府県でしか使えない」という制限があり、券面はすべて共通ながら、発行された地域ごとにクーポン対象地域の表記が異なるという特徴がある。……つまり、この地域共通クーポンには全部で47種類の異なる券面が存在するのである。

また、券面の種類は47種類だが実のところ更なるバージョン違い要素があり、予約成立の時点で所在が確定している宿泊施設向けクーポンは地域欄が印刷済だが、そうではない旅行代理店向けクーポンは白紙+宿泊地に応じた地域シールをあとから貼付けしているとのことである。つまり、印刷とシールのバージョン違いまでコンプリートしようとすると47×2バージョンで94種類あることになる。

……ということでこれはもう一種のトレーディングカードであると言っても良いだろう。

券面の種類が全て異なり47種類もあるのであれば、当然全種類コンプしてみたくなるのがマニアの性である。また、この地域共通クーポンは2020年という年の記録、そしてCOVID-19と日本国の戦いの記録として後世に語り継がれるものの一つとなる可能性も高い。COVID-19の流行がなければこのような施策が行われることはなかっただろし、GOTOトラベルの予算がなくなれば当然クーポンも発行されなくなる。というわけで、当初から数量限定であることも明らかにされている。もし47種類のカードをコンプリートするのであれば、限られた時間の中で集め切らなければならないというわけだ。

というわけで、ちょっとこのGOTOトラベルトレーディングカードゲームについて考えてみた。まず、券面は全都道府県に各一種類で合計47種類存在する。この47種類のコンプリートが目標となるだろう(ひとまず印刷とシールの違いは置いておく)。

これらのカード(クーポン)の入手にあたっては「各都道府県の宿泊費が3,334円以上の宿泊施設に宿泊する」必要がある。これは宿泊費の15%相当額(の500円単位切上)がクーポンとして発行されるため3,334円がクーポンを取得出来る理論上の最低価格になるからである。この場合は3,334円の15%が500.1円となり500円以上の切り上げとして1,000円分のクーポンが獲得できる。

あとは単純で、基本的にはこれを全て異なる都道府県において47回繰り返せば完了である。額面上の必要価格は3,334円×47泊で156,698円必要になるが、GOTOトラベルの宿泊費補助が効くため、実際はここから54,844円引かれることになり、101,854円となる。

もちろん交通費はここに含まれていないが、50泊近くする文字通りの日本一周、それも全県における宿泊というとてつもないトロフィーが獲得できるわりには思ったよりも安いというのが正直な感想ではないだろうか。GOTOトラベルの威力たるや凄まじいものがある。このようなバカバカしい旅程は、そもそもGOTOトラベルがなければ思いつかなかっただろう。

なお、時間がない人向けにRTA(Real Travel Attack)の手法を考えるとしたら、地域共通クーポンは宿泊時ではなくチェックイン時に渡されるという仕組みを利用して、チェックイン→クーポン取得→即チェックアウト→隣の県に移動してチェックイン(以下移動してチェックインが可能な限界時刻まで繰り返し)というテクニックを駆使することで、一日だけで複数種類のクーポンを取得することも可能だろう。

もしクーポンを金券として利用するつもりなら利用期間と地域の制限が厳しい(チェックイン当日から翌日までの実質一日半)というのに一日で複数地域のクーポンをかき集めるのは自殺行為だが、このRTAではハナからクーポンを金券として利用するつもりはない。だからこそのテクニックと言えるだろう。

もちろん、事実上の不泊となるのでホテルや旅館の人からいい顔はされないだろうことは間違いないが……。

これらのテクニックを駆使すれば、47泊(つまり最低48日間の旅程)を組まずとも地域共通クーポンのコンプリートが可能になる可能性もある。我こそはという旅行好きは、2020年の今だからこそ、今しか集められないクーポンのコンプリートに旅立ってはいかがだろうか。

 

なお計算上そのまま使えば47,000円分になる金券をドブに捨てることになるのは言うまでもない。

伊東に行くなら

CMソングが有名な「思わず節回し付きで発音してしまう」宿泊施設といえば、東のハトヤ、西のニューアワジが二大巨頭だということについては、おそらくインターネット上でも異論がないだろう。

この両者、現在はどちらもローカルCMであることから関東在住の人間はハトヤは知っているがニューアワジを知らないし、関西在住の人間はニューアワジを知っているがハトヤを知らないといった構造があるが、各々の地方においては絶大な知名度があるところも含めて、やはりある意味で東西を代表する宿泊施設であることは間違いない。

なお、関東地方だとハトヤに次ぐ存在としてホテルニュー岡部、ホテル三日月、ホテルニュー塩原、白樺リゾート池ノ平ホテル辺りが「思わず節回し付きで発音してしまう」宿泊施設だが、今調べたら岡部や塩原は大江戸温泉物語グループ入りしていたりとなかなか波瀾万丈なようである。

で、上記の通り関東では抜群の知名度を誇るハトヤだが、実際に泊まったことがある人は果たしてどれほどいるだろうか。おそらくだが、知名度から考えればそれほど居ないのではないかと思われる。

今回は、その「知っているが行ったことはない」ハトヤについに宿泊することが出来たのでそれについてレポートするとともに、何故今ハトヤに泊まることにしたのかについて述べてみたい。

さて、実際ハトヤのある伊東であったり、あるいはその近隣の熱海といった旧来からの温泉地は個人旅行全盛の今、旅行先のイメージとしてはやや古臭さを感じることがある。具体的に言うと昭和の団体旅行の匂いがするのだ。部屋数豊富な巨大豪華ホテルにみんなで行ってみんなで過ごすというそれである。有名観光地に行くというだけでも大イベントだったというそういう時代感が見え隠れしてしまうのだ。とはいえ、こういう温泉地が繁栄したのも、大雑把に言ったら昭和の末頃までだろう。

また、こうした80年代頃までに繁栄した温泉地というのは、現代の温泉好きの目から見たときに必ずしも泉質が優れていたり、あるいは珍しかったりするというわけでもない。その上で、こうしたホテルの全盛期が80年代までであるから、現在からすると設備面でも古さを感じさせたりする。つまりこうした大規模温泉街の巨大ホテルというのは、言ってみれば「昭和の観光ホテル」であり、平成も終わり令和の時代においてはすでに過去の遺物になりつつあるのだ。

しかし、だからこそこうした「昭和の観光ホテル」に今行かなくてはならないとも言える。なぜなら、こうした昭和の観光ホテルはその多くが当時のニーズに合わせて作られており、現代においてその姿を「昭和の観光ホテル」のまま何処まで(いつまで)維持できるかは未知数だからである。

例えば、昔ながらの観光ホテルによくあった、新館がいくつもあってそれらを廊下でつないだ構造は、かつて増大する団体客に対応すべく拡張に次ぐ拡張を繰り返した結果である。だが、こういう新館というのは本館に隣接する土地に後から無理矢理建てられたものが多く、場合によっては崖に建てられていてフロアの基準面がそれぞれ違ったりしている。またこうした増設ばかりの構造のせいで迷路のようになっているホテルも多い。実際ハトヤではないが以前泊まった別のホテルでは部屋から大浴場に行くまでに迷ってしまったことがある。

さて、過去においてはそれでも大量の顧客を捌くというニーズには合致していたのだが、こうした団体旅行の時代が過ぎ去ると次第にその巨躯を持て余すホテルも増えてきた。巨大で豪華なホテルであればあるほど、おそらくは維持し続けるコストも相当にかかってしまう。規模が大きく、部屋数が多ければそれだけ人も必要になってくるからである。

また、当時は想定していなかったであろう事態として例えばバリアフリー化の流れがある。バリアフリーに対応する為には、少なくとも階段部にスロープは用意しなければならないが、こうした構造のホテルの場合あちらこちらに微妙な段差が存在していることが多い。当然これらの対策にもお金はかかる。

こうなればいっそ建て替えもしくは廃業ということになるのかもしれないが、いずれにしても全盛期の昭和の観光ホテルの姿はそこで消えることになる。

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ハトヤのスロープ。配置は明らかに後付けである。

そして、こうしたホテルというのは先の通り、団体客を捌くことに特化していた。特に温泉街が形成されていない、もしくは温泉街から離れた位置に作られたホテルというのは、団体客を大量に受け入れる為に部屋数の多さはもちろん、大規模なホールやステージを持ち、自らの巨体の中にエンターテインメント要素をも内包する必要があった(温泉街がある場合はそちらで遊んでもらうのだが、離れているとそうもいかない)。

そうしたホテル内でのエンターテインメント要素としては、例えば何らかのショーやステージを開催したり、お土産コーナーを大規模化したり、あるいはゲームコーナーとカラオケ、それに麻雀室や卓球台といった施設が用意されていることが多い。また特に大規模なホテルになるとボウリング場が設置されていることもある。ここでボウリングというあたりがいかにも昭和といった感じだが、(宿泊客以外にも開かれたボウリング場併設というわけではなく)宿泊客の為だけに設置したボウリング場は維持管理と採算性に問題があるのか、現役で稼働しているホテルは全国規模で見てもさほど多くないようだ。

しかし、かつてワンストップで様々な娯楽を用意すれば評価された時代とは異なり、現在の観光のニーズは様変わりしている。個人客が自由に旅程を組むようになった結果、かつてのようなすべてをカバーするホテルのニーズは確実に減ってきていると言える。あらゆるエンターテインメントをほどほどに内包した幕の内弁当的な趣向は、裏を返せばどれもほどほどでしかないとも言えるのだ。

こうした事情から、大規模ホテルの中には時代の変化に取り残されて破綻してしまったところも多い。一時期の熱海や、現在の鬼怒川温泉の一部などはズラリと巨大ホテルの廃墟が並んでいたことで有名である。

そして仮に破綻を免れていても、こうしたホテルは先の通り「古いイメージ」で「実際設備も古い」のである。明治や大正期に建てられた旅館やホテルであれば「クラシックホテル」やら「歴史を感じる旅館」として持て囃されるというのに、1960~80年代に建てられたホテルは現在は個人客にとっては「単なる老朽化したホテル」でしかない。

もちろんこうしたホテルを格安ホテルとして再生する動きもあり、伊東園系列や大江戸温泉物語系列などの物件には、かつてであれば地場の大規模ホテルだったものも多い。もしお手軽にこうした昭和の観光ホテルを味わいたいのであれば、これらのホテルチェーンは注目に値する。

実のところ、こうした昭和の観光ホテルをピンポイントに探し当てることはあまり容易ではない。というのも、築年数が古いというのは予約サイト上ではマイナスになる上に、上記に挙げたような特定のチェーン以外は独立性が高く「予約サイトでこの条件で探せば昭和の観光ホテルに行き当たる」みたいなピンポイントな条件は存在しないと言ってよいからである。例えばクラシックホテルとかであれば検索条件に指定できるサイトもあるのだが……。

しいて言えばボウリング場があるとか公式サイトで館内図を眺めてみるとかといった方法があるが、それが効率的かというとそうでもない。手当たり次第に探すよりは幾分かマシ、といった程度である。

そして、こうした「昭和の観光ホテル」も、高度経済成長期にイケイケドンドンで拡張して以降更新されていないオールドなタイプと、(それよりは新しい)バブルの頃にこれまた潤沢な資金で建造されて盛大にやらかしてしまったタイプがある。どちらにもその時代なりの味があるが、いずれにせよ現代では設備は古く見劣りがすると評されることが多い。

ちなみに、こうした「昭和の観光ホテル」に注目する切っ掛けとなったのは、数年前友人たちと行った九州旅行のうち一泊に、無理矢理指宿いわさきホテルをねじ込んでもらったことから始まっている。同ホテルは知る人ぞ知るレトロゲームの聖地となっており、特に80年代に一世を風靡したセガ体感ゲームの品揃えが良いことで知られている。
※更に言えば、ホテルのゲーセンに注目したのはこれより前に(同じ友人たちと向かった)北海道のとあるホテルで偶然スペースハリアーのシングルクレードル筐体稼働機を見つけてプレーしたところまで遡る。

ここで「とにかく絨毯敷きだし明かりはシャンデリア的なものが付いている」「お土産コーナーがやたらデカい」「ボウリング場がある(稼働している)」「噴水的なものが屋内に作られている」といった、昭和の観光ホテルを体現する数々の装備を見て感銘を受けたのである。

……えーと、ずいぶん長い前置きになってしまったが、そういうわけで以前から昭和の観光ホテルは非常に気になっていて、その中でも抜群の知名度を誇るハトヤには是非行きたいということで、gotoトラベルのチカラを借りることでハトヤに行ってきたのである。ちなみに理解ある友人二名が同行してくれた。

各々住んでいる場所はバラバラなので伊東駅で集合し、無料の送迎バスでハトヤに向かう。行ったことある人はわかるかもしれないが、駅からは結構離れている上に、小高い丘の上に建っていることから徒歩よりも送迎バスをお勧めする次第だ。

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ハトヤ本館。いわゆる「山の方」である

凝った意匠だが、どこか懐かしさを感じる──言い換えれば昭和のセンスの──正面玄関を仰ぎ見ると、ついにハトヤに来たという実感が沸々と湧いてきた。このカタカナで「ハ ト ヤ」と大書きするセンス、これが求めていたものである(ちなみに夜は赤く光る。満点だ)。

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もっと大規模なところもあるが、増設棟が多い

正面にはホテル全体の空撮写真が置かれているが、見ての通り本館に対して増設棟が多い。手前の六角形のタワーは客室棟だが、下のフロアはホール(宿泊時にはバイキング会場)となっている。この本館とタワーを繋ぐ渡り廊下はハトヤの白眉と言って良いだろう。かつてこのタワーの側面には人口の滝があったようだが、現在は止められている(YouTube等にある過去のCMではこの部分が現役だったころのものもある)。ちなみに実際に宿泊したのは写真ではタワーの右手奥にある建屋であった。つまり夜は光るハトヤ看板を眺めることが出来る。満点だ。

また、CMでおなじみのハトヤ消防隊はこの渡り廊下本館側の付け根の辺りに車庫がある。消防車も健在であった。

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渡り廊下。これを見るためにハトヤに行く価値がある

さて、この渡り廊下、スペーシーというかサイケデリックというか、ともかく独特のセンスでまとめ上げられているが、もはやこのようなものはここにしかないという意味で貴重な建造物である。猫の目状の窓や、腰まで張られた絨毯には、かつての時代の勢いを感じさせられる。

ちなみに夜は一層ムーディーで、スペーストンネルという言葉がふと脳裏を過っていった。そのまま高度経済成長期にタイムスリップしてしまいそうである。

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ベタだけど、やっぱりこの廊下こそがハトヤの象徴だろう

また、こちらの(山側の)ハトヤは温泉の湧出量も豊富なので、温泉ホテルとしても申し分がない。露天風呂や海底温泉といった飛び道具ではサンハトヤ(海側)に分があるが、純粋に温泉としてみたらこちらの方が好ましかった。
ハトヤ宿泊者はサンハトヤにも入浴出来るチケットがもらえる。両者の間は無料の送迎バスで繋がれている。チェックアウト後でも使えるので、今回はチェックアウト後の午前中にサンハトヤに立ち寄ってから帰路についた。

ただし、サンハトヤの海底温泉は思った以上のエンターテインメントでもあった。風呂場の前に巨大水槽があって魚が泳いでるだけでこんなに面白いだなんて、ちょっと悔しいとさえ思ったのは事実だ。というか水槽の前で寿司食ったのがこれまでの水槽の前でした奇行の最長不倒記録だと思ってたけど、水槽の前で風呂入ってるのも全裸だし相当レベル高いよなって思った。
※なお寿司については詳しくはアクアマリンふくしまでググって欲しい。ここでは説明しないが、この寿司もキチンと意図の考えられた展示の一環である。

話を戻すと、宿泊した部屋は時代は感じるものの手入れは行き届いているし、お茶請けとして出されたハトヤサブレでもう心をわしづかみにされてしまった。

なお、ロビーから大浴場までの導線を始めとした主な廊下部分は真っ赤な絨毯敷きになっており、これもまた「一昔前の豪華さ」を感じるポイントであった。明かりは当然電球を多用したシャンデリアである。おそらくどちらも、今ホテルを作ったらこうはならないであろう。

そして建物・温泉と来たら気になるのは食事だろう。今回はせっかくなので夕食・朝食付きのプランを選んでみた。どちらもバイキング形式である。結果から言えば食事に満足はしているが、良くも悪くも「ホテルのバイキング」であり、それ以上でもそれ以下でもなく、想像する範囲内であったということをお伝えしておこう。とはいえそれも、古き良き時代そのままであると好意的に受け取ることは出来るだろうし、事実そう考えている。

また、これは今回特有だが、コロナウィルス対策の絡みでオペレーションにはあちこち不慣れな点があった。……が、この点においてホテル側を責める気にはなれない。客室の用意に時間がかかったり、バイキングにしても本来であればもっと大人数を入れるであろうところを制限しているなどはあったが、本来なら不要な手順があれこれ増えているのだから仕方がない。

しいて言えば、本来ならば夜食として設けられたラーメンコーナーが閉まったままだったのでそれを同行者は残念がっていた。なおほかにバーやカラオケ、麻雀室なんかも縮小営業ということで閉鎖されていた。

さて、こうしてハトヤを満喫してから、一夜明けたらチェックアウトを済ませてそのままサンハトヤに向かい、今度は海底温泉を楽しんでこの旅行はお開きとなった。立ち寄ったのは風呂だけなので、未だに三段逆スライド方式については謎のままである。それにしてもこのような酔狂な旅に付き合ってくれた友人には感謝をしてもしきれない。ありがたいことである。

今回、こうして念願のビッグネームだったハトヤを攻略(?)したわけだが、ハトヤを超えるような大規模観光ホテルはまだまだ存在する。願わくば、そうした場所が営業し続けているうちに一軒でも多く泊まれればと思っているのである。