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無名サイトのつづき

名前をつけてやる

名前は大事だ。

何故大事かというと、名前が付くことによって人々の間である概念や物事について認識し、共通の議題に載せることが出来るからである。

そう、この世の中には実は名前のないもので溢れている。たとえば読者の皆様も、胸に抱いた感情が既存の言葉──つまり、一種の名前でありラベル──で表せそうで表せず、どれも微妙にニュアンスが異なるせいで、他人に上手く伝えられずになんとも言えない気持ちになったことはないだろうか。

それだけに、気の利いた名前を付ける人、抽象的な概念やものごとを定義出来る人というのは重宝がられているように思える。

多くの人々の共通意識としてなんとなく共有されているものの、それを語りうる言葉がない為に見逃されてきたものたち──それらに名前を付けた途端、世界が広がったという例は過去いくつも存在している。

近年だとそれを最も感じたのは「町中華」という概念を知った時である。

ja.wikipedia.org

なるほどたしかに、非チェーン店の、どこにでもあるようで、その実それら同士ににはなんの繋がりもなく独立して、各地に根ざして愛されている……そんな料理店を総称する言葉というのはこれまでに存在しなかった。

そもそも「中華料理店」という言葉のカバー範囲もあまりにも広い。その言葉だけではそれこそ中華街にあるような高級店から、ニューカマーによる現地直輸入的なネイティブ店までカバーしてしまう(これは近年ではいわゆる「ガチ中華」と呼ばれている)。こうしてみると、町中華という言葉はそれら広大な中華料理店の枠の中から、ある種の属性を持つ店舗のことを明確に切り分けることに成功しているといえる。

そして皆の頭の中にふんわりと存在していた概念に「町中華」という名前が付いた瞬間、恐ろしいほどの化学反応が起きた。これまでこうした店を他人に紹介する時は「行きつけの古くからあるひなびた中華料理店」みたいなうすぼんやりした説明だったのが、今となっては町中華の三文字だけで通じるのだ。

そしてこの名前、店では無く客が言い出したことなので、そのニュアンスというか使い方は客側に任されている。ただしこの概念はこれまでに名前が付いていなかっただけで多くの人の頭の中にはすでに存在したため、町中華という明確なラベルが定まった結果、町中華の名の元に様々な名店情報が寄せられることにもなった。まさに名前が付いた効用だろう。そしてその振れ幅も、ある程度皆の納得のいく範囲に収まっているようだ。

さて、この町中華という概念、そうは言っても明確な定義はなく提唱者自身も明確な定義や規定は存在しないというスタンスを取っている。とはいえある程度指針というか傾向的なものはあるようで、先のWikipedia等に引用されている中では『昔から続いている町の中華料理店』『個人営業やのれん分けでやっている店』『昭和以前に開業』『1000円以内で満腹』『多様なメニュー』『マニュアルがない』『店主が個性的』といった傾向が挙げられている。

しかし、名前が付くということは、人々に共通認識が生まれると同時に、その言葉が言霊となり、いつしか一人歩きを始めるということでもある。そして町中華という言葉はあまりにも人々のかゆいところに手が届きすぎてしまった。結果として、一種のバズワード的な流行り方も起こしてしまった。

そして最近、その極北とも言える現象を見かけた。都内のある繁華街を歩いていたら、新しい飲食店がオープンしているのに気が付いた。オープンしたてなのかピカピカである。

そして看板には大きく朱書きでこうあったのだ町中華と。

そう、町中華というのはどこかの店が自分から名乗りだしたというものではなく、あくまでも皆の頭の片隅にあった概念を満たした店のこと客側が勝手にそう呼んでいた、そういうムーブメントだったというのに、いつしか店が自分から名乗るようになってしまったのだ。しかもこの「自称町中華」は、考えれば考えるほど町中華の概念に真っ向から対立している。バリバリの繁華街に、新店舗で、しかもチェーン(同じ屋号を掲げる別の店舗も確認している)なのである。要素を並べていくと、むしろ存在がアンチ町中華なのだ。

ちなみに軽く調べてみたところ、日高屋の系列だそうだ。流石に恥知らずだと思ったのか屋号に町中華の文字はないが、看板で最も目立つのは店名よりも朱書きの町中華の文字である。

かくして、概念に名前が付いたことによって……そしてその名前が人々にとって使い勝手が良すぎたせいで、いつしかこの名前は本来持っていたニュアンスから離れていってしまった。

これこそが名前が名付け親を離れ、一般大衆にまで普及した証拠なのかもしれない。だが、一方でその離れた姿を見る度に心の奥が疼き出すというのもまた確かなのである。

誰かこの胸の痛みに対して、気の利いた名前を付けてくれないだろうか。

フジヤマ

突然思い立って富士山に登ってきた。

文書にするとなんと一行で終わってしまうのだが、それではこのブログが続かないので一体どうしてそんなことになったのかについてもう少し詳しく述べていきたい。

前回の記事でも述べたのだが、趣味としての登山というのは実のところちっとも理解が出来ない。わざわざ貴重な時間とカネ払って疲れに行く行為は他にも沢山あるが、高いところに登るのはその中でもかなり大変だからである。

前回はそれでも温泉という大義名分があったが、今回はそれもない。ただ富士山に登るだけである。ではなんで富士山なのかというと、まぁ単純に一番有名で一番高い山だ(しかし一番難しい山というわけではない)からである。

「一番難しいわけではない」というところが重要で、つまり登山の初心者ですらない身で難しい山なんかに行ったら途中で落ちるか道に迷うか、それとも熊に襲われるか。いずれにしろワンチャン死まであるので、それはいかにもおっかない。

この点、富士山というのは多くの人が目指すことからそもそもの登山者も多く、やや誇張された伝説(?)が存在したり、山としては難易度が低いという意見も多々耳にする。半袖短パンサンダルで登ってきた外人がいるだの、小学生や老人でも登れる山だの、あれは山では無く単なる坂道だから山としては認めないなんて言い方もどこかで見た気がする。おそらくそれらは事実なのだろう。

一方で、そうであっても山は山であるし、単に標高だけを取ってみれば日本にはこれより高い山も他にないわけで、これら軽視気味の話とは反対に山を舐めるなという意見も数多く目にする(当たり前だが、基本的には全ての富士登山ガイドが山を舐めるなという筆致で書かれている)。

つまり評価が両極端というか、有名な割には人々の言ってることが違っていて、よく分からんのが富士登山なのである。

なので、いっぺん行ってみようと思ったのだ。日本人であれば一生に一度は登るべきといった意見も目にするし、登山という行為を全く理解出来ない身でも富士山まで登ってみれば何かしら分かることもあるだろう。もちろん先に述べた通り富士山は「山」としてはひょっとしたらイージーモード程度の存在なのかもしれないが、それでも日本の最高峰であり、イージーモードでエンディングを見たくらいの実績にはなるだろう。

というわけで、思い立ったタイミングが9月の始め。

このタイミングというのも実は重要である。というのも、富士山は登山者の多さもあって通常はマイカーで登山口まで行くことが制限されている(マイカー規制)。一部の登山口は開山期間を通してずっとマイカー規制が敷かれているが、時期に応じて規制が解除されるところもある。そしてマイカーが使えれば時間の使い方もかなり自由になる。ただし、2022年においてはマイカー規制の解除から閉山までは週末1.5回(土日一回+その次の土曜日)分しかない。今回はこの少ないチャンスに狙いを定めることとした。

さて、会社勤めの身ではこの土日でまとめることが求められるわけで、こうなるとあまり悠長なことはしていられない。よって山小屋に泊まったり、ご来光を拝んだりといった富士定番アクティビティについてはスッパリ諦めることにした。

タイムスケジュールはこうである。金曜日の夜に荷物をまとめてマイカー規制が解除されている登山口の駐車場までたどり着き、車の中で仮眠を取る(高度に対する順応の意味もある)。登りコースタイム6時間を信じて朝方にスタートし、明るいうちに頂上までたどり着く。そして日が暮れる前に駐車場まで降りてくるという作戦である。使える時間としては概ね12時間くらいだろうか。日帰りではあるが、高度順応なしで夜通し歩くいわゆる弾丸登山ではなく、ひたすら朝から昼歩くということになる(必然的にご来光は見られない)。

正直なところ、いくら整備されていて人も沢山居るとはいえ、夜も明けていない山に挑むというのは気が引ける。そういう意味ではずっと明るいうちに歩いた方が気も楽だろうという話だ。

かくして、天気が大きくは崩れなさそうという予報を確認して9月第一週の週末に決行することとした。心の中にいる山を舐めるなおじさんが山を舐めるなと囁いていたので、服装や装備はきちんと登山用のものを選定した。

で、夜も明けないうちから須走口五合目駐車場に潜り込むと、やはり残り少ないチャンスとあって皆同じ事を考えているのか駐車場はほとんど満車だった。夜から登り始めるご来光狙いの登山者も多いようだったが、まずはゆっくり寝ることとした。徹夜状態でアタック出来るほど体力に自信があるというわけでもないのだし。

……AM6:00頃、起床。簡単に荷物をまとめて、いよいよアタック開始である。

さて、こうして富士山に登った今になってみると、先の怪しい伝説や噂話は本当だったし富士登山が登山の中ではイージーモードだという言われ方をする理由も良く分かった。しかしイージーモードであっても一応ラスボスに相応しい程度の歯ごたえはあった……というのが率直な感想である。

まずそもそも人が多い。そして人が多いことを前提に各ルートが組まれているため、登山道はだいたい幅が広いし足下の状況も良い。案内はしっかりしていて道の痕跡とテープを探し回る必要もほとんどない。そもそも他の人が歩いている方に行けばいいのだ。これらの人の多さは当然施設にも反映されており、適宜山小屋が配置されている。利用はしなかったが食事や給水、休憩やトイレといった問題はほぼこれらで解決することが出来る。つまり総じてよく整備されている。

そうした場所なので、ある程度体力に覚えのある人はTシャツに短パンでも登れてしまう。流石に足下は登山靴の方が安全なのは確かだが、スニーカーくらいであればおそらく登頂出来てしまうだろう。

また、小学生や高齢者が登れる山だというのも事実で、実際にそういう人達をたくさん見たので間違いない。上記の通り登山道はしっかりしているので、一定の体力があればなんとかなるだろう。

「山では無くただの坂道」という発言は、この足下の良さを揶揄した言葉なのだろう。本格的な登山はしたことはないが、赤湯温泉への道程では道の痕跡がまばらなところもあれば、ほとんど崖なのではみたいなところを恐る恐る歩いた記憶もある。時に道の形を見失いテープを見回したこともあった(これは経験不足起因でもある)。それに比べれば道がしっかりしていてただひたすらに登るだけなので、登山を構成する要素として道が良すぎて物足りないという人はおそらく存在するのだろう。

では、富士登山というのは楽だったのか? と聞かれるかもしれないが、これに関しては楽なわけではなくイージーモードでもボスはボスである。

なんせ結局頂上付近に着いたのはコースタイムをだいぶ超過して15時頃(9時間弱)だったのだ。八合目辺りまではそれなりにいいペースを維持していたのだが、そこから先、頂上は見えているのにちっとも進まないあたりでやや心が折れかけて、休み休みでダラダラ登っていたのでずいぶん長く掛かってしまった。これもあってお鉢巡りはしていないし、剣が峰にも行っていないので完全登頂かというとやや怪しさもあるのだが、とりあえず上には登ったので登頂ということにして欲しい。

いくら道が良くて、設備が整っていて、周囲に人が沢山居て、よほどのことが無い限り危険を感じない恵まれ環境とはいっても、そこは高度3,000m以上の高地である。おまけに登り始めで霧雨だった天気は時にしっかり雨になったり、そうかと思えば雲を越えるとずっと太陽が降り注ぐので翌日以降日焼けに悩まされたり(迂闊にも日焼けするという考え自体なかった)と、高い山なりの洗礼は確かに存在した。

幸いにして怪我等はなく、足の痛みもすぐに引いたのだが、これを書いている今も爪には内出血の跡があるのでそれなりに身体も酷使したようだ。

さて、こうして苦労して登ったはいいが、やることはというと特になく、しいて言えば童謡にあるように富士山の上でおにぎりを食べる実績を解除したくらいである。一年生からはだいぶ経ってしまったし、友達が百人出来ることもなかったが、それはそうと生きていれば富士山の上でおにぎりを食べることは出来る。そのくらいしかないとも言う。

実際、そのくらいしかないのだ。

先に述べた人の多さから、富士山は登山道の主要区間で携帯電話が通じ、もちろん山頂でもTwitterを見たりSMSを送ることが出来る。日本一高い場所でTwitterが出来る幸せを噛み締めながら百人よりはだいぶ少ないリアル友人にリプライを投げていたら、もうやることがなくなってしまった。そして、15時過ぎに到達という歩みの遅さを考えてもこれ以上ここにいるわけにもいかない。ヘッドランプ等は持っているし最悪山小屋等で休むことも出来るのだが、当初の予定と自身のスキルからすれば明るいうちに下山するのがスジだろう。

というわけで、達成感に満ちあふれるはずだった山頂での時間は麓のコンビニで買っておいたタラコおにぎりとTwitterで浪費されてしまった。良くも悪くもあとは帰るだけなのだ。

ところで駐車場(約2,000m)から山頂(約3,700m)まで登ってきたということは、つまり同じだけ降りなければ帰れないということでもある。流石に登るよりはだいぶ早かったがそれでも数時間はかかるもので、17:30過ぎまでかかって駐車場に着き富士登山は無事終了した(最終的には概ね当初の計画通りということになる)。

さて、結局登山の何が楽しいのかは未だに分からない。

しかし、少なくともイージーモードはクリアしたのだし、今後は胸を張って登山の何が楽しいのか分からないと言えそうである。それだけでも価値はあったと言えよう。

ハードコア温泉道 新潟赤湯温泉編

まさかのハードコア温泉道の続編である。前回はこちら(なんと2015年の記事である)。

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前回は海岸線にポツンと存在する無人の野湯が舞台であり、これをもってハードコア温泉であると考え、そのように題した。では今回向かった赤湯温泉というのはどの辺りがハードコア温泉なのか。

それは、この温泉が奥深い山の中にあり、温泉に入る為には徒歩で数時間の山登りをしなくてはならないことと、そういった立地もありGW~秋口までしか営業していないことが理由である。このハードルの高さはまさしくハードコア温泉と言って良いだろう。

さて、前回は飛行機のマイルの期限切れが旅行の切っ掛けだったが、今回も似たような切っ掛けであった。JR東日本のキャンペーンで新幹線が通常の半分程度のポイントで乗れるということで、なんとなく新幹線で何処かに行ってみようと思ったのがそもそもの始まりである。

しかし、ここでふと考えた。いくら往復の新幹線が格安でもその先からレンタカーを借りるようでは結局のところお得感は少ない。というわけで、なるべく車を使わない目的地はないか考え、その結果として辿り着いたのが赤湯温泉であった。実を言うと以前から存在は知っており「いつか行ってみたいリスト」にも入っていたのだが、そのあまりのアクセスの悪さにこれまで真剣に検討されることはなかったのだ。

というわけで、早速新幹線のキャンペーン期間中の週末である6/11~12の一泊にて新幹線の手配と宿への予約を済ませた。宿とはいうものの、実際のところは(温泉のある)山小屋であるらしく、予約時の諸注意も完全に登山者に対するそれであった。ちなみにこの時点では、うかつにも梅雨入りのことは全く考えていなかった。

そうこうしているうちに前日となり(この間に無事新潟も梅雨入りし)、曇りのち雨の予報に怯えながら大慌てで深夜までクローゼットを引っかき回しては雨具を揃え、なんとか荷物をまとめ上げるとほぼ始発の新幹線の為に床に着いた。

──そして、寝過ごした。

早速の失態である。ただ新幹線なので特典乗車券とはいえ後続便の自由席であれば乗車の権利自体は失われていない。当初起きるはずだった時間からは2時間程度ズレていたが、今からでも電車に飛び乗れば日没前に宿には着けるタイミングであった。ほんの少しリスキーだが、かといってこの機を逃しては次の機会など訪れそうにない。覚悟を決めると電車に飛び乗った。

行きの新幹線は東京から出発なので、実のところ乗り逃しての自由席でもなんら問題はない。コンセントも付いているのでそれで十分である。

かくして、越後湯沢まで新幹線、その先はバスに揺られること40分弱で(当初の予定から遅れること2時間程度ではあるが)元橋バス停、更には登山口へと到達した。いざここから4時間の旅路である。

……で、歩いている最中は4時間もあるため様々なことを考えていたのだが、実際のところこうして帰ってきてみると何考えて歩いてたのかあんまり覚えていない。辛く厳しい徒歩行だったのは確かなのだが。

さて、こうして登山してまで温泉に行っていると傍目にはアウトドア大好きな人みたいに見えてしまうかもしれないが、実際のところアウトドアは嫌いである。そもそも登山やソロキャンプといったアウトドア趣味には限界独身男性の趣味としてのひとつの到達点みたいな印象があり、安易にそこに向かうことについてはずっと抗い続けている。

※もちろん、周囲の知り合いを見る限りアウトドア好きが結婚できない限界独身男性ばかりというわけではない。むしろちゃんと結婚している者も多い。ただ、限界独身男性というマイナスステータス持ちが、仲間や友人といった他人の存在を前提とせず、ただ一人だけであっても楽しむことが可能という点において、アウトドアは他の趣味よりも限界独身男性との親和性が高いと言えるのは間違いないだろう。

登山趣味の人は登山がしたいから山に登るのだろうが、別にこちらは山に登りたいわけではない。ただちょっと変わった温泉に入りたい──それだけなのに、道路がないから歩いて行くのである。登山はあくまでも結果であってそれが目的ではない。それだけなのだ。

……ただし、先に述べた通り道路がなく行きづらいからこそ目的地に選んだわけで、この考えは循環参照を起こしているのかもしれない。

ちなみに道中で心配だった雨は木々が遮る為か意外にも気にならずに済んだ。むしろ汗かきなので流れ落ちる汗の方がひたすらに鬱陶しかった。あとは登山道もぬかるんでいたり滑りやすかったり、途中崩れた箇所や倒木等も存在したが、なんとか淡々と歩き続けた。

そういえば、林道のゲートを越えてからもしばらくは林道が続いていたのだが、徒歩を前提とした道路と自動車通行を前提とした林道の規格の違いには改めて驚かされた。当たり前だが自動車が通れるくらいに幅があり、自動車が通れるくらいにフラットなのだから未舗装路といえども登山道との整備の差は歴然であり、歩きやすさも格段に違う。

前回の本格的な登山(的なもの)はGOTOの補助があった頃に一念発起して屋久島に行き、縄文杉を見に行った時まで遡るのだが、あれもまた距離自体は長いものの林鉄という高低差に敏感な路盤が元となった区間が大半を占めるため、その区間は比較的快適に踏破することが出来たのを思い出した。

一方の登山道となると、人間の機動力を過大に見積もっているためとても苦手である。そもそもそういうのを踏破出来る連中が来る前提になっているのだし。

……まぁ、こうした苦労もおそらく人並みに登山を嗜める人からすれば何を言ってるんだコイツはと思われるんだろうなと思いつつ、息を切らせながら歩き続けること四時間弱、なんとかほぼコースタイム通りの15時前に赤湯温泉に到着することが出来た。当たり前だが、周りの客はみんな登山趣味者っぽい雰囲気である。


左側が母屋で右側が別館。今回は母屋泊

見ての通り山小屋であり、川の側に張り付くように建っている。この川沿いに三つの露天風呂がある。ちなみに宿泊費は一泊二食付きで9,000円。

早速汗を流しに温泉に浸かる。

温泉は先程通ってきた登山道の脇に点在しており、一旦宿に荷物を置いてから向かうことになる。源泉は三種類あるが時間で入れ替え制となっている。先に入った玉子の湯・薬師の湯については硫黄の匂いの強い茶褐色の温泉であり、いかにも温泉に来たという感じを味わえる。特にメインの露天風呂である玉子の湯はすぐ側を清流が流れていて、川の音を聞きながらの入浴となる。ここまでに十分すぎるくらいに疲れていたということもあり、小一時間ほどゆっくりと浸かって疲れを癒やすこととした。

……というか、ここまで来るとそれくらいしかすることがない(※もちろん携帯電話は通じない。また電気も来ておらず館内は各部屋にランプが配られる)。

そんなわけで、まだ日のある18時には早々に夕飯というのもかえってありがたかった。山小屋なので豪勢な山海の幸が……というわけにはいかないが、屋根の下で素朴ながらも温かいものが食べられるというだけでも上等である。なんせここは四時間歩いた先の山の中、電気も携帯の電波も届かない場所なのだ(ただし、温泉があるのはもちろん川もあることから清水にも恵まれており、そういう意味では他の山小屋よりも恵まれていると言えるだろう)。

夕飯後には入れ替えになった青湯(こちらは源泉が異なりその名の通り透明度が高い)に入ることで風呂は三種類コンプリートとなった。まだ外は若干明るかったのでこのまま夜の露天風呂というのも乙なモノかと思ったが、曇り空からすると星は期待できないし、暗くなるのを待ってまで入るほどのものでもなさそうだ。結局早めに寝ることにした。

……が、川沿いという立地もあり、更にはぐずついた天気のせいなのか渓声はなかなかにやかましく、深い眠りに着けないまま気が付いたら真夜中に完全に目が覚めてしまった。

仕方なく、もうひとっ風呂浴びることにしてヘッドランプを取り出し忍び足で三度露天風呂へ向かう。外は雨がパラついていたが、ずぶ濡れになるほどではない。ヘッドランプで上手く照らしながら湯船に浸かる。

当然ながら、誰も居ない。

本来であれば満天の星空に期待も出来るのだろうが、あいにくの空模様である。適度に涼しいのはいいのだが、一方で聞こえるのはただ川の流れる音(それもそこそこ激しい)のみ。お湯自体は心地良いのだが、大自然の中に全裸でただ一人取り残されたような状況はなんとなく居心地が悪い。

なんせ、明かりはヘッドランプのみである(宿の方は既にこの時間は自家発電も切れ、各部屋のランプだけが灯りとなっているし、当然露天風呂には灯りはない)。流石にここまでワイルドだと気持ちよさよりもそういう不安の方が先に立つモノなのだなと感じつつ、身体も温まったところで切り上げると再び布団に入った。今度は無事に朝まで寝ることが出来た。

そして、明けてしまえば早い。起きたら朝食を頂き、昨日とは打って変わって早めに発つことにした。相変わらず雨はパラついていたし、昨日の疲れも蓄積しているからか、かえって行きよりも時間が掛かったが、それでも息を切らせながら四時間程度で再度下界に戻ってくることが出来た。前日の雨のせいか数度すっ転んだが、幸いにして怪我はせずに済んだ。

こうして改めて書き出してみると、やはり赤湯温泉はその立地も相まって、間違いなくハードコアな温泉地の一つであろう。しかし、その苦労をしてまで行ってみる価値もある……そう感じたのもまた確かである。

もちろんこの感想は、無事帰って来て苦労を半ば忘れつつある(もしくは強制的に良い思い出だったということにしようという力が働いている)頃に書かれているのだが!

ゲームのじかん

ようやくPS5を買った。GT7をやるためである。

さて、GT7はレースゲームであり、またお手本として「現実」があるタイプのゲームである。現実というのはつまるところ現実の自動車及びそのレースのことであり、基本的にはこれらをどのようにリアルに再現するのかという点に心血が注がれている。もちろんのこのリアルさというのは世代が進むごとに強化されており、リアルなグラフィックと挙動というのが(GT7に限らず)リアル志向レースゲームの売りとなっている。

しかし、そんなリアルなゲームであっても意図的にフィクションを残している部分がある。それが時間である。

どういうことかというと、GT7の世界には少なくとも二つ以上の時間が同時に流れている。一つはラップタイムを司る時間──これは現実世界の時の刻みと同じである──そしてもう一つは「ゲーム内で流れているであろう時間」である。これは現実世界の時の刻みとは非同期なものである。といっても、これがどういうことなのか未プレーの人には分かりづらいかもしれない。

……このゲームは先に述べた通りリアルさを追求している。このため、車の内装は細部に至るまで再現されており、計器類に至っては実際にゲーム画面の中でも作動する。

記憶が確かならば、前作たるGT SPORTではゲーム内で作動する計器類は走行に必要な計器……いわゆるメーター内のみで、その他の(実車では可変する)部分はハメ殺しの固定になっていた気がするが、今作ではメーター内以外も可変する場合がある。その一つが一部の車に付いているコンソール内の時計である。

そしてこの時計こそが現実とは非同期で、なおかつゲーム中のラップタイムとも非同期で動作するのだ。

……例えば、一周するのに一分かかるサーキットがあったとしよう。ラップタイムが一分だとすると、基本的には現実世界でも一分経過しているということになる。すなわちゲーム内時間と現実の時間はイコールである。

しかし、この時注意深くインパネの時計を見てみると、ゲーム内の時計は一周した頃には五分進んだりしている。つまり、ゲーム内の時計で示される時間というのは現実とも、あるいはゲーム内でラップを刻む時間とも異なるのである。GT7の中では時間A(ラップタイムを刻む時間・現実と同じ)と時間B(ゲーム内の計器で表現される時間・現実よりもかなり早い)が同時に並立しているのだ。

といっても、これはゲームを成立させる為に意図的に仕込まれたウソの一つである。

現実の自動車レースは何周もの周回を要し、ゴールまで数時間かかるものもある。だがゲームとして考えた時に、この数時間というのは(イコール実時間の為)プレーヤーの拘束時間としてヘビー過ぎる。過去のGTシリーズにはリアル24時間耐久(本当に24時間走り続けないと終わらない)という高橋名人がキレそうなゲームモードが存在したが、さすがに現在はそのようなものも無くなっている。

となると、リアルにプレーヤーを拘束出来るのはだいたい一ゲームで数周(数分~数十分程度)となる。この短い間にプレーヤーにゲーム内で変化を感じさせるためにも、燃料やタイヤは現実的な速度の数倍で消耗していく(これはレース前に倍率が表示される)し、天候は目まぐるしく変わり、空の色もコースを半周しただけで変わっていく。数周(リアルでの数分)の間に、現実であれば数十分~数時間分かかる変化を圧縮して体験させているのである。これがつまり時間Bの正体でもあるわけだ。

そしてこのような「二重あるいはそれ以上の時間」は他のゲームでも良く起きている。例えばRPGで「明日になると捕まった仲間が処刑されてしまうのでそれまでに助けだそう」みたいなイベントがあったとしよう。このとき、実際に時間が進むのは特定のフラグを立てた時だけで、それまでは何度フィールドで朝を迎えようが、宿屋に泊まろうが時が進むことはない。つまり時間の流れは同時に複数存在しているのである。

このようなゲームにおける複数の時間の流れに関しては、既に優れた考察が存在する。

murashit.hateblo.jp

では、何故このような先行研究があるというのにわざわざGT7の時の流れについて取り上げたのかだが、これはレースゲームが(その他のゲームよりも明確に)時間に支配されるゲームだからである。

つまるところレースゲームというのは、現実のカーレースがそうであるように誰よりも速いタイムで走るのが是のゲームなのだ。ラップタイムという現実とほぼイコールの時間、これがレースゲームにおける絶対の存在である。そして他のジャンルではここまで実時間とゲーム内時間がニアリーイコールではない。

しかしそのタイムを司る時間とは別の時間もゲーム内には存在し、そしてみんな分かっていて知らんぷりしている。

これこそまさにゲーム特有の時間の扱い方であり、そこが面白いのだ。

電動キックボードを考える(4) 電動キックボードに乗ってみよう・走行編2とまとめ

これまで三回に渡って連載してきた電動キックボード乗車記であるが、一応今回で完結となる。過去記事については下記の通りである。

seek.hatenadiary.jp

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さて、笹塚のステーションに電動キックボードを返し終えてから、しばらくの間どうしようか考え込んでしまった。本来ならばここからもう一度出発し都市間移動という用途を実証する……つもりだった。

ここで足が止まった理由はいくつかある。

一つは、自転車のように漕がなくてもいいとはいえ、立ちっぱなしでの移動は意外に疲労感があること。そしてもう一つは、思ったよりもお金がかかることである。

今回のルートのうち、渋谷→笹塚は電車こそ直接的なものがないが、実際のところバスは運行しておりそちらを使えば210円・40分弱で移動可能であった。一方で、電動キックボードで移動した際にかかったコストは(初回特別割引500円適用前で)785円・利用時間50分弱というものだった。実際は500円割引きされたので285円で済んだのだが、ここから練馬を目指して他のステーションに返す場合……少なくともこの倍はかかる事が予想された。

結局、せっかくここまで来たしいろいろな準備もしたのだからと思い以降の予定も進めたのだが、当初考えていた途中で中野に立ち寄る行程は省かれることとなった。

また、本来であれば笹塚から練馬は環七を北上するのが最も自然なのだが、先の記事で触れたように交通量の多い一部道路は通行禁止(手押し移動指定)エリアとなっており、環七は通ることが出来ない。このため、一本ズレた細い道を通ったりしている(もちろん車通りの少ない方が乗る側としても気が楽である)。

さて、こうしてまた小一時間乗車してエリアの端である練馬に到着してエリア端でのアプリの挙動を確かめたあと、折り返して最寄りのステーションである高田馬場駅前を目指し始めたのだが、やはり15km/h制限はさまざまなシーンで気になった。

例えば、都内の自転車レーンのある道路などを走った場合の状況と速度は次のようになる。一番左側の青色自転車レーンに電動アシスト自転車ロードバイク(20~30km/h)、そのすぐ横の車道左端に電動キックボード(15km/h)、そして車道に自動車(40~60km/h)である。この左右からのサンドイッチは生きた心地がしない。

……実はLUUPにおいては特例としてこの自転車レーン上を走行してもいいらしいのだが、当初はこちらが原付相当(小型特殊)のナンバー付き自走車両であることから車道側を走行するものと思い込んでおり、自転車レーンを空けて走行していたために発生した悲劇であった。なお現状LUUPではない電動キックボードにおいては原付登録の為、この自転車レーンを走ることは出来ない(ああややこしい……)。

また、LUUPの電動キックボードは現状二段階右折禁止である。このため登録時に案内されるマニュアルでは「小回り右折をしろ」という指示があった。ただ、ネット上では「本当にこの性能で小回り右折など可能なのか」と訝しがる声も多く、同様の懸念は乗車前から持っていた。

なので、今回の乗車時は当初のマニュアルの指示通り可能な限り小回り右折を試してみたが、出来るか出来ないかで言うと出来るし出来た。だが、正直言うとなるべくやりたくない──というか、右折以前に無理がある──と感じた。

何が無理かというと、小回り右折以前に右折レーンのある一番右の車線までたどり着くことがそもそも困難なのである。今回はたまたま休日ということもあって交通の流れはそれほど激しくもなく、後方の安全に気を遣いながらであれば車線を変更することが出来たが、交通量の多い時や夜間にやれる自信は正直ない。

それぞれの車線が40~60kmで流れている中で最高時速15km/hの乗り物で車線を移動しなくてはならないのである。そして小回り右折云々というのはこの無理ゲーをこなした後に初めて出てくる話である。前提からしてもう無理なのだ。

そもそも車側は(電動キックボードよりも遙かに動力性能がマシな)原付一種やロードバイクですら人によっては交通の流れを乱していると感じて苛ついている(実際にネット上にはそれらに対するヘイトを隠さない者も多い)。そこへそれらよりも遙かに性能の低い電動キックボードが現れたのだから……これ以上考えたくはない。

で、LUUPとしては現実的に(?)マニュアルを改訂し、現在FAQでは右折レーンの使用ではなく横断歩道の使用を勧めている。とはいえこれも明確にエンジンを切ることの出来ないこの電動キックボードは果たして手押しであれば横断歩道を走って良いんだろうかという疑問も出てくる(良いらしいが)。この辺りも正直自転車的なものとして扱うのか原付として扱うのかも微妙な現状では何が正しいのか直感的には分かりづらく、利用者としてもおっかないというのが正直なところである。

まぁ、百歩譲って横断歩道を利用することで右折レーンを使わなくて済むなら車線変更もせずに済むのだし、もうそれで良いではないかという声もあるかもしれない。

しかし実のところこれは何の解決にもなっていない。

なぜなら、都内の道路を走る限り、左車線の駐車車両を避けたりするシーンは多々あるし、例えば三車線で左から「左折・直進・右折」となっているレーンで直進したい場合は、否応なしに中央車線を走らざるを得ないのである。車道に居る限り、車線変更は好むと好まざるとに関わらず要求されることになるのだ──先の通り、15km/hで。

そう、右折レーンに対する問題というのは実のところ分かりやすい。実際に原付一種であれば二段階右折が、今回のような電動キックボードであれば手押しでの横断歩道の利用を推奨することが出来るからである。しかし「(速度差がありすぎて車線変更もままならず)直進が出来ない」というところまで行くと、そもそもこれは移動手段としてどうなんだという話になるのである。左端車線が直進不可の左折レーン続きだったらそこから出れなくなり、永遠に左折をし続ける事になるのだろうか? そのうちぐるぐる回ってバターにでもなるのだろうか?

とはいえ、幸いにして今回数時間走った中では車線を変更する際にヒヤリとするようなシーンはなかった。電動キックボードの物珍しさもあってかどのドライバーも十分な安全マージンを取り配慮してくれたと感じている。しかしこれらの問題から、やはり無理があるというのが結論である。

また、15km/hという速度は移動手段としての魅力も貶めている。というのも、15km/hというのは一時間ひたすら走り続けても最大で15kmしか移動出来ないということになる。実際、笹塚→練馬→高田馬場と移動した際には、トータル17kmの移動に(途中多少カメラ屋を見るなどしたものの)1時間45分ほどかかっている。

この間ほぼ乗りっぱなしでこれである。道中で電動アシスト自転車に抜かされる度に「実はあっちのが速くて安いのでは?」という疑念が消えることはなかった。

そして速度が出なくて時間が掛かるということは(時間貸しの為)当然コストもかかる。上記1時間45分のライドによってかかった費用は1,640円と、都バスの運賃(210円)やシェアサイクル(渋谷区シェアサイクルの場合、1650円で24時間借りられるそうだ)と比較しても安いとは言い難い。もちろん電動キックボードには移動の自由度があるが、この価格に見合うかというとまったくそうは思わない。となると都市間移動の手段としても微妙なところだ。

なお、電動キックボードにも乗り物としての楽しさはきちんと存在する。幹線道路を離れ、裏路地をゆっくりと流していると気持ちが良いのは確かである。しかしこの気持ち良さは例えば原付一種や自転車においても同様に感じたことのあるものであり、電動キックボードでなくては味わえなかったというものではない。

もし電動キックボードに活用の道があるとすれば、例えば比較的閉じられた、交通量は少ないものの坂の多い観光地での貸し出しを行うとか、或いは制限速度を更に下げて歩道を漕がずに走れる乗り物として打ち出すといった方向性はアリなのではないかとは感じた(実際、新規格である特定小型原付においては6km/h制限で歩道走行可能とする枠組みが想定されている)。少なくとも交通量と巡航速度の高い車道を走るには向いていない。それだけは断言出来る。

結局、走っていて思ったのは電動キックボードの車道との食い合わせの悪さと、そう感じる度に目に付く自転車とかいう既得権益の塊の無法さである。この15km/hの乗り物からふと歩道に目を向けると、電動アシスト自転車がノーヘルでこちらをブチ抜いていくのだから悪いジョークにしか思えない。あっちは何キロ出てんだよ。あっちがよくてこっちが15km/hってなんなんだよと、そう感じてしまうのである。

しまいにはむしろ電動キックボードは制限速度をもう少し下げて歩道走行可能な乗り物とし、電動アシスト自転車ロードバイクの制限をもっと締め付けた方がいいのでは……というような考えさえ浮かぶようになった。

……当初予想していた感想とはまったく違う結論になったが、ともかくそれが電動キックボード体験において最終的に感じたことである。

で、それなのに無理のある活用方法ばかりが欺瞞だらけの中でゴリ押しされているのが現状なわけで、こうした状況には乗車後も、いや乗車後だからこそ改めて強く違和感を覚えた。

とはいえ、一日乗ってて思ったのは別に欺瞞だらけなのは電動キックボードだけでもないな……という結論なのだから、ある意味では最高に救いのないオチだったかもしれない。