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無名サイトのつづき

ゲームのじかん

ようやくPS5を買った。GT7をやるためである。

さて、GT7はレースゲームであり、またお手本として「現実」があるタイプのゲームである。現実というのはつまるところ現実の自動車及びそのレースのことであり、基本的にはこれらをどのようにリアルに再現するのかという点に心血が注がれている。もちろんのこのリアルさというのは世代が進むごとに強化されており、リアルなグラフィックと挙動というのが(GT7に限らず)リアル志向レースゲームの売りとなっている。

しかし、そんなリアルなゲームであっても意図的にフィクションを残している部分がある。それが時間である。

どういうことかというと、GT7の世界には少なくとも二つ以上の時間が同時に流れている。一つはラップタイムを司る時間──これは現実世界の時の刻みと同じである──そしてもう一つは「ゲーム内で流れているであろう時間」である。これは現実世界の時の刻みとは非同期なものである。といっても、これがどういうことなのか未プレーの人には分かりづらいかもしれない。

……このゲームは先に述べた通りリアルさを追求している。このため、車の内装は細部に至るまで再現されており、計器類に至っては実際にゲーム画面の中でも作動する。

記憶が確かならば、前作たるGT SPORTではゲーム内で作動する計器類は走行に必要な計器……いわゆるメーター内のみで、その他の(実車では可変する)部分はハメ殺しの固定になっていた気がするが、今作ではメーター内以外も可変する場合がある。その一つが一部の車に付いているコンソール内の時計である。

そしてこの時計こそが現実とは非同期で、なおかつゲーム中のラップタイムとも非同期で動作するのだ。

……例えば、一周するのに一分かかるサーキットがあったとしよう。ラップタイムが一分だとすると、基本的には現実世界でも一分経過しているということになる。すなわちゲーム内時間と現実の時間はイコールである。

しかし、この時注意深くインパネの時計を見てみると、ゲーム内の時計は一周した頃には五分進んだりしている。つまり、ゲーム内の時計で示される時間というのは現実とも、あるいはゲーム内でラップを刻む時間とも異なるのである。GT7の中では時間A(ラップタイムを刻む時間・現実と同じ)と時間B(ゲーム内の計器で表現される時間・現実よりもかなり早い)が同時に並立しているのだ。

といっても、これはゲームを成立させる為に意図的に仕込まれたウソの一つである。

現実の自動車レースは何周もの周回を要し、ゴールまで数時間かかるものもある。だがゲームとして考えた時に、この数時間というのは(イコール実時間の為)プレーヤーの拘束時間としてヘビー過ぎる。過去のGTシリーズにはリアル24時間耐久(本当に24時間走り続けないと終わらない)という高橋名人がキレそうなゲームモードが存在したが、さすがに現在はそのようなものも無くなっている。

となると、リアルにプレーヤーを拘束出来るのはだいたい一ゲームで数周(数分~数十分程度)となる。この短い間にプレーヤーにゲーム内で変化を感じさせるためにも、燃料やタイヤは現実的な速度の数倍で消耗していく(これはレース前に倍率が表示される)し、天候は目まぐるしく変わり、空の色もコースを半周しただけで変わっていく。数周(リアルでの数分)の間に、現実であれば数十分~数時間分かかる変化を圧縮して体験させているのである。これがつまり時間Bの正体でもあるわけだ。

そしてこのような「二重あるいはそれ以上の時間」は他のゲームでも良く起きている。例えばRPGで「明日になると捕まった仲間が処刑されてしまうのでそれまでに助けだそう」みたいなイベントがあったとしよう。このとき、実際に時間が進むのは特定のフラグを立てた時だけで、それまでは何度フィールドで朝を迎えようが、宿屋に泊まろうが時が進むことはない。つまり時間の流れは同時に複数存在しているのである。

このようなゲームにおける複数の時間の流れに関しては、既に優れた考察が存在する。

murashit.hateblo.jp

では、何故このような先行研究があるというのにわざわざGT7の時の流れについて取り上げたのかだが、これはレースゲームが(その他のゲームよりも明確に)時間に支配されるゲームだからである。

つまるところレースゲームというのは、現実のカーレースがそうであるように誰よりも速いタイムで走るのが是のゲームなのだ。ラップタイムという現実とほぼイコールの時間、これがレースゲームにおける絶対の存在である。そして他のジャンルではここまで実時間とゲーム内時間がニアリーイコールではない。

しかしそのタイムを司る時間とは別の時間もゲーム内には存在し、そしてみんな分かっていて知らんぷりしている。

これこそまさにゲーム特有の時間の扱い方であり、そこが面白いのだ。